みんなで考えよう

富士山インタビュー

富士山はドレスをまとった女性。どんな女性よりも美しいと思います

待ち合わせは2月最終土曜日の午前8時半の高尾山ケーブルカー・清滝駅前。
好天に恵まれたこともあり、時間の経過とともに登山姿の人影は確実に増えていきます。
そんな中、ゆったりとした足取りで、時折カメラを構えて被写体をとらえながらやってくる赤いジャンパーの男性が、
低山フォトグラファーの渡邉明博さんでした。
事前の電話でのやり取りそのままの気さくな口調と人柄がにじむ笑顔に、
取材はとても楽しく終了したのですが、その奥には細やかな気遣いと照れがあったのかもしれないと、
今振り返って思います。

写真:白井裕介/取材&文:木村由理江

40年くらい前から富士山を撮るのがライフワークです

−さっき高尾山山頂に着いて富士山が見えた時に「落ち着くなぁ」と呟かれてました。なぜそう感じられたのでしょう。

 いきなりそんなことを訊きますか(苦笑)。まあ日本人だから、でしょうね。富士山は日本人の心じゃないですか。清く気高く、何事にもブレない。いかにも日本人が好きそうでしょ。私は大好きですけどね。

−その富士山を撮影しに、この高尾山にはよく来られているわけですか。

 年に何回か、ですね。必ず来るのは正月2日か3日。まず富士山に挨拶に行かなきゃ、みたいな(笑)。それから12月のダイヤモンド富士の日とか。あとは季節感のある時期ですね。例えば山桜が咲く頃とか。でも富士山を撮るならやっぱり冬ですよ。高尾山からの雪のない富士山はあまりいただけませんから。均整のとれた富士山が見られるし、大室山と組み合わせると整った構図の写真が撮れるんですけどね。

−フリーのカメラマンとして商業写真などたくさん撮られているそうですが、富士山を撮るようになったのはいつ頃から?

 40年くらい前からですね。山中湖でワカサギ釣りをしていた時に見た富士山に衝撃を受けたのがきっかけです。子どもの頃は世田谷に住んでいて、電車から富士山を見ることもありましたけど、それまで富士山は全然意識してなかった。すでに始めていた写真の仕事とは別に、そこから富士山を撮るのがライフワークになりました。それで1988年から山岳写真展に富士山を含む山の写真を出品するようになり、1990年から3年間『岳人』の月例コンテストに応募するようになり・・。

−3年間で23回入賞したと聞いています。

 ええ、そして、これで勝負! と思った富士山の写真で1992年に東京新聞「1992年度岳人賞」準年度賞をいただいて、すぐそのあとに依頼を受けて富士山のグラビア連載を1年半やることになった。その辺からだんだん“富士山の渡邉”というのが定着していった感じです。ただどうもしっくりしないんですよ。

−というと?

 当時は北アルプスや南アルプスとか高い山からも富士山を撮っていましたけど、高い山から撮る人は多いですからね。他の人とは違う切り口で、自分らしさが出せるスタンスはないか、とずっと考えていました。それである時思いついたのが、低い山から日本の原風景や人々の営みや季節感を取り込んで富士山を表現する、ということでした。それが1冊目の単著の『アルペンガイド 高尾山と中央線沿線の山』につながったわけです。あの時は3日に一回のペースで出かけて、年間約140日で大月までの中央線沿線の山をすべて歩きました。大変でしたけど、楽しかったですよ。フィールドが広いし、四季折々の変化があるから、構図が無限なんです。富士山は大きく撮ってこそ、というのが今も主流ですが、小さくても富士山は魅力的に撮れる、というのを確立したのは私だ、と自負しています。

−その1冊目で渡邉さんが名乗られたのが“低山フォトグラファー”。日本で唯1人、だそうですね。

 そうだと思います。最初はいろんな人に反対されました。“山岳カメラマン”とか“山岳フォトグラファー”の方がいいって。でもそれって誰が名乗っても一緒でしょ。それにそんなにしょっちゅう高い山に行ってるわけでもなかったしね。その後も“低山フォトグラファー”で通しましたけど、結局それが正解でした。おかげで低山の仕事の依頼が圧倒的に多くなりましたし、ラジオにも2回出演できましたから(笑)。

−渡邉さんが考える低山の基準は?

 私は標高2000mくらいかな、と思っています。麓から登って2、3時間以内。30分から1時間くらいのところでも、富士山がきれいに見えるところはいっぱいありますよ。

−関東周辺には富士山が見える山が400くらいあるそうですけど、撮影ポイントはどうやって見つけているんですか。実際に歩いて、ですか。

 私が実際に登ったのはそのうち100くらいですね。実際に歩くだけじゃなく、パソコンのソフトも駆使しますし、登山者が山で撮った写真データを共有するサイトや地元自治体の観光パンフレット等を見て、どの時期にどこからどんな富士山が撮れるかを読み取っています。その上で、自分が撮りたい写真を撮るための場所や季節や時間帯を決め込んでいく。偶然に絶景の富士山に出会うこともゼロではありませんけど、私は確率を上げたいので、当然天気予報もしっかり読むようにしています。天も味方してくれないと、納得のいく写真は撮れないですよ。

