−1779年(江戸時代)から1935年頃(昭和初期)にかけて数多く作られたという富士塚。関東に約300基、そのうちおよそ60基が都内にあると有坂さんはおっしゃっています。もうほとんど回られたんですか。
都内の富士塚は回りましたが、全体ではまだ3分の2程度です。楽しみは残しておきたいのでちょっとずつ回っています(笑)。他に以前から知っている富士塚を定点観測的に繰り返し訪ねたり、富士塚がありそうな神社に目星をつけて探しに行ったりもしています。富士山や富士講に関しては専門の方がいらっしゃるので、私は“私だからこその視点”で富士山や富士塚をおもしろがっていますし、それを富士塚巡りとかワークショップも含めたいろんな形でシェアできたら嬉しいな、と思っています。
−拠点にしていたアメリカでの出来事が、富士塚に興味を持つきっかけになったそうですね。
そうです。私は大学を卒業してからアメリカで10年以上、パフォーマンスやナスカの地上絵に想いを馳せるような作品を作っていました。当時は日本的なものは意識的に排除してアートをやっていましたが、ある年、日本からの移住者が集まった新年会で、みんなが「私たちは日本に居ないから初詣ができないね」と寂しがっているのを見て、初詣の真似事ができるように小さな鳥居を作ったんです。それをみんながとても喜んでくれた。その時に、バーチャルなものでも向かい合う人の気持ち次第で本当の聖地になるんだと感じ、人間の健気さに触れた気がしました。その後、日本に帰国した際に富士塚の存在を知り、そのミニチュアの富士山にちゃんと富士山の神様が宿っていることを知って興味を持ちました。それが1998年。そこから富士塚巡りと研究を始めました。
−富士山や富士塚をテーマにした作品もいくつか作られていますね。
オブジェとおみくじや富士塚分布図などを箱詰めにした現代風富士塚とも言える「富士塚キット」とか、ミニチュアであり移築も多い富士塚の特徴と、富士山信仰の本質に触れてもらう参加型の「メタル富士」など、いろいろ作ってきました。もっと多くの人に富士塚を知ってもらいたくて本も書きました。
−富士塚に関わったことでアメリカの永住権も手放したとか。
アメリカに戻るつもりでいたんですけど、富士塚のことをあれこれやっているうちに、いつの間にかそうなっていました(苦笑)。富士塚に出会ってから富士塚や富士山に引き寄せられるようにいろんな物事が進んでいったので、“(富士塚に)呼ばれていたのかな”という感覚がありますね。
−富士塚のどんなところにおもしろさを感じていますか。
富士山と富士塚はつながっている、というコンセプトです。富士講は、富士山に行ってみたい、という人たちが集まったサークルのようなものです。その人たちが自分たちの地域にミニチュアの富士山である富士塚を作るべく、頂上にお宮を置き、登山道の脇に烏帽子岩を据え、お中道を巡らせたりして富士山に近づける工夫を凝らした。わざわざ富士山の溶岩を持ってきて貼り付けたのもそのひとつです。見た目も富士山に似てくると同時に、富士山の一部である富士山の溶岩を踏むことで、遠く離れた富士山の一部を確かに踏んだことになる。(四国霊場の)「お砂踏み」と同じ理屈ですね。メッセージ性のあるアートをやる時に、関わりのあるものをそこに置いたりコラージュしたりすることがよくありますが、富士山の溶岩を貼り付けるというのも、まさにそれと一緒。だから私は、富士塚はコンセプチュアルアートだと思っているんですよ。
−なるほど。そういう見方もあるんですね。
また富士塚は富士山の神様を分祀しているので、富士塚から富士山を拝むと富士山に想いが届くと考えられます。そういう意味では富士塚は富士山に祈りや願いを飛ばす“送信装置”であり、“どこでもドア”だと思いますね。富士塚に登れば富士山に登ったのと同じ御利益も得られると言われるのは、そこからきているのでしょう。各富士講の人たちがこぞって自分たちの地域に、自分たちの富士塚を作ろうとしたのもよくわかります。
−誰でも簡単に登れるというのも、富士塚のいいところですよね。
そうですね。富士山に登るためのお金や体力のない子どもや老人、富士山に登ることを禁じられていた女性も気軽に登れた。富士塚にすら登るのが難しい人のために、麓に里宮が再現されていたりもしていますしね。
−富士塚を見る時に意識するのはどんなことですか。
