−さっき高尾山山頂に着いて富士山が見えた時に「落ち着くなぁ」と呟かれてました。なぜそう感じられたのでしょう。
いきなりそんなことを訊きますか(苦笑)。まあ日本人だから、でしょうね。富士山は日本人の心じゃないですか。清く気高く、何事にもブレない。いかにも日本人が好きそうでしょ。私は大好きですけどね。
−その富士山を撮影しに、この高尾山にはよく来られているわけですか。
年に何回か、ですね。必ず来るのは正月2日か3日。まず富士山に挨拶に行かなきゃ、みたいな(笑)。それから12月のダイヤモンド富士の日とか。あとは季節感のある時期ですね。例えば山桜が咲く頃とか。でも富士山を撮るならやっぱり冬ですよ。高尾山からの雪のない富士山はあまりいただけませんから。均整のとれた富士山が見られるし、大室山と組み合わせると整った構図の写真が撮れるんですけどね。
−フリーのカメラマンとして商業写真などたくさん撮られているそうですが、富士山を撮るようになったのはいつ頃から?
40年くらい前からですね。山中湖でワカサギ釣りをしていた時に見た富士山に衝撃を受けたのがきっかけです。子どもの頃は世田谷に住んでいて、電車から富士山を見ることもありましたけど、それまで富士山は全然意識してなかった。すでに始めていた写真の仕事とは別に、そこから富士山を撮るのがライフワークになりました。それで1988年から山岳写真展に富士山を含む山の写真を出品するようになり、1990年から3年間『岳人』の月例コンテストに応募するようになり・・。
−3年間で23回入賞したと聞いています。
ええ、そして、これで勝負! と思った富士山の写真で1992年に東京新聞「1992年度岳人賞」準年度賞をいただいて、すぐそのあとに依頼を受けて富士山のグラビア連載を1年半やることになった。その辺からだんだん“富士山の渡邉”というのが定着していった感じです。ただどうもしっくりしないんですよ。
−というと?
当時は北アルプスや南アルプスとか高い山からも富士山を撮っていましたけど、高い山から撮る人は多いですからね。他の人とは違う切り口で、自分らしさが出せるスタンスはないか、とずっと考えていました。それである時思いついたのが、低い山から日本の原風景や人々の営みや季節感を取り込んで富士山を表現する、ということでした。それが1冊目の単著の『アルペンガイド 高尾山と中央線沿線の山』につながったわけです。あの時は3日に一回のペースで出かけて、年間約140日で大月までの中央線沿線の山をすべて歩きました。大変でしたけど、楽しかったですよ。フィールドが広いし、四季折々の変化があるから、構図が無限なんです。富士山は大きく撮ってこそ、というのが今も主流ですが、小さくても富士山は魅力的に撮れる、というのを確立したのは私だ、と自負しています。
−その1冊目で渡邉さんが名乗られたのが“低山フォトグラファー”。日本で唯1人、だそうですね。
そうだと思います。最初はいろんな人に反対されました。“山岳カメラマン”とか“山岳フォトグラファー”の方がいいって。でもそれって誰が名乗っても一緒でしょ。それにそんなにしょっちゅう高い山に行ってるわけでもなかったしね。その後も“低山フォトグラファー”で通しましたけど、結局それが正解でした。おかげで低山の仕事の依頼が圧倒的に多くなりましたし、ラジオにも2回出演できましたから(笑)。
−渡邉さんが考える低山の基準は?
私は標高2000mくらいかな、と思っています。麓から登って2、3時間以内。30分から1時間くらいのところでも、富士山がきれいに見えるところはいっぱいありますよ。
−関東周辺には富士山が見える山が400くらいあるそうですけど、撮影ポイントはどうやって見つけているんですか。実際に歩いて、ですか。
私が実際に登ったのはそのうち100くらいですね。実際に歩くだけじゃなく、パソコンのソフトも駆使しますし、登山者が山で撮った写真データを共有するサイトや地元自治体の観光パンフレット等を見て、どの時期にどこからどんな富士山が撮れるかを読み取っています。その上で、自分が撮りたい写真を撮るための場所や季節や時間帯を決め込んでいく。偶然に絶景の富士山に出会うこともゼロではありませんけど、私は確率を上げたいので、当然天気予報もしっかり読むようにしています。天も味方してくれないと、納得のいく写真は撮れないですよ。
−渡邉さんは写真のどんなところに魅力を感じているのでしょう。
