−“富士山を撮り始めたきっかけを教えてください。
2014年にフォトスクールで一緒だった仲間が、富士山でカレンダーを作りたいと言い出して、一緒に撮るようになったのがきっかけです。フォトスクールに入った時は何を撮っていいのかわからず、習ったあとも1年くらいカメラに触れずにいたんですが、富士山を撮っているうちにだんだん楽しくなっていったんですね。とくに、夜は見えないと思っていた富士山が、写真でくっきり撮れるとわかったのは大きかったです。富士山大好き! と言っていたのに、まだまだ知らない富士山がたくさんあることに気づかされて、富士山を撮ることにのめり込んでいきました。知り合いに勧められて出したフォトコンテストで入賞したのも、大きかったです。写真や富士山に詳しい人に評価してもらえることも新鮮でしたし、いろんな人が写真を見て喜んでくれることが嬉しくて。2016年にはほぼ月1のペースで、2017年の初めくらいから新型コロナウイルスの感染が拡大するまでは、毎週のように山中湖に来て富士山を撮っていました。
−富士山との出会いも教えてください。
看護学生をしていた18歳の夏に、ある大学の医学部が夏の間だけ山中湖に開く診療所のボランティアに応募して来てみたら、七合目半にも救護所があって、スタッフが交代で行き来していたんですね。私も救護所に行ってみたくなって、“富士五湖を回ってゼロ合目の冨士北口本宮浅間神社から救護所へ行く”という診療所の企画に、飛び入りで参加させてもらいました。
−かなりハードそうですね。不安はありませんでしたか。
土地勘が全然ないままノリで参加を決めたので、それぞれの湖の大きさ、距離の長さに驚きました(笑)。初日の8月10日に山中湖から河口湖を通って西湖に行き、野宿した翌日は精進湖、本栖湖と回って最後は車で山中湖に戻り、3日目に富士北口本宮浅間神社から七合目半の救護所へ。山頂には翌朝行きました。4日間、歩いたことになるんですね、ふふふ。愉快なメンバーだったし、救護所の業務も楽しかったし、救護所からご来光も見られたし・・。それで一気に富士山のファンになって、夏は毎年、山中湖の診療所でお手伝いするようになりました。
-しかしその3年後、看護師の国家試験に合格したばかりだった関口さんは左大腿骨のがんと診断されます。手術の前に外泊許可をとって山中湖に来られたそうですね。
とにかく富士山に会いたい、という一心でした。骨肉腫という病名も、すでに肺に転移があるのも知っていましたから、もう最後かもしれないと思ったし、手術の結果、自分の足がどうなるかもわからなかったので、自分の足で大好きな富士山を見に行きたい、そして目に焼き付けてこよう、と思っていました。
-どんなことを思いましたか。
山中湖から見る富士山は大きいので、自分という存在が小さく感じられるんですよ。死でさえも、大きなことに思えないんですね。あれこれ悩むより治療をがんばればいいと、それまで揺らいでいた気持ちが固まった気がします。帰る時には、必ずまた富士山に会いに来ようと心に決めていたし、そう思っていたから治療もがんばれました。今でも何か悩みがあると富士山を見に来ます。こんなことがあって・・と富士山に語りかけているうちに、自分の中を整理できるし、自分の本当の気持ちが見えてくるんですよね。
−闘病後、予定から2年遅れで看護の現場に立たれたそうですが、そもそもどうして看護師を目指したんですか。
高校生くらいの時にテレビで見たマザー・テレサに憧れて、私も海外の途上国で困っている人たちのために働きたいと思って看護学校に進学しました。できれば助産師の資格もとって、出産で危険に晒される母子を助けたいとも思っていました。でも手術で整備された国内の道路ですら思い通りには歩けなくなってしまったので、今の自分でできることをしようと、国内で看護師をする道を選びました。でも私はがんの場所が足でラッキーでした。看護って“看”の字を見てもわかるように、まずは“手”と“目”なんですよ。だから闘病中も、看護師の仕事はできる、と思っていました。
-手術のあと、富士山には登られたんですか。
2度、登りました。夏に山中湖の診療所でお手伝いをしていると、七合目半にある救護所にどうしても行きたくなってしまうんですよ。岩場が出てくるのは七合目に入ってからで、それまではずっとなだらかなのを知っていますから、ゆっくりなら登れるんじゃないかと思って、2005年に救護所まで登りました。でもそこまで行くと、どうしても山頂を目指したくなるんですよね(笑)。それでジムに通ったりして筋力や心肺機能を高めて、2007年、山頂まで行きました。(主治医の)先生には反対されましたけど、いろんな方がサポートしてくださったから実現できたことですし、みんなには本当に感謝しています。自分の体と相談しながらにはなりますが、機会があったらまた登りたいと思っています。
-関口さんの意思を貫く強さに、私も背筋が伸びるようです。
最初の手術の時に、自分の意思ではない何かによって富士山に行くことを断念させられたことが、すごくショックだったんですよ。その時に“やりたいことはあと回しにしてはいけない、諦めてはいけない”と心に刻みました。病気になって教わったことは、たくさんありますね。写真だって、病気になっていなかったら、やっていなかったかもしれないし。
-というと?