どんな作りになっているのか、作った人の意図や思いはどんなものだったのか、私だったらどう作るか、という視点で見ています。庶民の手で作られたものなので、基本の信仰物以外決まった型があるわけではなく、それぞれの地域の信者の思いが反映されていたり、実際に手がけた庭師の個性が表れているので、同じものがないんですよ。また移築や改築で手が加えられたりしていますから、「あっちの富士塚より高くしよう」というような、富士講同士の競い合いもあったのかもしれないと想像して楽しんだり。そういえば一度、似ている富士塚を見つけて調べたら、同じ庭師が作っていた、ということもありましたね。自分なりの視点を持つことで、文献には載ってない自分ならではの発見ができるのもおもしろいですよ。
−富士塚初心者へのアドバイスはありますか。
富士山につながっている聖地なのでマナーを守って登ることは当然として、前もって富士塚がどんな作りになっているのかなど、情報を得ておくとより楽しめると思います。そしてできれば、山頂のお宮で手を合わせた後に、富士山はどっちかな、昔はここから富士山は見えたのかな、と想像して欲しいです。そしてひとつ登ったら、二つ三つと登ってください。いくつも登ると違いがわかってもっとおもしろくなると思いますよ。
−多くの人を惹きつける富士山。その魅力はどこにあると思いますか。
火口から火を噴き、流れ出た溶岩で周囲のものを飲み込んでしまう火山としての荒々しさと、かぐや姫や天女伝説に通じる唯一無二の優美な姿。その二つを併せ持っているところだと思います。だからこその不思議な魅力があるんだと思います。
−有坂さんにとって富士山の魅力は?
クリエイティヴィティをくれる大きな存在であることですね。富士山の神様でもあるコノハナサクヤヒメは、安産や子育ての神として知られていますけど、それも広く考えてクリエイティヴィティですよね。クリエイティヴィティは、人間誰もが神様から与えられた一番大きなギフトでもあると思うし、私にとって富士山はその象徴です。富士山を含めた日本的なものから離れようとしていた時代もありましたけど、今はどんな些細なものでも、富士山から与えられるものは、ありがとう、と素直に受け取っています。
−富士山に登ったこともありますか。
はい、2回半ほど。最初は父の転勤で静岡に引っ越した小学生の時で、関西出身で富士山に馴染みのなかった母の提案で家族全員で登りました。高山病になった妹が、途中から強力さんに背負われて登るのを羨ましく思ったのをよく覚えています(笑)。2度目は富士塚を知った直後で、その頃毎年お友達と富士山に登っていた母と登りました。あと、昔の人が登山道として使っていた古道にある神社を巡るフィールドワークの講師として、北口本宮冨士浅間神社から六合目までガイドをしました。
−実際に富士山に登って感じたのはどんなことですか。
私は富士山にはすごく宇宙的なものを感じています。富士山の上にあるのは空じゃなくて宇宙で、富士山は宇宙に突き出ているんだなあ、と。小学生の時は山小屋で星が自分の目の高さに落ちてくる夢で目が覚めて、ご来光を見るために未明に外に出たら、夢と同じ景色が広がっていてとても幻想的な気持ちになったんですよ。2度目は深夜、山頂の山小屋の窓越しに見た火口が真っ暗で、とてもこの世のものとは思えなくて恐怖を感じました。今から思うとあの恐怖は、宇宙に放り出されたような恐怖だったんだと思います。最近、品川富士に登った外国人が、「月の上を歩いているみたいだった」と言っていたんですが、それはすごく嬉しかったですね。富士塚にもよりますが、小さくても別世界だと感じてもらえたんだと思って。いろんな山岳信仰がありますが、富士山のパワーは別格ですね。
−そのパワーを富士塚も持っているわけですね。
ええ。富士塚があるのはだいたい神社の中ですけど、たまに個人のお宅の敷地にあったりするんですよ。私も庭があったら自分の家に富士塚を作りたい。それが夢ですね。それくらい、ユニークな存在なんですよ、富士塚って(笑)。
東京都出身 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。その後、約12年間、アメリカを拠点に活動し、日米両国でグループ展、パフォーマンスなど様々な作品を発表してきた。1998年に富士塚巡りをスタートさせて以降は、富士山をテーマにした作品(「VOLCANDLE」、「3D参詣図」、「Blue Kintos」、「富士塚キット」、「メタル富士」)なども制作。著書に『ご近所富士山の「謎」』、『富士塚ゆる散歩』があり、富士塚に関する講師、富士塚ツアーなども開催している。
有坂蓉子さんのHP
『富士塚日記』:http://hibiscusfujizzz.blog.shinobi.jp
撮影協力:
成子天神社 HP:http://www.naruko-t.org