−甲州アルプスオートルートチャレンジの開催には“甲州アルプス周辺の地域資源の発掘と利活用、森に親しむ活動、里山里地の再生活動、登山・ランニング・農林業知識の普及啓発、地域社会及び経済の活性化に寄与する”という目的もあるそうですね。
大本にあるのは、私が子どもの頃に親しんできた景色や“自然の中で遊ぶ”という文化を後世に残したい、という思いです。私はファミコン世代の走りですが、生まれ育った甲州市は広大な山と畑に囲まれた地方都市ですから、私が子どもの頃は近くにある塩ノ山という小山でカブトムシをとったり、川で魚釣りをしたり、外での遊びが主流でした。でも今の子どもたちは学校の休み時間にもそれぞれに通信型のゲームに夢中で、ほとんど外で遊ばない。山道の荒廃による道迷いや里山に降りてきている野生動物の増加を考えると、私自身も自分の子どもに「山に行って遊んでこい」となかなか言えませんしね。小学校の教員をする中で、安全管理や雨天順延が難しいという理由で遠足や自然の中に入って遊ぶ行事自体が減りつつあることも実感していたので、プロになったら地元の子どもたちがもっと自然と触れ合う機会を持つきっかけになる活動をやりたいと考えていました。
−大勢の参加者がいろんなところから集まってくることで、自分たちの周りにある山や自然を再認識することにもなるでしょうしね。
地元の人は山菜やキノコやカブトムシをとるために山に入ることはあっても、ハイキングや遊びのために入ることはほとんどないんですよ。農家も多いから、グリーンシーズンは仕事が忙しくて山に遊びに行っている余裕もないですしね。また林業も廃れてきていて、山を有効活用する予算も人も足りていない。甲州アルプスオートルートチャレンジの開催が、地元の人がもっと山に親しむきっかけになったり、山の荒廃を抑えることや地元の活性化に繋がるといいんですけどね。
−甲州アルプスオートルートチャレンジの特徴も教えてください。コースは67キロ、50キロ、28キロの3種類。初心者から上級者まで楽しめると聞きました。
一番短いコースでも28キロありますが、歩いても完走できる制限時間やサポート体制になっています。67キロの上級コースは、累積獲得標高が4600メートルを超えていて富士山一個分以上ります。400を超える国内のレースの中でもかなりタフなコース設定であり、完走できるのはかなり屈強な選手です。“甲州市から世界へ”がキーワードで、海外のレースに参加するならこれくらいのコースはクリアしておくといいよね、という登竜門的なレースにしたいと考えています。
−10年後、20年後には、日本を代表するようなレースにしたい、と?
それが理想です。ただ100キロ近い全てのルートの整備は現在、実行委員のメンバー4、5人で分担してやっているのでかなり大変です(苦笑)。皆さん、それぞれ仕事もありますからね。私は練習がてらノコギリを一本持って山に入って倒木の処理をする、というようなことをコツコツとやってはいますが、体力的に同じことを10年先、20年先も続けるのは難しい。いい方法を考えていかないといけないな、と思っています。
−富士山に登ったり、富士山中を走るようになったのはいつ頃からですか。
初めて富士山に登ったのは高校生の時でした。いつもそばにありますから、山梨県民にとって富士山は、登る山というより見る山だという気がします。その時は陸上部の高地トレーニングの一環で六合目あたりの林道で反復練習をしましたが、とにかく苦しくてなんの魅力も感じませんでした。あんなにきれいなのに、こんなにきついのか、と。
−ちなみに陸上の種目は?
長距離です。5000メートルとか1万メートルとかですね。なんでも一番になりたい、勝負に勝ちたいという気性なので、100メートル走とか球技で活躍したかったんですが、人より我慢する種目に追いやられたというか。その後、都留文科大学で初等教育の勉強をしていた時に、夏の野外研修で初めて登頂しました。20歳を超えてからです。高山病に苦しみながら、ようやくたどり着いた感じです。その時に、富士登山競走に出る自衛官がランニングスタイルで登山道を走っていて、それが非常に印象的でした。こんなに苦しいのによくそんなことするな、と(笑)。
−その富士登山競走に、どうして出ることになったのでしょう?
社会人になってからも国体に出場していましたが、頑張っても成績が伸びなくなっていった頃に誘われたのが山岳縦走競技でした。初めて山を走った時には、頑張れば頑張った分だけこんなにいろんな景色が見られるのか、と驚いたし、そこに非常に魅力を感じました。その後、山岳縦走競技のいろんな大会で一緒になっていた鏑木毅さんや国体の静岡代表で同い年の望月将悟さんがトレイルランニングで成績を出しているのを見て、自分もどのくらい走れるのかちょっと試してみたくなった、ということですね。それがきっかけでトレイルランニングの世界に入り、富士登山競走に出たり、富士山に通って練習するようになりました。23、24歳の頃だったと思います。
−レースや練習でいろんな山を走られていると思います。富士山は特別だな、と思うところは?
