−2003年、独立の地に富士山麓のこの場所を選ばれたのはなぜですか。
妻の祖母の家がここにあったので、それを借りることにしたんです。築60年くらいの、かわいい平屋の家でした。少しの間、と思っていたのですが、家から見える森の景色が1年を通してどんどん変わっていく様子を見ているのがとても気持ちがいいのと、車で都内に出るのがすごく便利だということもあり、16年経った今も、ここを離れずにいます。
−非常に創作意欲をそそる環境でもありそうですが。
そうですね。僕は取り立てて何かを取り入れようと思っているわけではありませんが、目に見えるものが僕の作品に反映してくるだろうな、とは思っています。例えば、新緑が次々に芽吹いたり、それぞれの木が紅葉し、落葉していく様子とか、冬枯れの森に積もった雪と枝の白黒のコントラストとか、その雪が溶け出した時に表れてくる土と雪が見せてくれる景色とか、本当にきれいですからね。もし僕が南の島で制作してたら、今とは全然違う、カラフルでおおらかな作品になったかもしれないな、と考えることもあります。以前、スペインの建築事務所の方に取材していただいた時に、「君の作る鉢は富士山をひっくり返したような形をしているね」と言われて、そう言われればそうかもしれない、と思ったことがあります。毎日見えているものなので、富士山からもなんらかの影響を受けているかもしれません。
−はっきりと富士山の影響を意識することはないわけですね。
ええ。ダイレクトに影響は受けてないと思います。でも優美な形なのに雄大さもある、というあたりは、取り入れる意識はなくても僕の作品の中に入ってきてくれていればいいな、と(笑)。生まれも沼津でしたからね。
−では小さい頃から富士山はご覧になっていたんですね。
そうです。見えているのが当たり前、という環境でした。周りの人からは「日本で一番大きい山だよ」と言われて育ちましたけど、あまり富士山を意識することはなかったですね。沼津からだと手前に愛鷹山があって上の方しか見えなかったせいもあるかもしれない。地元を離れて東京の大学に進学してからは、「静岡出身だよ」というと「富士山は見えるの?」と聞かれることがすごく不思議でした。「え、見えないの?」みたいな。みんな見えるものだと思っていたんですよ(笑)。新幹線で移動中に「富士山が見えた!」と友達が喜んでいても、「静岡を通過しているんだから当然見えるでしょう」と。それくらい当たり前の存在でした。
−富士山が見えない環境で過ごしたのは大学時代だけですか。
弟子入りして伊豆高原で過ごしていた3年もほとんど見てないですね。
−そこからこちらに来て久々に見た富士山。どんな印象を持ちましたか。
御殿場を経由してからここに来るまでの間、ずっと富士山が正面に見えていたんですが、その大きさにびっくりしました。沼津から見ていた時は、そんなに大きさを感じていなかったんですよ。あと、遠くから見ていた時は、きれいに裾を引く優雅な富士山だと思っていたのに、ここでは裾がなくて山頂のゴツゴツが目に飛び込んでくる。かなり強い、雄々しい山だなあ、というのがここに住み始めてからの富士山の印象です。今でもたまに遠くから富士山を見ると、きれいだな、家で見ているのと全然違う山だ、と思います。富士山は、ミクロとマクロで見え方が全然違う、特殊で、不思議な形をしていると思います。
−家具を作りたくて美大に進んだそうですね。
というより、美術系の大学に行きたくてどんな学科があるのかな、と調べた時にちょうどイームズの椅子とかが流行っていて、単純な憧れから、家具を作りたいと思った、という感じです。絵を描くのも好きだったし、「クリエイティブな方向に進みたいな」という意思は高校に入った頃からありました。でも大学に入って話を聞くうちに、家具デザインと家具制作は違うジャンルで、僕は図面を描きたいわけじゃなくて直接作りたいんだ、と気づいたんです。その時にはすでに焼き物を始めていたので、家具よりも、自分の手の内で、しかも考えるところから焼きあがるところまで一人でできる陶芸の方が自分は好きだな、と。割と早い時期から、陶芸で食べていけたらいいな、と思っていました。
−その陶芸との出会いは大学進学を機に始めた一人暮らしがきっかけだそうですね。
実家にいた時は食器なんて気にしたこともなかったのに、いざ一人暮らしを始めたらすごく気になってしまって。で、たまたま友達に付き合って行った大学の陶芸部で、僕の方がしっかりハマってしまいました。指導する先生がいるわけではなかったので、部員それぞれが焼き物に関する本を頼りにいろんな土や釉薬を試しては失敗しながら焼き物を作っていく。当時はそれがすごく楽しかったですね。3年からは室内建築を専攻しましたが、扱う空間が巨大すぎて全然脳みそがついていけず・・(笑)。“形を作る上で大事なのは内側。その点では空間も器も同じ”と無理やりこじつけて、卒業制作も焼き物にしました。
−「白と黒の器にこだわるのは形の美しさを感じてほしいから」とおっしゃっていますが、その形の元になっているのは内側、ということですね。なぜ内側にこだわるのでしょう?
