−子供の頃から自然が大好きだったんですか。
うちは父も母も兄も姉もボーイスカウトとガールスカウトで、実家は甲子園なんですけど、キャンプにはずーっと行ってました。しかも祖父はボランティアの鬼みたいな人。だからちっちゃい時から自然のことや人のためになることは大好きでしたね。
−富士山との関わりのきっかけもボーイスカウトですか。
高校生のボーイスカウトの最高章である富士スカウト章を取得した時に、同じように富士スカウト章をとった、全国から来た同世代の若者と、今の皇太子殿下がいらした東宮御所を表敬訪問したんですよ。1つしか年の違わない代表の人の挨拶が素晴らしかったのと、同席していた政治家の人たちの「君たちみたいな人たちが日本を変えていかなきゃいけないよ」という言葉に刺激されたんでしょうね。「僕も他の人に負けないように頑張ろう」と思って、日本一の富士山に憧れるようになったんです。大学も富士山のある静岡大学にしました。
−エコツーリズムとの出会いは、なんだったのでしょう。
大学時代、苦手な泳ぎにチャレンジしようと体育会系の部活でダイビングをしていたんですよ。三保の松原沖から見る富士山は最高に美しいのに、一旦潜ると海の底はゴミだらけ。野生生物も好きでしたから、空き缶の中に魚が住んでるのを見て、環境はよくしなきゃいけないな、と。工学部の応用化学科だったので、プラスチックを光触媒で分解させる研究とかもしましたけど、正直、全然おもしろくなかった(苦笑)。で、大学を出てアメリカの大学院に留学中に、地域の人のためになり、自然や環境や文化を守れるエコツーリズムのことを知って、それを自分の仕事にしよう、と決めたんです。20年くらい前の話ですね。
−どこでキャリアを積まれたんですか。
日本の人と世界をつなぎたい、海外でしっかりしたエコツーリズムを作って、日本の人にそこの自然の素晴らしさや文化を伝えよう、と思っていたので、日本で仕事をするつもりはなかったんです。それでご縁のあったハワイのエコツーリズムの会社で、キラウエア火山国立公園のガイドをしていました。この時の経験は、大きかったですね。エコツーリズムで大切な"気づき"を、お客さんに与えるにはどうしたらいいのかを実体験として学ぶことができたし、外から来た人たちに虐げられ、失われていったハワイアンたちの文化が衰退している状況や、エコツーリズムを活用して自分たちの文化を守り、その価値を次の世代に伝えようという素晴らしいハワイアンのガイドたちにも出会えた。あと、今の僕ら以上に日本の文化を大事にされている、日本からの移民の方たちを通して、日本の文化の素晴らしさに気づくこともできましたからね。ただ、政策が変わって労働ビザが出なくなってしまった。それで、日本に帰ったんです。2年くらい滋賀県で企業と組んでエコツーリズムの仕事をしたあとは、富士宮にある自然学校で外国人を対象にした富士山のエコツーリズムのガイドをしたり、JICAの専門家として海外のエコツーリズム開発に関わったりしてました。
−一般社団法人エコロジックは"地域コミュニティから世界のエコツーリズム開発をリードする"組織だそうですが、具体的にはどんなことをしているんですか。
10年前、米国に本部を置く世界銀行の依頼を受けて、各地域でのエコツーリズムガイド育成のための教材を、世界の専門家から情報を集めて、作成することになったんです。世界遺産はいつもオーバーユーズの問題が起きてくる。その観光客を分散させるために、周辺地域の魅力を住民とともに掘り起こし、彼らがガイドとして活躍できる新たな観光地を開発するのが目的でした。その後、世界各国から日本にエコツーリズムの研修に来る人向けに、地域の人が、ガイドができるようになるための教材をJICAで作らせてもらったんですが、それがすごく評判がよくて、今、10カ国語くらいに訳されています。それがきっかけで、今、世界各国でエコツーリズム開発と人材育成の指導をさせていただいています。
−依頼を受けて、出かけていくわけですね。
はい。例えば、ゴリラの研究で有名な山極寿一先生と国連で講演をさせてもらった時に、僕が「エコツーリズム開発は地域住民がやるものだ、僕はそれを世界各国でお手伝いしますよ」と熱く語ったら、初対面だった山極先生が「そういう人間を探してたんだ、一緒にやろう」と。それで、アフリカ中西部にあるガボン共和国の村で、絶滅危惧種のニシローランドゴリラを守るためのエコツーリズム開発とガイドの育成をしました。最近は、イランのアンザリ湿原を守るプロジェクトにも関わっています。ゴリラも湿原も、地元の人にしか守れないんですが、地元の人が守ろうという気持ちになるには、まず彼らがちゃんと食べていける必要がある。でも経済的に発展途上の国の多くの地域では、産業と呼べるものはほとんどないのが現状。それで新たな産業として着目されているのが、観光なんです。ただ、今までのように大規模開発をしてしまっては、元も子もない。開発を最小限にしたエコツーリズムが必要となります。そのために地元の人に、当たり前すぎてその価値を忘れてしまっていた地域の自然や地域文化の価値を再認識してもらい、今度はガイドになって観光で来る人たちにその素晴らしさに気づいてもらおう、というわけです。
