−さっそく展示をご案内いただきありがとうございました。本当に富士山の絵ばかりですね。
絵画を通して日本の宝である富士山の豊かな自然や美しさを多くの人に伝えたい、その文化的な価値を世界に向けて発信したい、富士山を愛する人たちが集い、自然や芸術に触れられる場所でありたいという理念のもとに設立された美術館なので、本当に富士山の絵画しか展示していないんです(にっこり)。
−収蔵作品は何点くらいなのでしょう?
約400点です。富士急行(株)と(公財)堀内浩庵会、それぞれが40年以上かけて収集したおよそ200点の近現代の富士山の絵画をもとに開館し、その後、歌川広重や葛飾北斎の浮世絵のシリーズものなどを含め、収蔵作品を増やしてきました。富士山をたくさん描かれた片岡球子さんなど例外は何人かおられますが、展示は1画家1作品が基本でして、収蔵も画家ひとりにつき1作品としています。
−1画家1作品の展示にこだわっている理由は?
毎回70点前後の異なる画家が描いた富士山の作品を一度に見ていただくことで、ただひとつしかない富士山をいかに多くの画家が描いているかを感じていただけると思いますし、それぞれ異なる切り口で描かれていますから、富士山が画家に与えるインスピレーションの豊かさもご理解いただけるのではないかと考えています。
-確かにそうですね。個人的には富士山の絵画のみで展示を構成する難しさもありそうだと感じました。それを考える楽しみもあるのでしょうけど。
今年の7月で開館から丸19年になりますが、他館から作品は借りない、企画展示は毎回新しいテーマで、収蔵展示も新しい切り口で、というポリシーで年に4回の展示替えを続けてきていますので、正直、展示替えでは毎回、頭を悩ませています。いつも富士山のことを考えていますし、どこかにヒントがないかと常にアンテナを張っています。“もう出尽くしたんじゃないか?”と追い込まれ、“いや、まだこのテーマや切り口があった!”と胸を撫で下ろす、の繰り返しです。展示替えの作業も、なかなか大変なんですよ。小さな美術館なのでスタッフ総出で作業を行いますが、考え抜いたはずの展示の順番も実際に作品を並べてみるとしっくりこないことが多々あるので、何度も作品を掛けたり下ろしたり移動したりしなくてはいけない。作品の入れ替えには大体10日間くらいかかりますが、毎日スクワットの連続で腿がパンパンになります(苦笑)。移動時は作品が事故に遭う危険性も高いので、緊張感もありますしね。無事に入れ替えが終わると本当にホッとします。
-河野さんが一番好きな収蔵作品は?
ここ数年は牛島憲之さん(1900〜1997)の『赤い富士』です。3年ほど前に収蔵した牛島さんの遺作で、柔らかな夕日に包まれた富士山がとても穏やかで静かで温かくて・・。見ていると本当に心が落ち着きます。もっとパンチの効いた作品のポストカードをお守りのように持っていた時期もありました。置かれた状況や精神状態で、好きな作品はどんどん変わっていくのが、自分でもおもしろいなと思います。
−富士山を描きたいと画家たちが思うのはなぜだと思いますか。
日本一の高さで姿形も美しく、見る人に畏敬の念を抱かせる富士山は、日本の美の象徴として多くの人に認知され、しかも誰からも愛され、親しまれている。それだけ特別な存在であり、画家にとっては心惹かれる主題で、挑戦せずにはいられない稀有な魅力があるのだと思います。先ほど話に出た牛島憲之さんは生前、「一度は描かなければいけない対象だとは思いつつなかなか手を出せなかった。85歳を過ぎて初めて、今だったら描けるかもしれないと思い、そこからずっと描き続けている」とおっしゃっています。中には“自分は描かない”と決めておられる方もいらっしゃるようですが、多くの画家にとって富士山は、一度はきちんと向き合いたい対象であり、人生をかけて向き合う対象なのだと収蔵作品を見ていて感じます。
-富士山の作品を鑑賞するポイントを教えてください。
一度にたくさん見る場合は、ご自分の中の富士山のイメージに近い絵を探したり、それぞれの作品の描写の違い、例えば季節とか方角とか時間帯などのバリエーションの違いを楽しむことをお勧めしたいです。写真はそこにあるものを写しますが、絵は現実と違っても全然構わない。その自由度の高さが魅力でもあるので、それぞれの画家が富士山をどう捉えているか、いろいろ想像して楽しんでいただくといいと思います。
-見る方も自由に、ということですね。