これもちょっとこじつけっぽくなりますが、僕は食べることはどこか祈ることに近い、と感じているんですよ。自分が生きるために何がしかの命を奪うわけですから、残さず食べきることが一番の感謝だと思うし、そのために器の内側に盛り付ける。そこは、奪った命の最後の舞台、とも言えますよね。だから器の内側はちゃんとしていなくてはいけないし、それに付随した外側=形でなくてはいけない。そうすればきっと使いやすいはずである、とも考えています。作っている最中に使い勝手を意識することはないですけどね。
−内側がちゃんとしてる、というのは?
覗き込めるかどうか、みたいなことでしょうか(笑)。
−吉田さん自身の経験や思考やあれこれが、ちゃんとそこに反映されているかどうか、とか?
そうだと思います。そうあってほしい(笑)。きっちりしていても歪んでいても構わない、内側がちゃんとした、その時々の自分にとって嘘じゃない形であればいい、といつも思いながら作っています。
−器作りのポリシーみたいなものはありますか。
作りたいものを作る、自分のやりたいようにやる(笑)。要するに、常に“今”でいたい、1ミリでも前に進みたい、ということですね。以前作ったものをベースに「こんな感じのものを」と注文されることがほとんどですが、今の自分ならもっといいものができるはずだと思っているし、そうでありたい。最新バージョンを出し続けていこうとするから、僕の場合、個展の回数がやたら多くなってしまうんですよ。
−制作の合間にリフレッシュのために富士山を見る、というようなことはありますか。
う〜ん。ここは富士山がよく見えすぎてしまうので、あえて富士山側に窓は作ってないんですよ。建築家の方は「富士山の見える方に窓を作りましょうよ」と言ってくれますが、外に出たら見えるからそれで十分。ここから見る富士山は存在感が強すぎて、そんなにずっとは見ていられない気がします。
−どの時期の、どんな富士山が好きですか。
雪に覆われた今日の富士山もきれいですが、頂上に雪が残りながらも新緑が勢いよく出てきて、その間から赤土もちょっと見える5月、6月くらいの富士山が一番カラフルで好きですね。あと、紅葉で真っ赤に染まっている富士山も好きです。富士山そのものではないですが、富士山の影がスパンとできる夕方の景色もおもしろいですよ。太陽がちょうど富士山に隠れてしまうので、ここは日が落ちるのが早いんですよ。御殿場より30分は早い。まだ明るいところと富士山の陰になった暗いところにくっきりと分かれている空の景色は、他ではあまり見られないんじゃないかと思いますね。
−富士山の魅力はどんなところにあると?
自然としての強さ、厳しさ、美しさ、怖さ、全部が入ったところかもしれないですね。僕の周りにも魅了されている人がたくさんいて、それぞれに語る魅力が違うし、言葉が尽きない。富士山の印象、そこから受けるエネルギーがそれぞれに違うというのが、富士山のすごいところなんでしょう。ここで、無理やり自分の器に話を持っていってしまいますが(笑)、僕の器も富士山のように見てもらえたら嬉しいな、と思います。誰かが紋切り型のように放ったイメージをみんなが共有するんじゃなくて、どんなことでもいいから僕の器が手に取ってくれた人の何かに引っかかって、気に入ってもらえたら、僕としては一番ありがたいですね。
1976年 沼津生まれ 東京造形大学造形学部デザイン学科デザインII類室内建築専攻卒業後、陶芸家黒田泰蔵氏に師事。2003年に独立し、富士山麓に築窯した。白と黒を中心にした器を制作し、高い人気を誇る。今、最も興味があるのは抹茶碗。「同じものがいらないから一発勝負ができることと、お茶をたてられる部分さえあれば求められる条件を全部無視しても誰かが受け入れてくれるという趣味性の高さがおもしろい」と語る。5年くらい前までは自転車によく乗っていて、のんびりペースで国道沿いに約120キロの富士山一周を楽しむこともあったそう。
5月以降の個展の予定
・吉田直嗣作品展 5/31〜6/5@銀座 日々
吉田直嗣さんのHP http://ynpottery.net/