−国内ではあまり活動されてないんですか。
静岡新聞社と静岡放送と静岡県とが10年以上前から共催している、小・中校生を対象にした「こども環境作文コンクール」の受賞者から選ばれたこども環境大使たちの海外研修のコーディネーターをしたり、日本とハワイの子どもたちの環境をテーマとした相互交流のお手伝いをしたり、大学で教えたり・・。海外と日本をつなぐようなことをいろいろやっています。
−その"いろいろ"のひとつが、縁や(En-Ya)でもあるわけですね。
エコツーリズム&アート ギャラリーと銘打ってますが、基本は僕らの考え方、フィロソフィーを発信する場所ですね。地元の知り合いの作家さんの素敵な作品も置いています。ここをのぞいてくれる海外から来る人に、日本、そして地元の文化の素晴らしさを伝えられたらな、と思っています。ここが世界から来た人たちや地元の人たちがつながっていく場になると嬉しいんですけどね。
−今後はどんなことを考えているんですか。
軸足を少しずつ海外から日本に移して、世界各地でやってきたことを富士宮でやっていこうと考えています。2020年の東京オリンピックに向けて、海外の人が楽しめるようなエコツーリズム開発を、エコロジックの事業のひとつとして、富士宮市と地域の人たちと一緒にやろうと、すでに動き出してもいるんですよ。例えば、浅間大社周辺にあるすごく長いアーケードがシャッター街になりつつあるんですが、おもしろいこだわりのあるご主人がおられる店が残っていますから、お団子作りとか利き酒とか、体験プログラムを作ったらおもしろいんじゃないか、とかいろいろなことを考えています。地元の人も、世界各国から観光で来た人も、エコロジックも、みんなが潤って、みんなが喜ぶツアーを考えたいですね。その次のステップとしては、地元の中学生とか高校生とか大学生とかにガイドの勉強をさせたいんですよ。地元や富士山の価値に気づくきっかけになるし、すごい技術を持っている地元の人のところをガイドとして訪ねることで、その技術を学びたい、と思うかもしれないし・・。僕は外から来た人間ですので、ここで生まれ育った地元の子どもたちが地域のよさを自分の言葉で世界の人に発信できるようになってくれるのを見たいです。それが僕の今のミッションであり夢ですね。
−新谷さんが伝えていきたい富士山の魅力とは、どんなものなのでしょう。
目には見えない富士山の価値、素晴らしさ、です。標高3776メートルで、湖が5個ありますよ、という有形のことではなくて、富士山の恵みのようなものです。恵みのひとつが水です。日本には、自然のものすべてに神が宿っているする八百万の神、という考え方があり、その文化が残っているからこそ、今も水は美しく流れているんですよ。世界に誇れる、自然と文化の調和の素晴らしさを、エコツーリズムを通じて発信していきたいし、そういう、モノの背後にある無形の価値を伝えたていきたいです。そうすることで、お客さんの中には「富士山に行って楽しかった」だけでなく「日本は自然と文化が調和した国で、富士山はそのシンボルなんだ」という印象が残るだろうし、自分の国に帰って家族や友達に富士山の価値や環境、文化を守る大切さを話してくれると思うんですよ。大規模開発をしたり、新しい建物を作ったりしなくても、すでに地域にある素晴らしいものを観光資源として、それを守り、守っている人の思いを発信することで、世界中から人が集まってきて、さらに地域を守ることにつながっていく。そういうことが普及していくと、世界が良くなるんじゃないかと、考えているんですけどね。
−新谷さんにとって、富士山とはどんなものですか。
日本のアイデンティティであり、おこがましいようですが、僕にとってのアイデンティティでもあります。悩んだ時に富士山を見ていると、しょうもないことで悩んでるんだなっていつも気づかされますしね。僕のふるさとは甲子園ですけど、心のふるさとは富士山だし、うちの子どもたちが富士山を愛して、世界に自慢できるふるさととしてくれればいいなあと思います。そのためにも富士山と富士宮を守りたい。そして年をとったら女房と2人で、富士山を眺めながらゆっくりお茶でも飲みつつ暮らせたらいいなあと思っています。
1968年 兵庫県西宮市甲子園出身 静岡大学工学部応用化学科卒、フロリダ工科大学大学院環境学科環境資源マネージメント科修了。エコツーリズムのパイオニアの1人として、世界銀行やJICAなどの国際機関の依頼を受け、世界各国でエコツーリズム開発とそれに関わる人材育成に携わる。世界各地を飛び回り、1年のうち8カ月は海外に。97年、大学時代に知り合った香奈子さんと結婚。3人の娘さんと犬と猫とうさぎと、富士山の見える家で暮らす。家族全員が阪神ファンで、一家揃って観戦も。お茶や陶芸もたしなむ。
http://ecologic.or.jp(現在リニューアル中)