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富士山インタビュー

富士登山競走を愛してくれるランナーのみなさんの存在がなによりの励みです

7月28日(金)に開催される第76回富士登山競走。
3年ぶりだった去年は参加ランナーの数を抑えての開催でしたが、
今年は規模も中身もほぼコロナ禍前に戻して開催されます。
「今年は富士山の世界遺産登録10周年の特別な年。
それに相応しい、みんなに喜んでもらえるレースを開催したい」と、
主催である富士吉田市の実行委員会事務局主担当の上小澤翔吾さんの言葉には力が入ります。
富士登山競走と参加ランナーの方たちへ熱い想いが伝わってきました。
写真:井坂孝行/取材・文:木村由理江

自分自身の限界点を超えた先の景色や
新しい自分自身に出会うことができるレースです

−“富士登山競走”はどんなレースが教えてください。

 日本最高峰の富士山を走って登る、日本でただ一つの登山競走です。五合目コースは距離約15km、標高差約1480mを3時間半以内に、山頂コースは距離約21km、標高差約3000mを4時間半以内に走破しなくてはいけません。一度も下ることなく山頂まで一気に駆け上がる山頂コースは“日本一過酷”と言われ、完走率も5割以下。でもだからこそ、「過酷に挑む価値がある」という大会スローガン通り、自分自身の限界点を超えたその先の景色や、新しい自分自身に出会うことができるレースだと思います。

−エントリーは先着順。エントリーも難関と聞きました。

 インターネットサイトで受け付けていますが、コロナ禍前は五合目コースと山頂コース、合わせて3776名の一般参加枠は15分以内に埋まっていましたね。市民や市出身者、外国人のために特別枠も設けましたが、そちらもすぐに定員に達していました。今年はほぼコロナ禍前の定員に戻して募集しましたが、6月上旬の段階で、山頂コースにはまだ余裕があります。コロナ禍で十分なトレーニングができなかったランナーの方たちが競技に戻るまでには、少し時間がかかるかもしれないですね。

−参加ランナーには有名選手も多いそうですね。

 日本を代表する山岳レースの選手の方は以前から参加されていましたが、経験の少ないランナーによる事故を防ぐために山頂コースに参加要件を設けた2010年以降、ランナーのレベルと競技性が一気に上がり、世界で活躍するトレイルランニングやスカイランニングのランナーが毎回出場してくれています。彼らと一緒に走ることは一般のランナーの方たちにとって貴重な機会であり、楽しみの一つでもあるようです。また山頂コースの完走者に贈られる非売品の“完走Tシャツ”は、一般のランナーの方にとって金メダル級の価値があり、そのTシャツで別の大会に参加すると一目置かれることもあるという話を聞いたことがあります。コース前半はロードで、中盤から後半は登山道というコースなので、ペース配分などトータルバランスを考えてレースを組み立てないと順位も上げられないし完走もできない。過酷さだけでなくその難しさとおもしろさを世界中のランナーたちが知ってくれているのかもしれないですね。

富士吉田市を訪れるランナーを、市を挙げて“おもてなし”しています

−第1回富士登山競走は終戦から3年後の1948年。きっかけは?

 地元有志の方たちの「地元に活力を」という働きかけを受けた山梨時事新聞社(1946〜1969)さんの社内で出た「日本の象徴である富士山を走って登ったら何時間で頂上に着くだろう」という素朴な疑問から始まったと聞いています。主催は山梨時事新聞社さんで、第1回大会の優勝賞金は1万円。大卒の初任給が約5000円だった時代です。また山梨時事新聞社さんが優勝タイムの予想に懸賞金を出すなど、黎明期から町を挙げて盛り上がっていたようです。ちなみに優勝したのは17歳だった地元の早川昭和さんで、富士吉田駅から山頂までの約20kmを3時間10分で走っています。

−現在、富士登山競走の主催は富士吉田市。自治体主催のレースは珍しいですよね。

 富士吉田市発足から2年後の1953年(第6回大会)から市の共催になり、市制祭行事の一つになりました。主催は1969年(第22回大会)からです。イベント会社に委託せず、市が手弁当でやっているのは確かに珍しいと思います。第1回大会から、旧上吉田町の自治会、婦人会、青年団、消防団の方たちが中心となり、町総出で運営に当たっていたようですし、市の主催になってからも市民のみなさんがボランティアで大会を支えてくださっていて、当日は市の職員も総出に近い状態です。日本中、世界中から富士吉田市を訪れるランナーの方たちを、行政と市民のみなさんで“おもてなし”しているという感じですね。僕は3年前から富士登山競走の担当で今年が初めて主担当ですけど、富士山の世界遺産10周年という記念すべき年に相応しい大会にしなくては、と責任を感じています。

−主催者として最も難しさを感じるのは?

