みんなで考えよう

富士山インタビュー

「東北の高校生の富士登山」の目標は1000人。今年で折り返しです

東日本大震災の翌年の2012 年に始まった「東北の高校生の富士登山」。
被災した高校生を対象にしたプロジェクトで、福島出身の登山家・田部井淳子さんが発起人であり代表でした。
2016年10月に田部井淳子さんが他界された後、遺志を引き継いでプロジェクトの代表を務めているのが長男の進也さん。
率直な話しぶり、目の前のものと正面からぶつかり合うバイタリティの奥に、温かい人柄がうかがえました。

写真:白井裕介/取材・文:木村由理江

「東北の高校生の富士登山」の登頂率は100%

−最初にプロジェクトの話を聞いた時にはどう思いましたか。

 びっくりしました。「お金は?」とおふくろに訊いたら「大人たちがなんとかするんだ」って。なんて無謀なんだ、と思いました(笑)。結局、おふくろは癌の手術の直後だったので、1回目は五合目までしか行けなかったんですけどね。HPにも書いてますが、おふくろは「あきらめず、一歩一歩登っていけば、自分の夢はかなえられる」ということをみんなに感じて欲しいという気持ちが、すごく強かった。「自分がやってきたことを自分の声で高校生たちに伝えたい」と話していたから、2016年夏の高校生たちとの富士登山が最後の登山になったのは、よかったと思います。ストーリーとしては出来過ぎな気もしますけど。

−参加する高校生たちについても教えてください。

 基本的には被災した福島、宮城、岩手の3県に在住する高校生です。おふくろが福島出身なので福島の高校生の割合が高いですね。みんな、チラシを見て自分で申し込んできます。その時点でこのプロジェクトの目的の8割は達成される、と僕は思っているんですよ。一歩踏み出して挑戦すること自体がすごいと思うし、そのことだけで変われると思うので。中には「登るの、うざったい」みたいなことを途中で言い出す高校生がいますけど、キレますからね、僕(笑)。「自分で申し込んだんだろ。ここは学校じゃない、大人をなめるなよ!」って。そうすると「あ、すいません」みたいな。

−いいですね、対等な感じで。

 「お客様じゃなく“仲間”という感覚で対応して欲しい」と旅行会社や登山ガイドの方にも説明しています。ご存知と思いますけど、富士山の一般的な登頂率は6割から7割。でもこのプロジェクトは100%なんですよ。それを目指しているわけじゃないんですけどね、事故を起こさないことが一番ですから。

−すごいことですね。

 登山ガイドの方も驚いています。それぞれに“登頂したい”という思いがあり、“富士山に登る”という共通のゴールがあるから、学校も学年も部活動の種類も体力も違う初対面の高校生たちが、一つの班の中で助け合い、声を掛け合いながら登っていける。寄せ集めのメンバーでできるスポーツは登山くらいですよ。そこに登山のおもしろさがある気もします。九合目くらいになるともう“自分との戦い”ですから、高校生たちは誰も何も喋らない。震災を乗り越えているから、他の高校生に比べてガッツがあると思います。

−進也さんは登らせ上手だ、とも聞いています。

 いくつもの班を行ったり来たりしながら、「もうちょいだよ」と繰り返してるだけ。6時間くらい言いっぱなしですから、そのほとんどは嘘ですよ(笑)。でもそう言いたいんです。僕も、いつになったら頂上に着くんだ? と思ってるので。

−富士山に登る前と登った後で、高校生たちにはどんな変化がありますか。

 表情が全然違います。達成感とか満足感が自信になるんでしょうね。事後に送られてきた作文には「いろんなことがあったけど、一歩一歩行けばゴールに着く、とわかったので、何事も諦めないで進んでいこうと思います」と書いてあったりする。おふくろは「1000人の学生が富士登山に挑戦したら、それは東北の復興の大きな力になるはずだ」と言ってました。富士登山を通して人間力を養ってもらって、未来の東北や日本の力になってもらえたら嬉しいんですけどね。1000人までは、絶対に続けるつもりです。

高校生の参加費用は3000円。差額は寄付や募金でなんとかしています

−昨年夏まで参加者は計479人。今年で500人超えです。

 今年で折り返しです。でも、むちゃくちゃ大変ですよ。とにかくお金がない、と書いておいてください(笑)。

−参加料は無料、500円、1000円を経て、2015年以降は、富士山保全協力金を含む3000円。その他の費用は寄付で賄っているそうですね。

 おふくろが生きていた時には講演会でかなりの募金を集められましたけど、物理的にそれがゼロになったので、一般の方やいろんな企業さんに寄付をお願いしたり、助成を受けたり、クラウドファンディングをしたり、メーカーさんとタイアップした品物を売ってロイヤリティが入ってくる仕組みを作ったりしています。僕や会社には一銭も入らないのに会社の仕事そっちのけでお金集めをしているので、会社のスタッフからよく苦情の電話がきます(笑)。

−1回のプロジェクトでいくらくらいかかるものですか。

 2泊3日で富士山に連れて行くとなると、ウエアやシューズのレンタル料を含めて一人8万円くらい。他に、同行してもらう医師や看護師やスタッフにかかる費用もありますからね。余剰金が出たとしても、プロジェクトはまだまだ続きますから、金銭的には全然ラクにならないです(苦笑)。