最初は自分が撮った富士山の写真を見ることで自分が癒されていましたけど、その写真を見て喜んでくれる人たちがいるとわかったら、そっちの方が自分にとってどんどん大切になっていったんです。富士山の写真を通して伝えたいことも、はっきりしていきました。例えば、かつての私と同じ状況にある人たちには、“私もひとりの患者としてがんばったよ、あなたもやりたいことを諦めないで”とか。病気になって患者さんの立場に立てたことが、看護師としての仕事にも写真を撮ることにも活きています。今、元気だから言えることですけど、(人生に)無駄なことは何もないな、と思います。
−“AYA世代(Adolescents and Young Adults=思春期・若年成人を意味する15歳から39歳を指す)の患者さんたちの精神面でのサポートにも、積極的に関わっていらっしゃるようですね。
私が病気になった頃は、今ほどインターネットが普及していなかったこともあって自分が欲しい情報をなかなか得られなかったし、同世代の患者さんと交流する機会がほとんどなくて孤独を感じたりしていたんですね。そういう私の経験が誰かのお役に立てばと思って、ちょっとだけ闘病する人に向けたブログを書いていたこともあります。今は、勤めている病院で2年くらい前に立ち上がったAYA世代のサポートチームで活動しています。同じような年代で、同じような治療を頑張っている人がいるというのは、本当に大きな励みになるんですよ。
−さらにこの先、看護師さんとしてやりたいことがあったら教えてください。
入院患者さんの写真を撮ってプレゼントできないかな、と考えています。辛いことが多い治療中も、ほっとしたり笑顔になれる瞬間はあるんですね。だからその表情を撮らせてもらいたいな、と思っています。闘病中の写真は、患者さんがそこでちゃんとがんばったひとつの証として力を与えてくれるというのは、私の実体験でもありますから。私が勤めているのはがん専門病院なので、辛い結果になってしまうこともありますが、その写真がいずれは残されたご家族の気持ちを癒せるといいな、とも思うし・・。今は勝手に妄想を膨らませているだけで、患者さんがそれを受け入れてくれるのか、どういう形でなら可能なのかはまだまだこれからですけど、写真というツールを使うことでも患者さんの役に立てたらいいなと思っています。
−好きな富士山、撮りたい富士山を教えてください。
一番好きなのは朝日を浴びて光っている富士山です。朝と太陽が持つ希望的なイメージを求めているのかもしれない。季節は夏と冬。中でも冬の山中湖からの紅富士は格別です。でも、夏も冬も赤くなるのは一瞬だけですぐに色が変わってしまうので、タイミングを逃さないようにと、いつも緊張します。
−最初に朝の富士山を見たのはいつですか。
初めて山中湖の診療所に来た時です。4時半くらいの日の出に合わせてみんなで早起きをして、近くのパノラマ台から毛布にくるまって赤富士を見ました。火山特有の赤い山肌が朝日を浴びて本当に鮮やかな赤に染まっていたのをよく覚えています。
−山中湖以外の撮影スポットでお気に入りはありますか。
いろいろありますけど、近くだと精進湖。最近、ちょっと遠くから富士山を撮る楽しさにも目覚めたので、千葉とか茨城とか、秋になると長野に行ったりもします。見える確率は減りますけど、見えた時はいつもと全然違う風景が撮れるので嬉しいですね。
-関口さんが考える富士山の魅力は?
う〜ん。富士山の自然が持つエネルギーや光の加減で変わっていく表情の豊かさに、魅力を感じているのかもしれないです。あとは絶対的な存在感、ですね。火山ですからこの先何があるかわかりませんけど、家に帰ったら母がいるみたいに、いつでもそこにいてくれるという安心感は大きいです。なにしろ富士山には見る人すべてを惹きつける不思議なパワーがありますよね。昔から信仰の対象になっていますけど、私にとっても富士山は神的な存在です。神頼みより富士山頼みをすることの方が多いです(笑)。
-その気持ち、少しわかります(笑)。
とにかく私は富士山が趣味なんですよ。たまたま写真を習ったので写真を撮っているだけで、富士山を見るでも描くでも、富士山に関われるならなんでもいいんです(笑)。
-いっそ富士山の近くに移住するというのはどうですか。
転職のたびに富士山に近い病院にしようかな、と考えますけど、近くにいるのに仕事で撮影ができないことをもどかしく感じそうで・・。今は週末に山中湖に来ることを楽しみに、平日は東京で仕事に集中するのがいいのかな、と思っています。
-週末は恋人に会いに来る、みたいな感じですね。
そうですね。よくそう言われます(笑)。
せきぐちようこ 1981年 東京都出身 都内の高校を卒業後、看護学校に進学し、21歳で看護師の資格を取得。国家試験合格発表直後に、左大腿骨の骨肉腫と診断される。手術と抗がん剤治療を経て23歳から病院で勤務。現在は自身も治療を受けたがん専門病院で、手術室の看護師をしている。写真を始めたのは2014 年で、2016年から富士山の写真を撮るようになる。その後、フォトコンテストでも度々入賞。勤務している病院の写真部でも活動中で、院内で写真が展示されている。2021年には初の写真展「関口陽子写真展 1/f」を富士フォトギャラリー銀座で開催(1/29〜2/4)