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富士山インタビュー

富士塚はコンセプチュアルアートであり、富士山に通じる“どこでもドア”です

江戸時代に一世を風靡した富士講。その富士講の信徒たちが富士山を模して作ったのが富士塚です。
美術家の有坂蓉子さんはその富士塚の研究を独自に20年以上続けつつ、富士山や富士塚をテーマにした作品を発表し、富士塚に関する本も書くなど、富士塚にまつわる様々な表現や活動を展開しています。
この日の撮影場所は有坂さんご提案の成子富士。高層ビルに囲まれた成子天神社の一角にある、高さ約12メートルの、新宿区で一番高い富士塚です。
取材の後、「他にも回りたい富士塚があるので」と別の富士塚へと向かった有坂さん。弾むような足取りが印象的でした。
写真:白井裕介/取材・文:木村由理江

富士塚の研究を始めたのは1998年からです

−1779年(江戸時代)から1935年頃(昭和初期)にかけて数多く作られたという富士塚。関東に約300基、そのうちおよそ60基が都内にあると有坂さんはおっしゃっています。もうほとんど回られたんですか。

 都内の富士塚は回りましたが、全体ではまだ3分の2程度です。楽しみは残しておきたいのでちょっとずつ回っています(笑)。他に以前から知っている富士塚を定点観測的に繰り返し訪ねたり、富士塚がありそうな神社に目星をつけて探しに行ったりもしています。富士山や富士講に関しては専門の方がいらっしゃるので、私は“私だからこその視点”で富士山や富士塚をおもしろがっていますし、それを富士塚巡りとかワークショップも含めたいろんな形でシェアできたら嬉しいな、と思っています。

−拠点にしていたアメリカでの出来事が、富士塚に興味を持つきっかけになったそうですね。

 そうです。私は大学を卒業してからアメリカで10年以上、パフォーマンスやナスカの地上絵に想いを馳せるような作品を作っていました。当時は日本的なものは意識的に排除してアートをやっていましたが、ある年、日本からの移住者が集まった新年会で、みんなが「私たちは日本に居ないから初詣ができないね」と寂しがっているのを見て、初詣の真似事ができるように小さな鳥居を作ったんです。それをみんながとても喜んでくれた。その時に、バーチャルなものでも向かい合う人の気持ち次第で本当の聖地になるんだと感じ、人間の健気さに触れた気がしました。その後、日本に帰国した際に富士塚の存在を知り、そのミニチュアの富士山にちゃんと富士山の神様が宿っていることを知って興味を持ちました。それが1998年。そこから富士塚巡りと研究を始めました。

−富士山や富士塚をテーマにした作品もいくつか作られていますね。

 オブジェとおみくじや富士塚分布図などを箱詰めにした現代風富士塚とも言える「富士塚キット」とか、ミニチュアであり移築も多い富士塚の特徴と、富士山信仰の本質に触れてもらう参加型の「メタル富士」など、いろいろ作ってきました。もっと多くの人に富士塚を知ってもらいたくて本も書きました。

−富士塚に関わったことでアメリカの永住権も手放したとか。

 アメリカに戻るつもりでいたんですけど、富士塚のことをあれこれやっているうちに、いつの間にかそうなっていました(苦笑)。富士塚に出会ってから富士塚や富士山に引き寄せられるようにいろんな物事が進んでいったので、“(富士塚に)呼ばれていたのかな”という感覚がありますね。

富士塚に登ることは富士山に登ったのと同じなんですよ

−富士塚のどんなところにおもしろさを感じていますか。

 富士山と富士塚はつながっている、というコンセプトです。富士講は、富士山に行ってみたい、という人たちが集まったサークルのようなものです。その人たちが自分たちの地域にミニチュアの富士山である富士塚を作るべく、頂上にお宮を置き、登山道の脇に烏帽子岩を据え、お中道を巡らせたりして富士山に近づける工夫を凝らした。わざわざ富士山の溶岩を持ってきて貼り付けたのもそのひとつです。見た目も富士山に似てくると同時に、富士山の一部である富士山の溶岩を踏むことで、遠く離れた富士山の一部を確かに踏んだことになる。(四国霊場の)「お砂踏み」と同じ理屈ですね。メッセージ性のあるアートをやる時に、関わりのあるものをそこに置いたりコラージュしたりすることがよくありますが、富士山の溶岩を貼り付けるというのも、まさにそれと一緒。だから私は、富士塚はコンセプチュアルアートだと思っているんですよ。

−なるほど。そういう見方もあるんですね。

 また富士塚は富士山の神様を分祀しているので、富士塚から富士山を拝むと富士山に想いが届くと考えられます。そういう意味では富士塚は富士山に祈りや願いを飛ばす“送信装置”であり、“どこでもドア”だと思いますね。富士塚に登れば富士山に登ったのと同じ御利益も得られると言われるのは、そこからきているのでしょう。各富士講の人たちがこぞって自分たちの地域に、自分たちの富士塚を作ろうとしたのもよくわかります。

