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富士山インタビュー

富士山で田部井淳子さんに言っていただいた「一歩ずつ進めば必ず頂上に着く」という言葉が、今も心に残っています

「東北の高校生の富士登山」は、2012年夏、福島県出身の登山家・田部井淳子さんの呼びかけで始まったプロジェクト。
前年の東日本大震災の影響を受けた、東北の未来を担う高校生たちに、富士登山の経験を通して何かを感じてほしい、それをそれぞれの人生や社会にいかしてほしいという思いが出発点だったようです。
その数が1000人になれば、東北復興の大きな力になるのではないかとも、生前語っていらっしゃいました。
2017年以降、淳子さんの遺志はご子息の進也さんに受け継がれ、参加者は昨年8月で延べ575人に達しました。
8回目となる今年は、100人を超える東北の高校生が富士山頂を目指します。
OGの鈴木千紘さんとOBの佐藤優之介さんに、それがどんな経験だったかをうかがいました。
写真:河内彩/取材・文:木村由理江

富士山では見たことのない景色にたくさん出会いました

−「東北の高校生の富士登山」に参加しようと思ったきっかけは?

鈴木 高校3年生の夏に、学校の掲示板のポスターで、高校の先輩でもあり憧れでもあった田部井淳子さんと一緒に富士登山できることを知って興味を持ったのが始まりでした。何に関してもネガティブに捉えてしまいがちな自分を変えたいという気持ちもあったので、いいきっかけになるといいなあとも思っていました。それで仲のいい同級生、男女合わせて10人くらいで参加しました。
佐藤 僕は高校1年の時に山岳部の顧問の先生に「こんなのがあるよ、行ってみたら?」と勧められて同じ山岳部の友達と一緒に2人で参加しました。結局1年目はまっすぐ立っていられないような風と痛いくらいの雨で、泊まった六合目の山小屋からほんの少し登っただけで下山したんですけどね。その時に田部井淳子さんが「こんな天気を体験できるなんて貴重だよ」とおっしゃっていて、僕も本当にいい経験ができたと思っています。一歩踏み出すことで思いもかけない世界が広がっているんだと実感して、次の年はクラスのみんなにも声をかけて4、5人で参加しました。

−初めて間近で富士山を見た時にはどう思いました?

鈴木 「え、高すぎじゃない? これ、登れるかな・・?」みたいな感じでした(笑)。
佐藤 1年目にバスで五合目に着いた時は雨で全然姿は見えませんでしたけど、下山してホテルに泊まった翌日は嘘みたいに晴れていて、「あ、テレビで見た富士山だ〜」って。本当にきれいでしたね。

−一番印象的だった景色は?

佐藤 雲海かな。1年目に五合目に着いたらすでに雲の上で、まずそれにびっくりしました。2年目も朝、山小屋を出たら雲海が広がっていた。すごくきれいでしたね。
鈴木 雲海は本当に神秘的でした。見たのは初めてだったので、とても感動しました。他にも、登っている時に遠くに見える景色とか岩だらけの富士山の様子とか、どれも見たことのないものばかりで新鮮でしたね。
佐藤 あと、森林限界を超えたらピタッと植物がなくなって岩だらけの世界が広がっていたり、絶対に溶けないと言われている万年雪があったりもして、どれも富士山じゃないと見られないものだなあ、と感動しました。

−大変だったのはどんなことですか。

鈴木 山頂はそこに見えているのに登っても登ってもたどり着かないところです。それで何度もめげそうになりました。そのたびに(田部井)進也さんに「あとどれだけ歩いたら頂上に着くんですか」と聞くんですけど、進也さんは必ず「もうちょっとだよ」みたいな。そんなやりとりを繰り返しながら、結局3時間くらい歩きました(苦笑)。でも、進也さんのその一言で、辛さがパワーに変わったのも事実です。進也さんの何でもポジティブに変えてくれるところが、大きな力になりました。
佐藤 進也さんは本当にすごいんですよ。他の人の分の荷物を持って登山道を行ったり来たりしながら全ての班を見ているのに、全然弱音を吐かないですからね。僕がとても残念だったのは、男子と女子は班が分かれていて、出発時間も別だったので、女子を励ますことができなかったことですね(きっぱり)。