 やはり五合目以降の登山道の安全性です。身体に大きな負担がかかるレースで、十数年前にランナーが心臓発作で亡くなるという痛ましい事故もあったこともあり、万全の救護体制を整えています。あと比較的天候が安定している時期の開催とはいえ、変わりやすい山の天気は自分たちにはどうにもできないので、大会前に山小屋さんにご挨拶に伺う時に、山頂の久須志神社で毎年大会の安全を祈願し、お祓いを受けています。幸いなことにこれまで、五合目コースと山頂コースの両方が雨で中止になったことは一度もないんですよ。

−上小澤さんが子どもの頃も、富士登山競走の日は町中が賑わっていたんですか。

 幼稚園くらいの頃の記憶ですが、祖母に連れられて山頂コースと五合目コース両方の応援に何度か行きました。スタートが朝早いので眠い目を擦りながらでしたけど、新聞社さんが渡してくれる旗を振って応援したこと、ランナーの方が手を振ってくれたりタッチしてくれたことがすごく嬉しかったです。どんなレースか、当時はまったく分かっていませんでしたけどね。

−今年は市民の方たちも沿道で応援できそうですか。

 去年は新型コロナウイルスの感染拡大もあり沿道の応援は推奨できませんでしたけど、今年は制限もありませんから、多くの市民の方が沿道で応援してくれると思いますし、市民とランナーの方たちの交流の機会も増えると期待しています。

日本一過酷な富士登山競走は、自分が主人公になれる最高の冒険の舞台

−上小澤さんは富士山に登頂したことは?

 2021年に一度だけ。中止になってしまった第74回大会の開催日に、開催していたらランナーのみなさんにどんな景色が見えていたか確かめようと、事務局のみんなで登ったんですが、むちゃくちゃキツかったです(苦笑)。でもその時に、「歩いて登るのさえ大変なこの道をランナーのみなさんは走って登っているのか、なんてすごい人たちなんだ!」と実感しました。山頂から見た景色と山頂で食べたカレーの味は、多分一生忘れないと思います。その日、一人登山競走をしている何人かのランナーの方たちに「来年は必ず開催してくれ」とお声をかけられ、「この人たちのためにも絶対に」と開催を心に誓ったことも、よく憶えています。

−今年はコロナ禍前とほぼ同じ形で開催できるとのこと。よかったですね。

 本当によかったです。中止になった2大会は、参加料を全額返還できなかったことに厳しいお言葉をいただいたりもしましたけど、それ以上の励ましのお言葉をメールやお手紙やお電話でいただいてありがたかったです。去年も、感染者の急増で開催できたのはレースだけで、表彰式などはすべて中止になりましたけど、下山してきたランナーの方たちから「開催してくれてありがとう」とたくさんお声をかけていただき、すごく嬉しかったです。開催直前1ヶ月はかなりのハードワークでしたが、それがすべて報われた気がしました。富士登山競走を愛してくれるランナーのみなさんの存在が、なによりの励みになっています。

−上小澤さんが大変な熱意で富士登山競走に取り組まれているのを感じます。

 それはランナーのみなさんが本当に一生懸命やられているからです。日々のトレーニングを怠らず、いろんなものを犠牲にして自分自身とも大会とも向き合っていらっしゃる。そういう方たちの期待に応えるにはこっちも一生懸命やらないと失礼だろう、と。僕はカーレースが好きなんですが、世界一過酷なカーレースと言われたパリ・ダカール・ラリーの創設者が、第1回開催の時に語った「私が冒険の扉を示す。開くのは君だ。望むなら連れていこう」という言葉を、この仕事を始めて真っ先に思い出しました。富士登山競走は自分自身を試し、自分自身を表現できる、ランナーのみなさん一人一人が主人公になれる冒険の舞台です。僕たち事務局にできるのは冒険の扉=最高の大会を用意することだけ。そのためにできることを精一杯、やっていきたいと思っています。

−富士登山競走は今後、どんな大会になっていったら嬉しいですか。

 富士吉田市と姉妹都市のフランスのシャモニーで毎年開催されている、UTMBというトレイルランニングの大会があるんですよ。世界中からものすごい数のランナーが参加して、その期間中、シャモニーの街はずっとお祭り状態が続く。総走行距離が約170kmなので優勝者から最後尾の選手のゴールまで24時間以上の差がありますが、市民の方たちは最後のランナーを盛大な拍手で迎えるんです。その様子を一度テレビで見て、すごく感動しました。富士登山競走もレースを核に、市民と参加ランナーがともに盛り上がれる唯一無二のイベントとして成長できればと思っています。

−今、どんな思いで富士山を見ていますか?

 (振り返って窓越しの富士山を見ながら胸の前で手を合わせて)「富士登山競走を安全に開催できるように見守ってください」ですかね。そう思いながら毎日準備をしています。

-好きな富士山は?

 地元から見る富士山が一番きれいだと思っていますけど、とくに雪に覆われた冬の富士山が雄大できれいで好きですね。小学生の担任の先生に「富士山の標高は“みななろ”と憶えるんだよ。みんなにも富士山のような雄大な人になってほしくて3776mになったんだよ」と言われた時には強引なこじつけにしか思えませんでしたけど、今、富士山を見ていると確かにこんな雄大な人になりたいと思う。富士山は僕にとって励まし、力を与えてくれる存在ですね。

上小澤翔吾
かみこざわしょうご

かみこざわしょうご 1994年 富士吉田市生まれ 県立吉田高校卒業後、専修大学法学部へ進学。地元を離れて地元のよさを再確認できたことと、人の役に立つ仕事をしたい、できれば地元の人たちのために、との想いから2017年に富士吉田市役所に奉職。2021年から富士吉田市教育委員会生涯学習課スポーツ振興担当として富士登山競走事務局に。趣味はカーレース観戦。小学生の頃から富士スピードウェイに通っているという筋金入り。
富士登山競走HP https://fujimountainrace.city.fujiyoshida.yamanashi.jp
(今年は前日受付も復活。参加するトップランナーによるトークショーも開催)

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事
橋都彰夫半蔵坊館長・わらじ館館長
上小澤翔吾富士登山競走実行委員会事務局
杉村知穂富士宮市教育委員会教育部文化課
河野格登山ガイド

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