−幼い頃は気象庁に入ろうと思っていたそうですね。
天気が好きで好きでしょうがなくて、ずっと天気のことばかりやっていました。昔の天気予報は外れることも多かったので、「なんでこんな予報をするんだろう」って、生意気にも思ったりもしましたね。たまに自分の予想の方が当たったりするとすごく嬉しかったし。ただ私は数学がすごく苦手で・・。理数系の学部はどう考えても難しかったので、諦めました。
−大学で山岳部に入ったのは”このまま大人になってはいけない”という思いだったとか。
そうです(苦笑)。私はずっと、辛いこと、嫌なことから逃げていたんですよ。高校時代も大好きな天気だけはやっていましたけど、やればやるほど成績が落ちて親に怒られるので、勉強しているふりをする、みたいな。でも自分の心までは騙せないし、逃げたツケが最後には全部自分に回ってきて“自分はダメな人間だ!”と自己嫌悪に陥ってしまう。だから“大人になるためにちゃんと自分と向き合おう”と思ったんです。自分の体重より重い荷物を背負って山を登ったり、合宿では先輩やOBに怒られてばかりだったり、何度も逃げ出したくなりました。でも“同じことは絶対に繰り返したくない”という気持ちが強かったんですね。そこで踏ん張れたことで、辛い経験からはたくさんのものが得られるし、それを乗り越えていくのは実は楽しいことなんだ、と少しずつわかっていきました。厳しい合宿を終えて下山した時の充実感や幸福感は、半端じゃなく大きいですからね。山が自分を本当に変えてくれました。
−そこからどんどん山にのめり込んでいったわけですね。何が魅力だったのでしょう?
昔から自然の中にいるのは好きだったんですよ。入部当初は自然を楽しむ余裕はまったくありませんでしたけど、充実感を感じられるようになるにつれて自然の素晴らしさ、景色の美しさ、仲間と一緒にいることを楽しめるようになりました。だんだん挑戦する山やルートの難易度が上がっていくと、厳しい自然や自分の弱さと向き合い、それを乗り越えることで得られる“自分は今、生きているんだ!”という、ある種麻薬的とも言える喜び、充足感も大きくなっていきましたね。今は危険を伴う山登りはほとんどしていないので、空を見たり、雲を見たり、森を見たり、鳥の声を聞くことが楽しみであり、喜びです。
-大学3年の冬に富士山で滑落し大怪我をされています。一歩間違えば命を落としかねない事故であり、治療の痛みも凄絶なものだったと聞きました。それでも2年後には登山を再開されています。
あの頃は山が楽しくてしょうがなかったんですよ。しかも不思議なことに人間は痛みを忘れるようにできているみたいで・・。登りたいという気持ちが、“怖い”という気持ちより強かったんだと思います。あの時は若かったのかもしれませんね(苦笑)。
−気象予報士の資格を取ると決めたのは、2005年に富士山での骨折が原因の慢性骨髄炎を発症したことがきっかけだそうですね。
今は奇跡的に歩けるようになりましたけど、当時はどこの病院でも完治の見込みはないと言われ、私にとって大きな目標だった山登りは諦めざるを得ない状況でした。”山”とつくものは見るのも聞くのも嫌で、山の道具もほとんど全部捨てました。そうやって悶々と過ごすのもすごく苦しくて、何か新しい目標を作ろうと考えた時に思い浮かんだのが、子どもの頃から好きだった天気でした。さっきも話したように数学は相変わらず苦手でしたけど、新たな目標としてはこれ以上のものはないと思いましたね。
-気象予報士試験の合格率はわずか5パーセントという難関ですが、猪熊さんは2006年から勉強を始めて翌年に資格取得。山の天気を専門にすると決めたのはどんな思いからですか。