−言い切りましたね(笑)。

鈴木 すごい(笑)。
佐藤 僕が通ってた高校はイギリスの女子校が姉妹校なんですよ。高校2年の7月に2週間、その姉妹校で現地の学生と交流した僕は、ある意味、イギリス仕込みのジェントルマンですからね(笑)。代わりに、と言っては何ですが、僕は体力的に余裕があったので、同じ班のみんなを助けたり励ましたりしていました。

いろんなおしゃべりをしたり、励まし合えたのがよかったです

−「東北の高校生の富士登山」はほぼ登山初体験の高校生を登山経験豊富な大人が支えます。その関係はあくまで“仲間”だそうですね。大人の人たちともいろんな交流がありましたか。

佐藤 ええ。進也さんを始め、大人の人たちもみんな楽しい方ばかりでした。
鈴木 職種も年代も違う大人の方たちがたくさんいて、いろんなお話が聞けたのはとても楽しかったです。
佐藤 山での楽しみって、ご飯と会話くらいだと僕は思っているんですよ。大人の方に限らず、同じ班の人と会話をするのもすごく楽しかったし、別の班を追い越したり追い越されたりする時に、お互いに「頑張ろう」、「頂上で会おう」と声を掛け合ったり励まし合えたのもよかったです。
鈴木 確かに会話や励ましの言葉は力になりましたね。登山道ですれ違う人たちも、挨拶したり、励ましてくださったりする温かい人たちばかりで、登山っていいなあと思いました。

−お二人は田部井淳子さんとも一緒に登られたんですよね。淳子さんのことで印象に残っているのは?

佐藤 今でも僕の心に残っているのは、1年目も2年目もおっしゃっていた、「人によって歩幅や歩くスピードは違うかもしれないけれど、登山は一歩一歩踏み出していけば必ず頂上に着く。これからの人生も、一歩一歩踏み出していきなさい」という言葉ですね。
鈴木 私も「一歩ずつ進めば必ず頂上にたどり着く」という言葉です。私たちの班は高山病で具合が悪くなってしまう人が多くて進むのにけっこう時間がかかったんですけど、私たちの後ろを歩いていた淳子さんが何度もそう声をかけて励ましてくれました。自分たちでも「一歩ずつ頑張ろう」を合言葉に登ったことを覚えています。淳子さんは高校の先輩でもあったので、下山した後にみんなで肩を組んで校歌を歌ったのもすごく印象に残っていますね。

−みなさんの楽しそうな表情が容易に想像できますね。

鈴木 当時の淳子さんは癌の闘病中だったにもかかわらず、登りながら誰よりも高校生に声をかけていらっしゃいました。それがどれだけ大変なことだったか、今、自分が看護師として働いてみてよくわかるし、今、改めてあの時の淳子さんのすごさを感じています。

−佐藤さんの2度目の富士登山は、淳子さんの最後の登山にもなりました。

佐藤 入院中にもかかわらず駆けつけてくださっていたことは、あとからドキュメンタリー番組で知りました。当日、淳子さんは僕らより先に元祖七合目まで登っていて、そこで僕らを見送ってゆっくり下山された・・。僕らが下山した時に、一人ひとりと握手して声をかけてくださった姿は、今でもしっかり心に残っています。僕は当時から後悔しないように何にでもチャレンジするタイプでしたけど、あの時、もうちょっと淳子さんとお話しできていたらな、と思いますね。