富士吉田市の小学校に勤務していた時に、総合教育のひとつである“富士山教育”の指導のために富士山に関する歴史や宗教の勉強をしたことで、私自身の中で富士山=霊山というイメージがすごく強くなりました。火口やあまり人の通らないルートに宗教的な人工物がまだ残っていますから、それを見るたびに身が引き締まります。
−やはり山頂に行くと生まれ変わる感じがありますか。
毎年、雪解けが始まる5月くらいから富士登山競走の練習も兼ねたトレーニングを開始するんですよ。最初は六合目くらいまでで、山開きの頃にちょうど山頂に行く、みたいな感じで。もう20年近く続けていますが、山頂に到達した時は毎回、非常に新鮮な気持ちになります。山頂のお鉢を回りながら高度順応するんですが、いろんなものが削ぎ落とされて禊がれているような感じがします。それは他の山にはない感覚だと思いますね。
−ちょっとしたズルとか、悪いことができなくなりそうですね(笑)。
そうなんですよ(笑)。情報網の発達によって社会が変化し、人と人との関わりがどんどん希薄になっていて、子どもだけでなく大人も“誰も見ていないからいいや”、“自分だけ良ければいいや”となりがちですよね。私は子どもの頃に親からよく「神さまは見てるからね」と言われて、そのたびにドキッとしたり背筋を正していた。非科学的なことだとはわかっていますが、今も山の神さまにちゃんと頑張っている姿を見せていないと成績は出ない、と思っています。海外の選手はそれぞれの宗教をしっかりと持っていますし、自分が頑張った分だけ親兄弟がいい生活ができるというハングリー精神が強いから独特のパワーを発揮します。日本人の自分がそれに対抗するには、山の神さまに頑張っている姿を見てもらう、という意識を持ち続けることが大切なのかな、と思ってもいますね。一番身近な富士山や大菩薩は、自分が甘えちゃいけない場所だと位置付けています。
−小川さんが富士登山競走を続ける理由のひとつが、そこにありそうですね。
私は山登りの中でも下りが得意で、下りで稼ぐタイプの選手なんですよ。富士登山競走は日本で最も下らないレースですが、そこであえて成績を出し続けることは苦手な部分を追求し、磨くことになる。しかもそれが富士山ですからね。自分の弱さと向き合うという意味合いもあるので、富士登山競走にはなるべく出るようにしています。
−甲州市から見えるのは富士山の頂上のあたりだけですが、どこから見る富士山が好きですか。
わずか3年しか住んでませんが、富士吉田の市街地から見る富士山はすごく好きでした。裾野から富士山全体がきれいに見えるし、一日として同じ景色がない。夏の夜に登山者の灯りに誘われて走りに行ったことが何度もあります。
−甲州アルプスで“ここから見る富士山がおすすめだよ”という場所は?
車で行けるところでは、柳沢峠ですね。いろんな山の真ん中にすっと富士山が見えてきれいですよ。走って行けるところでは、大菩薩の雷岩。大菩薩湖、甲府盆地、南アルプス、富士山と、この周辺のいいところを一望できる。自宅から雷岩に行ってその景色を見て帰ってくるというのは、私の練習コースでもあります。
−最後に、2019年に小川さんがメインに考えているレースを教えてください。
8月末に開催されるUTMBシリーズの中のTDSというレースです。およそ170キロある花形のUTMBに比べると距離は30キロくらい短いですが、累積獲得標高はおよそ1000メートル少ないだけ。コースも“走る”というより“よじ登り駈け下る”の連続です。甲州アルプスオートルートチャレンジも急峻なアップダウンがあり、私はそのコースに慣れ親しんでいるので、特性も合っている気がします。最近、TDSで日本人がトップ10入りをしてないので、そこを狙って準備していこうかな、と思っています。去年は準備が足りなくてゴールするだけになっちゃいましたけど、一通りコースの下見ができたので、ぜひ今年はリベンジしたいですね。
1977年 山梨県生まれ 幼い頃から、春と秋は山菜とりやキノコとり、夏は父や祖父と源流を遡る渓流釣り、冬はスキー、と年間を通して山で遊ぶ。学生時代は陸上部で長距離を走り、社会人になってから山岳縦走競技を経てトレイルランニングの世界へ。2011年、フランスで開催されたニヴォレ・リヴァード(50キロ)準優勝、2014年、日本山岳耐久レース5位。子どもの頃から憧れだった教員と競技者としての生活を13年間続け、2015年からプロのトレイルランナーへ転向。現在は年間約20本の国内外のレースに出場する。「ライセンスも資格もない中でプロと名乗っていることに対して、背筋が伸びるような感覚はあります」と話す。家族は妻と子ども3人。甲州市観光大使でもある。
小川壮太さんのオフィシャルサイト http://sotaogawa.spo-sta.com/