山の天気を通して地球の美しい自然を守りたい、生態系がどのようにつながっているかを発信してみなさんに知っていただきたい、とも考えていますが、その頃はガイドさんや引率者の天候判断の誤りによる気象遭難を減らしたいという思いが強かったです。当時は中高年の登山ブームで、気象遭難がとても多かった。私の先輩や友人のガイドさんたちも「山の予報があればすごく助かる」と話していたので、安全な山登りのための情報を提供したい、と思いました。それで前職のメテオテック・ラボという会社で山の天気予報をメールで配信するサービスを始めました。当時はガラケーが主体で、メールの方が使い勝手がよかったんです。その後、2011年に独立してその業務を継続し(現在月額税込330円)、2013 年からはスマホで見られるサイトも立ち上げました。今年の9月、そのサイトをさらに使い勝手よくリニューアルする予定です。
-実際に山を登りながら、または山頂や山小屋で気象のお話をしたりもされているそうですね。
雲や風の変化で天気を予想する“観天望気”という技術や山で天気が急変した時に身を守るための知識を、個人や単独の登山者に伝える必要があると感じて始めました。山の天気は地形に非常に大きく左右されますから、地形が見渡せる山では説明がしやすいし、参加した人たちにも、とてもわかりやすいと喜んでいただいています。またその一環で2019年3月から“空の百名山プロジェクト”も始めました。朝焼けや夕焼けが美しいとか雲海がきれいに見えるとか、空を見るのに最適で、なおかつ地元の人に愛されている山を100、選定するプロジェクトです。それぞれの山で天気の解説もしようと計画していたんですけどね・・。新型コロナウイルスの感染が収まったら再開する予定です。空や雲を見るのは楽しいことだし、気持ちもリフレッシュできて精神的にもすごくいい行為だと思うので、山登りの楽しみのひとつに、ぜひ加えていただきたいですね。
-猪熊さんの予報は精度の高さで定評がありますが、何かコツはあるんですか。
予報はすべて科学的な根拠や過去のデータに基づいたものですし、うち(ヤマテン)の社員に伝えるために予報の手順などをマニュアル化している部分もありますけど、私自身が予想する時には全部を総合的に考えて、一瞬で弾き出している、という感じです。
-一瞬で!? 猪熊さん自身がコンピューターになるんですね。
いやいや。ちょっと極端なんですよ。そういうことができる緻密さみたいなものがある一方で、忘れ物とかがすごく多かったりする。大事なものをすぐに忘れてしまうので困ります(苦笑)。
-登山と気象予報。何か共通性はありそうですか。
どちらも自然を相手にしているので、どれだけ大気の振る舞いを理解し、空気の気持ちに近づこうとしていても、また山でのあらゆるリスクを想定して対処法を考えていたとしても、予想外のことは必ず起きる。どちらもその時にどう修正していくかが非常に大切だ、というところは似ているかもしれませんね。
−富士山に最初に登ったのはいつですか。
多くの大学の山岳部は初冬の富士山で合宿をするんですよ。凍った斜面を登ったり、アイゼンワークを勉強したりして冬山に備えるわけです。私も大学1年のその合宿で初めて登りました。中学から大学まで、小田原近くの、富士山が目の前に見えるところに住んでいたので、ああ、あそこに登るんだなという程度で特別な感慨はなかったです。夏山ではもっと難易度の高い山に登っていましたから、どうせなら冬の北アルプスとか谷川岳がいいな、と密かに思っていました。
−富士山で大怪我をされた後に富士山に登った時には、どんな思いでしたか。
OBとして学生の富士山での合宿に参加したんですが、富士山に登らないと次の一歩が踏み出せない気がしていたので、“仲直りができてよかった”と思いましたね。その後も高い山に登る前には必ず富士山でトレーニングをしていましたし、今も大学の合宿で雪のある季節に行ったり、甥っ子を連れていったりもしています。
−「東北の高校生の富士登山」でも何度か高校生たちと一緒に登られていますね。