富士登山の魅力は、人生や考え方が変わるところですね

−富士登山を通してどんなものが得られたか、教えてください。

鈴木 今までにない達成感を味わえたし、本当に貴重な経験ばかりでした。たくさんのことを学びましたけど、一番大きかったのは、挑戦することと諦めないことの大切さです。一歩ずつ、ひとつずつ乗り越えていけば必ず目標や夢は実現できるんだと思うようになりました。看護学校卒業後、すぐに看護師になる道もあったのに大学に進んで養護教諭の免許を取ったのは、保健室の先生になりたいという夢に挑戦しようと思ったから。その挑戦ができたのも、富士登山の経験があったからだと思います。保健室の先生になるにはもっと看護師としての知識や経験を増やしたほうがいいと考えて、今年の4月から病院で看護師として働いています。できないことばかりでめげそうになる時もしょっちゅうですけど、“私には富士山に登れた強いメンタルがあるから大丈夫”とポジティブに捉えています。精神的にもすごく強くなれたと思います。
佐藤 1年目、今回は登頂を目指さないという話を淳子さんが僕らを集めてされた時に、“磐梯山じゃなくて日本一の富士山にこだわる理由”みたいなことも話されたんですよ。淳子さん自身が、女性だけのチームで、女性初のエベレスト登頂にこだわった時の話もされた。影響を受けて僕も“妥協をせずに一番を目指したい”、“誰もやってないことをやりたい”と強く思うようになりました。それは僕にとってとても大きなことでしたね。

−富士登山の魅力はどんなところにありそうですか。

佐藤 人生や考え方が変わるところですね。とくに「東北の高校生の富士登山」というプロジェクトに参加して登ったことが大きかったと思います。苦しく、厳しいこともある中で、たくさんの大人の方から温かい励ましの言葉をいただいて、少しずついろんなことが変わっていった気がするので。
鈴木 確かに。あとやっぱり日本一の山に登ったという達成感も、自分の考えを変える大きなきっかけになると思います。

−また富士山に登りたいですか。

鈴木 登りたいです。看護師としての経験を積んだら、「東北の高校生の富士登山」に看護師として同行して生徒さんを支えたいですね。
佐藤 僕は今、あまり山に登っていないんですが、そのうち富士登山をしたことのない友達を連れて、みんなをサポートしながら登りたいですね。その時には僕も、ここぞ、というタイミングで、温かい言葉をかけたいです(笑)。

−最後に、お二人の将来の夢を教えてください。

鈴木 ゆくゆくは保健室の先生になりたいです。今、教室には入れないけれど保健室には行ける、という生徒さんも多いみたいなので、生徒さんたちの心と体に寄り添えるような関わりができたらな、と思っています。
佐藤 僕は誰もやってないような新しいことをしたいですね。あと、起業もしたいかな(笑)。ただし僕はあくまで技術的なサポートで、経営はスペシャリストに任せます。考えているのは、新しいエネルギーの研究や開発です。福島出身でもあるし、そのことは高校の頃からずっと考えていました。そのための勉強を、これからもっとしていきたいですね。あとは、温かい家族と一緒に楽しみながら笑顔で過ごしたいです。

鈴木千紘・佐藤優之介
すずきちひろ・さとうゆうのすけ

すずきちひろ 1996年 福島県生まれ。東日本大震災当時は中学2年生。福島県立田村高校卒業後、看護専門学校で3年間学び、看護師免許を取得。その後、山形大学養護教諭特別別科で学び、養護教諭免許を取得。2019年4月から福島市内の病院で看護師として働いている。明るく柔らかい雰囲気の持ち主。趣味は、富士登山をきっかけに興味を持ったキャンプやドライブなどのアウトドア。座右の銘は「やるからには全力で」。

さとうゆうのすけ 1999年 宮城県生まれ 東日本大震災当時は小学5年生。福島県立福島南高校卒業。現在は東北大学工学部化学・バイオ工学科2年在籍。東北大学生協学生委員会や高校生支援団体bridgeに所属し、「絶大なリーダーシップも発揮」しているそう。ユーモアに富み、趣味は「恋バナ」と笑う。座右の銘は? の質問には首をひねりつつ、“この日限定”ということで「一期一会」を挙げた。

東北の高校生の富士登山HP
http://junko-tabei.jp/fuji/

東北の高校生の富士登山 クラウドファンディングのサイト
https://a-port.asahi.com/projects/fujitozan_tabei/

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長

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