−誰でも簡単に登れるというのも、富士塚のいいところですよね。

 そうですね。富士山に登るためのお金や体力のない子どもや老人、富士山に登ることを禁じられていた女性も気軽に登れた。富士塚にすら登るのが難しい人のために、麓に里宮が再現されていたりもしていますしね。

−富士塚を見る時に意識するのはどんなことですか。

 どんな作りになっているのか、作った人の意図や思いはどんなものだったのか、私だったらどう作るか、という視点で見ています。庶民の手で作られたものなので、基本の信仰物以外決まった型があるわけではなく、それぞれの地域の信者の思いが反映されていたり、実際に手がけた庭師の個性が表れているので、同じものがないんですよ。また移築や改築で手が加えられたりしていますから、「あっちの富士塚より高くしよう」というような、富士講同士の競い合いもあったのかもしれないと想像して楽しんだり。そういえば一度、似ている富士塚を見つけて調べたら、同じ庭師が作っていた、ということもありましたね。自分なりの視点を持つことで、文献には載ってない自分ならではの発見ができるのもおもしろいですよ。

−富士塚初心者へのアドバイスはありますか。

 富士山につながっている聖地なのでマナーを守って登ることは当然として、前もって富士塚がどんな作りになっているのかなど、情報を得ておくとより楽しめると思います。そしてできれば、山頂のお宮で手を合わせた後に、富士山はどっちかな、昔はここから富士山は見えたのかな、と想像して欲しいです。そしてひとつ登ったら、二つ三つと登ってください。いくつも登ると違いがわかってもっとおもしろくなると思いますよ。

富士山の上にあるのは空ではなく宇宙

−多くの人を惹きつける富士山。その魅力はどこにあると思いますか。

 火口から火を噴き、流れ出た溶岩で周囲のものを飲み込んでしまう火山としての荒々しさと、かぐや姫や天女伝説に通じる唯一無二の優美な姿。その二つを併せ持っているところだと思います。だからこその不思議な魅力があるんだと思います。

−有坂さんにとって富士山の魅力は?

 クリエイティヴィティをくれる大きな存在であることですね。富士山の神様でもあるコノハナサクヤヒメは、安産や子育ての神として知られていますけど、それも広く考えてクリエイティヴィティですよね。クリエイティヴィティは、人間誰もが神様から与えられた一番大きなギフトでもあると思うし、私にとって富士山はその象徴です。富士山を含めた日本的なものから離れようとしていた時代もありましたけど、今はどんな些細なものでも、富士山から与えられるものは、ありがとう、と素直に受け取っています。

−富士山に登ったこともありますか。

 はい、2回半ほど。最初は父の転勤で静岡に引っ越した小学生の時で、関西出身で富士山に馴染みのなかった母の提案で家族全員で登りました。高山病になった妹が、途中から強力さんに背負われて登るのを羨ましく思ったのをよく覚えています(笑)。2度目は富士塚を知った直後で、その頃毎年お友達と富士山に登っていた母と登りました。あと、昔の人が登山道として使っていた古道にある神社を巡るフィールドワークの講師として、北口本宮冨士浅間神社から六合目までガイドをしました。

−実際に富士山に登って感じたのはどんなことですか。

 私は富士山にはすごく宇宙的なものを感じています。富士山の上にあるのは空じゃなくて宇宙で、富士山は宇宙に突き出ているんだなあ、と。小学生の時は山小屋で星が自分の目の高さに落ちてくる夢で目が覚めて、ご来光を見るために未明に外に出たら、夢と同じ景色が広がっていてとても幻想的な気持ちになったんですよ。2度目は深夜、山頂の山小屋の窓越しに見た火口が真っ暗で、とてもこの世のものとは思えなくて恐怖を感じました。今から思うとあの恐怖は、宇宙に放り出されたような恐怖だったんだと思います。最近、品川富士に登った外国人が、「月の上を歩いているみたいだった」と言っていたんですが、それはすごく嬉しかったですね。富士塚にもよりますが、小さくても別世界だと感じてもらえたんだと思って。いろんな山岳信仰がありますが、富士山のパワーは別格ですね。

−そのパワーを富士塚も持っているわけですね。

 ええ。富士塚があるのはだいたい神社の中ですけど、たまに個人のお宅の敷地にあったりするんですよ。私も庭があったら自分の家に富士塚を作りたい。それが夢ですね。それくらい、ユニークな存在なんですよ、富士塚って(笑)。

有坂蓉子
ありさかようこ

東京都出身 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。その後、約12年間、アメリカを拠点に活動し、日米両国でグループ展、パフォーマンスなど様々な作品を発表してきた。1998年に富士塚巡りをスタートさせて以降は、富士山をテーマにした作品(「VOLCANDLE」、「3D参詣図」、「Blue Kintos」、「富士塚キット」、「メタル富士」)なども制作。著書に『ご近所富士山の「謎」』、『富士塚ゆる散歩』があり、富士塚に関する講師、富士塚ツアーなども開催している。

有坂蓉子さんのHP
『富士塚日記』:http://hibiscusfujizzz.blog.shinobi.jp

撮影協力:
 成子天神社 HP:http://www.naruko-t.org

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者

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