“魅力”はよくわからないけど、私にとって写真は“写心”です。心で撮らないとその人の個性が出てこないし、いい表現はできない。それが昔から変わらない私のモットーです。もうひとつ大事にしているのは、心眼。心の目で見ろ、ということですね。そこがプロとアマチュアの大きな違いでもあると思います。さらに重点を置いているのは、決して妥協をせずに極める、ということです。例えば、去年出した2冊目の『富士山絶景撮影登山ガイド』に箱根の金時山から撮ったパール富士の写真がありますが、年に一度のチャンスのその日、山頂では約100人のカメラマンがその瞬間を待っていました。でも山頂からだと月が富士山頂の真ん中に沈むのは撮れない。私は真ん中にこだわっているので、山頂から10分くらい下った登山道で、たった1人で撮っていました。私が写真を撮っている横に、他のカメラマンさんがいることは滅多にないんですけどね。しかもその日、朝焼けで富士山がきれいに焼けた。それはもう千載一遇、二度と撮れない写真になった。写真って、極めたところに差が出るんですよ。富士山はみんなにとってオンリーワンだから、私もオンリーワンの写真が撮りたいんですよ。
−極めようと思っても納得できる写真が撮れない時はどうするんですか。
それは全部宿題です。3月号の『山と渓谷』の表紙は私が伊豆大島から撮った富士山の写真でしたけど、これまでにトータルで15日間伊豆大島に滞在していて、本当に撮りたい写真はまだ撮れてないんです。三原山の火口からいつも上がっている噴煙の間から富士山が見えているところを撮りたいと思っているんですが、噴煙の加減も日によって違うし、思うような写真にならない。でもそれはどうしても撮りたいので、これからも伊豆大島には通うでしょうね。もっとも伊豆大島から富士山を撮ろうなんて人は、私の他にいないでしょうけど(笑)。
−思うようにいかない時とは逆に、出会えると思っていなかった富士山と会えることもありますか。
いっぱいありますよ。ダイヤモンド富士を撮りに行ったのに雲がかかってダメで、落胆しつつ、もう少し待つか、と思っていたら夕焼けで見たこともない富士山が撮れたりしましたから。あれは自然の賜物でしたね。
−自分にとって富士山は恋人だ、とおっしゃっています。やはり富士山は女性ですか。
そう思いますよ。私は裾野にこだわっていますが、あの裾野の優雅さは、まさにドレスをまとった女性ですね。どんな女性よりも美しいと思います。見る角度によって表情は全然違うし、月だったり太陽だったり花だったり雪だったり紅葉で飾るとさらに美しくなる。私が富士山に魅せられただけの話でしょうけど、どんなに撮っても飽きることがないですね。さっきも言いましたけど、ひとつの構図で富士山を撮るとしても、四季の変化に応じて無限な絵柄が生まれるわけです。だからまあ一生かかっても撮りきれないでしょうね。
−今年1月に東京で開催した写真展「絶景の富士に逢いたくて♡️」が、3月25日からは大阪で開催されます。昨年出版された、2冊目の著書『富士山絶景撮影登山ガイド』から厳選した34点が展示されているそうですね。
個展の写真の半分くらいは、登山口から30分とか1時間のところから撮っていますから、こんなに手軽に登れる山からこんな絶景の富士が見えるのか、という驚きがあると思いますし、季節感や人々の営みを感じさせるいろんな富士山が見られるので飽きないと思います。
−大きな写真も1枚、あるとか。
ええ。“錦秋の大平原”というタイトルの思い入れのある写真を、2m×3mくらいの大きなパネルにしました。奥秩父の笠取山に入山して3日目の早朝に撮ったものです。初日の夜に登り始めて、翌朝、山頂に着いたもののいい写真は撮れなかった。それで中腹にある山小屋に戻ってお酒を飲んでいたら、すごい土砂降りになってね。2日目は一切写真が撮れなかったけど、でもその土砂降りがよかったんです。冷たい雨で、紅葉の季節には珍しい雪を富士山にもたらし、チリを洗い流した。翌朝、暗い中歩いて行った山頂でその景色を見た時は叫びましたよ。もう独り占めです。自然と共存しないといい写真は撮れない、という一例ですね。
−今後について考えていることを教えてください。
2年後にはもう一冊、絶景の富士山の写真集を出して、今度は「絶景の富士に逢いたくて♡♡️」という大きな個展をやりたいですね。その撮影はもう始まってます。
−富士山と出会ったことで、人生は変わりましたか。
生きる喜びは他の人の何倍もあるかもしれないですね。楽しみがある高齢者は元気じゃないですか。命ある限り続けられる楽しみが、私にはあるわけだから。もう富士山は雲に隠れてしまいましたね。でもまあ今日は一瞬だけ微笑んでくれた、という感じで、よかったですよ。じゃあ山を下りて、おいしいお酒でも飲みに行きますか(笑)。
1957年 東京都世田谷区生まれ 中学時代にSLファンになり、写真を始める。
“さすらいのギャンブラー”と異名をとっていた時期を経て、21歳の頃からカメラマンとして数多くの商業写真を撮影。東日本大震災後、作家活動に重心を移し、2016年に『アルペンガイド 高尾山と中央線沿線の山』(山と渓谷社)を出版。以後、“低山フォトグラファー”として活躍。昨年6月『富士山絶景撮影登山ガイド』(山と渓谷社)を上梓。3月25日(水)〜4月6日(月)まで、リコーイメージングスクエア大阪で写真展「絶景の富士に逢いたくて♡️」を開催。渡邉さんこだわりが光る作品のタイトルにも要注目。