富士山はみんなにとってオンリーワン、私もオンリーワンの写真が撮りたい

−渡邉さんは写真のどんなところに魅力を感じているのでしょう。

 “魅力”はよくわからないけど、私にとって写真は“写心”です。心で撮らないとその人の個性が出てこないし、いい表現はできない。それが昔から変わらない私のモットーです。もうひとつ大事にしているのは、心眼。心の目で見ろ、ということですね。そこがプロとアマチュアの大きな違いでもあると思います。さらに重点を置いているのは、決して妥協をせずに極める、ということです。例えば、去年出した2冊目の『富士山絶景撮影登山ガイド』に箱根の金時山から撮ったパール富士の写真がありますが、年に一度のチャンスのその日、山頂では約100人のカメラマンがその瞬間を待っていました。でも山頂からだと月が富士山頂の真ん中に沈むのは撮れない。私は真ん中にこだわっているので、山頂から10分くらい下った登山道で、たった1人で撮っていました。私が写真を撮っている横に、他のカメラマンさんがいることは滅多にないんですけどね。しかもその日、朝焼けで富士山がきれいに焼けた。それはもう千載一遇、二度と撮れない写真になった。写真って、極めたところに差が出るんですよ。富士山はみんなにとってオンリーワンだから、私もオンリーワンの写真が撮りたいんですよ。

−極めようと思っても納得できる写真が撮れない時はどうするんですか。

 それは全部宿題です。3月号の『山と渓谷』の表紙は私が伊豆大島から撮った富士山の写真でしたけど、これまでにトータルで15日間伊豆大島に滞在していて、本当に撮りたい写真はまだ撮れてないんです。三原山の火口からいつも上がっている噴煙の間から富士山が見えているところを撮りたいと思っているんですが、噴煙の加減も日によって違うし、思うような写真にならない。でもそれはどうしても撮りたいので、これからも伊豆大島には通うでしょうね。もっとも伊豆大島から富士山を撮ろうなんて人は、私の他にいないでしょうけど(笑)。

−思うようにいかない時とは逆に、出会えると思っていなかった富士山と会えることもありますか。

 いっぱいありますよ。ダイヤモンド富士を撮りに行ったのに雲がかかってダメで、落胆しつつ、もう少し待つか、と思っていたら夕焼けで見たこともない富士山が撮れたりしましたから。あれは自然の賜物でしたね。

富士山を撮る構図は無限。一生かかっても撮りきれないでしょうね

−自分にとって富士山は恋人だ、とおっしゃっています。やはり富士山は女性ですか。

 そう思いますよ。私は裾野にこだわっていますが、あの裾野の優雅さは、まさにドレスをまとった女性ですね。どんな女性よりも美しいと思います。見る角度によって表情は全然違うし、月だったり太陽だったり花だったり雪だったり紅葉で飾るとさらに美しくなる。私が富士山に魅せられただけの話でしょうけど、どんなに撮っても飽きることがないですね。さっきも言いましたけど、ひとつの構図で富士山を撮るとしても、四季の変化に応じて無限な絵柄が生まれるわけです。だからまあ一生かかっても撮りきれないでしょうね。

−今年1月に東京で開催した写真展「絶景の富士に逢いたくて♡️」が、3月25日からは大阪で開催されます。昨年出版された、2冊目の著書『富士山絶景撮影登山ガイド』から厳選した34点が展示されているそうですね。

 個展の写真の半分くらいは、登山口から30分とか1時間のところから撮っていますから、こんなに手軽に登れる山からこんな絶景の富士が見えるのか、という驚きがあると思いますし、季節感や人々の営みを感じさせるいろんな富士山が見られるので飽きないと思います。

−大きな写真も1枚、あるとか。

 ええ。“錦秋の大平原”というタイトルの思い入れのある写真を、2m×3mくらいの大きなパネルにしました。奥秩父の笠取山に入山して3日目の早朝に撮ったものです。初日の夜に登り始めて、翌朝、山頂に着いたもののいい写真は撮れなかった。それで中腹にある山小屋に戻ってお酒を飲んでいたら、すごい土砂降りになってね。2日目は一切写真が撮れなかったけど、でもその土砂降りがよかったんです。冷たい雨で、紅葉の季節には珍しい雪を富士山にもたらし、チリを洗い流した。翌朝、暗い中歩いて行った山頂でその景色を見た時は叫びましたよ。もう独り占めです。自然と共存しないといい写真は撮れない、という一例ですね。

−今後について考えていることを教えてください。

 2年後にはもう一冊、絶景の富士山の写真集を出して、今度は「絶景の富士に逢いたくて♡♡️」という大きな個展をやりたいですね。その撮影はもう始まってます。

−富士山と出会ったことで、人生は変わりましたか。

 生きる喜びは他の人の何倍もあるかもしれないですね。楽しみがある高齢者は元気じゃないですか。命ある限り続けられる楽しみが、私にはあるわけだから。もう富士山は雲に隠れてしまいましたね。でもまあ今日は一瞬だけ微笑んでくれた、という感じで、よかったですよ。じゃあ山を下りて、おいしいお酒でも飲みに行きますか(笑)。

渡邉明博
わたなべあきひろ

1957年 東京都世田谷区生まれ 中学時代にSLファンになり、写真を始める。
“さすらいのギャンブラー”と異名をとっていた時期を経て、21歳の頃からカメラマンとして数多くの商業写真を撮影。東日本大震災後、作家活動に重心を移し、2016年に『アルペンガイド 高尾山と中央線沿線の山』(山と渓谷社)を出版。以後、“低山フォトグラファー”として活躍。昨年6月『富士山絶景撮影登山ガイド』(山と渓谷社)を上梓。3月25日(水)〜4月6日(月)まで、リコーイメージングスクエア大阪で写真展「絶景の富士に逢いたくて♡️」を開催。渡邉さんこだわりが光る作品のタイトルにも要注目。

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長

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