−スタッフの人たちはボランティアなんですか。

 ボランティアにしちゃうと仕事が曖昧になってしまうので、お金を払っています。その方が、僕も言うべきことを遠慮せずに言えますから。

−今年は7月24、25、26日に開催ですね。

 4月からまた募集を始めました。去年からあしなが育英会さんに後援に入っていただいていて、震災遺児の子たちに直接アプローチできるようになりました。去年、震災遺児の子が何人か来てくれましたけど、被災地でいろんなものと戦っている高校生に富士登山をしてもらえるのはこっちも嬉しいし、今後もっと震災遺児の参加数が増えるんじゃないか、と期待しています。

−一緒に登った“仲間”の高校生から受け取ったものはなんですか。

 彼らに勇気や元気を与えようと思って始まったプロジェクトですけど、本当は関わっている大人たちがみんな、彼らから勇気や元気をもらってると思います。だから継続していけるんでしょうね。収益を出してビジネスになってないから続いているんだと思います。

−登山の後も交流は続いているんですか。

 2泊3日一緒にいただけなのに、SNSで僕宛に連絡が来たりします。「無事成人しました」とか「結婚しました」とか「子どもが生まれました」とか。多い年には100人くらい参加しているので誰が誰かわからないけど、すごく嬉しいですね。

“地球が遊び場”が僕と会社のコンセプトです

−山登りはいつ頃から?

 子どもの頃から行かされてました。途中から行かなくなりましたけど。自分の意思で登るようになったのは、大学院で書く論文のテーマを、中高年の観光登山にしようと決めてからです。おふくろやその知り合いに話が聞けるし、同じテーマの学術論文が少なかったので、自由に書ける気がしたんですよ。

−山登り以外にも、小学生の頃にお父さんと一緒に50ccの原付きオートバイでアメリカ横断したり、スキーをしたり、大人になってからはスキューバダイビングや狩猟の免許を取得したり、アウトドアスポーツに親しんできたようですね。

 自然の中がずっと僕の遊び場だったんですよ。遊びは大好きでしたから、結局それを仕事にしたような感じです。会社の屋号は“PLAY”で、会社のコンセプトも“地球が遊び場”ですからね(笑)。

−そして“人と自然をつなぐ”がテーマだ、と。

 “遊びを真剣に考えよう”ということですね。勉強や仕事で手を抜いても、遊びは真剣になると思うんですよ。今はテーマパークとかゲームとかいろんな遊びがあるけど、日本は国土の7割が森林で、周囲は海に囲まれてるわけですから、もっと真剣に自然の中で遊ぶ人を増やせたらな、と思う。自然の中で遊ぶことのおもしろさやその遊び方を多くの人に知ってもらうための取っ掛かりとして、クライミングやヨガができる施設を作ったわけです。自然の中で遊ぶツアーも最近は始めています。

−自然のよさはどんなところに?

 自分が一番小さくなれるところじゃないですか。人間は自然の前では無力で、野生の動物と比べたらものすごく弱い存在だ、ということを痛感させられますからね。危険と隣り合わせの非日常で、普段の生活では感じられない“生きている”という実感も得られるし、いいリフレッシュになります。

−富士山に初めて登ったのはいつですか。

 小学校の時に親父に連れられて登頂しました。下りの砂走りが歩きづらくて、“なんだ、この砂、もう二度と来ねえ!”ってずっと思ってた(笑)。その後は、大学のスキー部の部活です。ソチパラリンピックのアルペンスキー男子回転で金メダルを獲った鈴木猛史が当時のキャプテンで、彼は手だけで登りましたよ。猛史は小学校の時に交通事故で両大腿を切断していますからね。

−鈴木さん、すごいですね。部員に区別なし、ですね。

 部員は誰も猛史のことを特別だと思ってないし、当時の体育会系の部活は、上下関係がはっきりしていましたから、部長の僕が「行く」と言ったら逆らうなんてあり得ない。猛史も本当にガッツのあるやつでしたからね。ただ高山病には勝てなくて、八合目半くらいで下山しました。あの時のことは強く印象に残っています。「東北の高校生の富士登山」のプロジェクトが始まってからは、年に1回、登っています。

−富士山の魅力は?

 見えるとテンションが上がりますよね。日本で一番高い山だからなのか、みんなの愛着が他の山とは大きく違う。やっぱり日本の象徴なんだと思います。

−好きな富士山は?

 場所にこだわりはありませんが、遠目で見る富士山が一番きれいだし、かっこいいなあ、と思います。近くだと全体が見られませんからね。東北の高校生たちは、独立峰で、あんなにデカくて、あんなに裾野が広い山は見たことがないから、おもしろいくらいに「デカい!」と驚いてますよ。その富士山に自分たちが登るというのは、彼らにとって本当に素晴らしい経験になると思います。

田部井進也
たべいしんや

1978年 埼玉県川越生まれ。都内の中高一貫校から福島県立南会津高等学校に編入。駿河台大学卒、同大学院文化情報学研究科修了後、筑波大学大学院野外運動学研究室。大学ではスキー部に在籍し、卒業後はコーチに就任。バンクーバーとソチのパラリンピックでメダリストを輩出。2005年、アウトドアアパレルメーカーに入社するが、翌2006年に退社し(株)タベイ企画の磐梯沼尻高原ロッジの経営管理者に。2015年、東京都昭島市にクライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」をオープン。2017年10月、一般社団法人田部井淳子基金を設立、代表理事に就任。(株)タベイプランニング代表取締役でもある。

東北の高校生の富士登山ホームページ
http://www.junko-tabei.jp/fuji/

東北の高校生の富士登山 クラウドファンディングのページ
https://a-port.asahi.com/projects/fujisan_tabei/

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営

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