そうですね。私は作品を見て感じることはどれも正解で、すべて画家が絵を通して教えてくれることであり、富士山からのメッセージだと思っています。作品には画家のシンプルなプロフィールだけを添えるようにもしていますが、それはできるだけフラットに絵と向かい合っていただきたいから。その時に感じたこと、心に浮かんだことを大切にしていただきたいと思っています。
-もともと美術はお好きだったんですか。
いえ(苦笑)。子どもの頃から不器用で、図工もずっと苦手でした。将来絵に関わる仕事をするなんて考えもしなかったです。ところが入社して2年目にフジヤマミュージアムに配属になり、大学に入り直して学芸員の資格を取得することになり・・。正直、勉強を始めた頃は不安で、「作品と画家のことを知り、それを丁寧に愛することができれば学芸員の仕事はちゃんと務まるはず」といつも自分を励ましていました。お客さまをご案内させていただく時にも、ご説明をすることだけでなく一緒に眺めて共感することを大事にしていますし、普段あまり絵画に馴染みのないお客さまと同じ目線でご案内できるのは自分のいいところだと思うようにしています。絵はきちんと管理すれば未来に残せるものですから、未来を生きる人たちに富士山の文化や芸術を伝える仕事をしているという気概を持って取り組んでいます。
−初めて富士山を見たのはいつですか。
友人と富士急ハイランドに遊びに来た大学生の時だったはずです。中央自動車道の大月ジャンクションを過ぎたら富士山が目の前に見えてきて、それがどんどん大きくなって・・。それまで自分が思っていた富士山と大きさも迫力も全然違っていたので、正直ちょっと怖いくらいでした(苦笑)。
−河野さんのSNSのプロフィール写真は、登山姿で遠くに富士山を望む写真でした。山登りもされるんですね。
福島に引っ越した小学校2年生の頃から家族で近くの安達太良山に登るようになって、山登りはおもしろいなあ、と。こちらに住み始めてわかったことですが、山梨は山登りをする人にとってはすごくいい拠点だと思います。長野の山の登山口にも、車で2時間も走れば着けますから。新型コロナウイルスの感染拡大以降自粛していますけど、シーズンには4、5回、低山に日帰りで登っていて、山頂から富士山を探すのが楽しみのひとつになっています。
−好きな富士山を教えてください。
秋の初めの富士山です。雪が粉砂糖みたいにうっすら積もったり溶けたりを繰り返す2週間くらいの間に、森林限界から下の木々がどんどん色づいていく。その様子が素晴らしくて、富士山の麓に住んでいるからこそ見られる贅沢な景色だと毎年思っています。
−学芸員として富士山と関わってこられて、今、改めて富士山に対して思うことはありますか。
3月10日から5月29日まで「富士 宝永火口と大沢崩れ」というテーマ展示を行っていますが、その企画を考える中で“富士山は日々崩れている”と気づけたことは、私にとってとても大きいことでした。例えば剣ヶ峰の真下から伸びる長さ2.1km、最大幅500m、深さ150mの大沢崩れは国内最大級の沢で、雨風などの気象条件によって現在も、毎年約15万立方メートルもの土砂が崩れています。岩だらけの山肌も同じように日々崩れていて、事故や災害につながらないように作業されている方たちがたくさんいらっしゃる。富士山の美しさは変わらないし、変わらずにいてほしいと願いながらこれまでお客さまに絵画をご案内してきましたが、その姿形は日々、少しずつ変わっている。絵画に描かれた富士山は“変わりゆく自然の一幕”を捉えたものでもあると、新たな視点を得ることができました。100年後には「富士山ってこんな形だったんだ」と見る人が思うかもしれないと考えると、作品を残す意義にまた深みが出てくるというか・・。絵画を通してさらに富士山を好きになっていただくのはもちろん、日々変化している富士山をもっと大事にしようと思っていただけたら嬉しいですね。
こうのさやか 1982年生まれ 転勤族の家に生まれ、幼い頃から三重、愛知、愛媛、福島など国内を転々とし、中高時代は仙台で過ごす。宮城県内の高校卒業後は都内の大学に進学、チアリーディング部でキャプテンを務める。2005年、富士急行(株)に入社し、2010年、学芸員の資格を取得した。他の部署への異動を経て、2019年から再び現職。現在は富士吉田市出身で料理上手な夫と2人暮らし。趣味は読書。「人に伝える仕事なので言葉のバリエーションを増やしたい」との想いもあって、週2冊のペースで読み進む。「埼玉に住む母親と同じ本を読んでは感想を伝えあっています(笑)」。
フジヤマミュージアムHP:https://www.fujiyama-museum.com