東日本大震災で発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射能の影響で、思うように屋外で運動ができなかったり目標を見失いがちだった東北の高校生たちに、富士登山を通して新たな一歩を踏み出してもらいたいという故・田部井淳子さんの企画意図には、私も心から賛同しています。私自身がそうだったように、山を通して何かを掴み取ってほしい、それをきっかけに今の自分を超えていってくれたら嬉しいなと思っています。そもそもあの企画に応募した時点で高校生たちは一歩前に踏み出しているわけだから、その勇気を讃えたいです。実際に富士山を登るのはかなりきついところもあるので、そこでの自分との戦いに勝ってほしいと思っていますし、それを応援したくて一緒に登っています。富士山は世界中の人が知っている山ですし、日本人にとっても美しさでも神聖さでも特別な山です。しかも高さも日本一ですからね。その山頂に自分の足で到達できたということは、彼らにとって大きな自信になっていくと思います。
−猪熊さんにとっての富士山はどんなものですか。
私にとって冬の富士山は昔から訓練の場です。新型コロナウイルスの感染拡大で断念しましたが、本当は去年の春、予報しながらエベレストに登頂する計画を立てていたんですよ。久しぶりの自分自身の山登りなのでトレーニングも兼ねて何回か冬の富士山に久々に一人で登ったんですが、本当にきつかった(苦笑)。富士山に行くと肉体的にも精神的にも自分の弱さと向き合えるし、本当に鍛えられます。しかも雲を見るのにもすごくいい山なので、気象の面でも鍛えてくれる。私にとって富士山は、いろんな意味で“道場”ですね。
−夏の富士登山で雲を楽しむポイントを教えてください。
富士山は早朝に晴れていても、太陽が登ると下の方から雲が湧いて、8時くらいには五合目、10時くらいには七合目、正午前後は山頂へと雲が上がっていくことが多いので、雲海と追いかけっこしながら登るのは楽しいんじゃないかと思います。積乱雲の発生と発達が富士山からはイメージしやすいし、吊るし雲とかレンズ雲とかいろんな雲が見られるので、疲れてきたら足を止めて雲をぜひ眺めてください。気をつけてほしいのは雷雲です。山梨県側では、甲府盆地で熱せられた空気が御坂山塊によって上昇させられ雷雲に発達します。静岡県側では、上昇気流の起きやすい愛鷹山と富士山の間や宝永山の御殿場側で雷雲が発達する。雷雲を見つけたら、それが富士山に向かってこないかどうか、用心してほしいですね。静岡県側にいると山梨県側から来る雷雲は直前まで見えないので、怪しい雲が山頂の向こう側にかかり始めたら雨雲レーダーをチェックしてください。また、登り始める前にレンズ雲とか吊るし雲とか笠雲ができていたら、そこではかなりの強風が吹いているので、どこまで登るか、慎重に考えてほしいですね。
-どこから見る富士山が一番好きかを、最後に教えてください。
三つ峠とか河口湖側からの富士山です。均整が取れていて本当に美しいと思います。一昨年、エベレスト登山の高所順応も兼ねてエクアドルのコトパクシに登ったんですよ。キリマンジャロと同じ標高で、活火山としては世界で一番高い山です。山の形は富士山によく似ていますが、美しさでは富士山にとても敵わない。富士山は見ているだけでも十分満足できる山ですよね。
いのくまたかゆき 1970年 新潟県出身 中央大学法学部に入学後に山岳部に入部。大学3年の冬、合宿中の富士山で滑落し、左足粉砕骨折と凍傷を負う。その後、チベットのチョムカンリやエベレスト西稜(7700m付近まで)を登る。2007年、気象予報士の資格を取得し、2011年、日本初の山岳気象専門の株式会社ヤマテンを設立。また同年、母校の中大山岳部の監督に就任。『山岳気象予報士で恩返し』(三五館)、『山の観天望気』(ヤマケイ新書)など著書多数。朝日新聞の新潟版と長野版でコラム「空の百名山」も連載中。国立登山研修所専門調査委員及び講師でもある。この夏は、障がいを抱えながら高所登山を実践する兵庫在住の登山家・片山貴信氏が開催する小学生を対象にした富士山でのイベントにサポート参加する予定。
ヤマテンHP: https://www.yamaten.net/
空の百名山HP: http://sora100.net
東北の高校生の富士登山HP: https://junko-tabei.jp/fuji
(今年の「東北の高校生の富士登山2020/2021」は7/27(火)〜7/29(木)の日程で開催されます)