−まずは富士山自然誌研究会について教えてください。
いろんな専門家が富士山の自然を研究し、富士山の自然から学ぶための会を作ろうと、20年前の平成8年に、鳥類の専門家の高橋節蔵先生と私が発起人になって立ち上げました。今、専門家は地質、植生、植物、シダ、昆虫、トンボ、アリ、チョウ類、哺乳類、鳥類など約20人くらいですかね。富士山に関心のある一般会員の方もいて、調査のお手伝いをしていただきながら、一緒に勉強したりしています。数年前から毎年、地域を決めて集中的に調査していまして、今年は富士スカイラインがある南斜面の自然環境の総合調査と人為的な影響の解明をテーマにしようと考えています。1年ごとに地域が変わるので、問題が見つかって終わり、なんですが、最終的には調査結果等を集めて富士山全体を見て行こうと思っています。継続的に見続けていくことを大事にしているので、富士山に直接関わる研究者や地元の方を中心にしています。
−調査はどれくらいの頻度で行われているんですか。
毎月1回、定期的に合同調査をやっています。個人的には皆さん、もっと調査に行かれていると思いますよ。私は富士山の近くに住んでいますから、山岳観光道路が開いている5月から11月までの期間は、最低でも週に1回、多い時は週2〜3回くらい行ってます。
−会で調査を続けて20年。どんな変化がありますか。きれいになっていたりするのでしょうか。
これだけ環境問題が騒がれているにしては、残念ながら自然は豊かになっていないし、あまりきれいにもなってないですね(苦笑)。世界遺産になって、きれいに整えられた施設もあるけれど、ゴミはそれほど減ってない気がします。あと、自然の多様性はますます失われていて、単純化が進んでいるのも感じますね。日本の山全てに言えることですが、富士山も人間の影響をすごく強く受けていると思います。登山者やさまざまな物質が頂上に上がっていくわけですから、植生やいろんな動植物数が変化しています。以前は見ることのなかった種子植物が、最近、増えてきてますしね。
−温暖化の影響もあるのではないですか。
もちろん温暖化の影響もあると思いますが、それよりも人間の影響だと思います。地面が平らにならされて、風が山小屋に遮られることで、本来自生していなかった種子植物が育つようになったんでしょう。登山道沿いに植物が点々と上がっていっていたりもしているし・・。地球の環境問題もそうですけど、富士山の環境問題はすべて人間の問題だな、私たちの生き方の問題だな、と。それを考えると、ちょっと嫌になっちゃいますね(苦笑)。
−菅原さんは横浜国大で植物生態学を学ばれて生物の教師などをされていたそうですが、富士山との関わりはいつから?
卒論のテーマを"富士山の植生"に決めたことがきっかけですね。最初の調査は大学2年の5月で、その時に1人で、初めて富士山に登りました。昭和40年頃ですから、バスが行くのは御殿場の国立中央青少年の家まで。そこからテントと荷物を背負って1日掛かりでテント場まで行って、テントを張って調査しました。学生でお金がないから、その後は営林署の小屋を借りたり、山小屋や富士山の北側にある日蓮にゆかりの経ヶ岳六角堂というお堂に、タダで泊まらせていただきながら調査に行かせてもらったり。そういうつながりもあって、卒業後も調査に行ってました。横浜に住んでいた頃は、仕事が忙しくてなかなか行けない時もありましたけど、40歳くらいの時に沼津の学校に移って、富士山の南麓に越して来てからは、よく行くようになりましたね。
−初めて富士山の自然に触れた時には、どんな印象を持たれましたか。
雄大だなあ、すごいなあと思いました。300年前に宝永山の大噴火によって火山砂礫が厚く堆積し、宝永山の麓には生命は何も無くなったわけです。そこには火山荒原と呼ばれる、森になる以前の景色が広がっていて、映画「アラビアのロレンス」に出てくる砂漠の広大な風景にイメージが重なりました。
−富士山で出会った動植物の中で、感動したものはありますか。
フジアザミ、ですね。アザミは、溶岩が流れた火山荒原に最初に出てくる植物の一つで、フジアザミは富士山の火山荒原に森を作るパイオニアとして、最初に出現する植物だと考えられています。太宰治は「富士には月見草がよく似合う」と書きましたけど、月見草は帰化植物なんですよ。ですから文学的にはいいんだけど、私たちは富士山には月見草じゃなくてフジアザミが似合うよねと話しています。
−フジアザミがどんな花か、もう少し教えてください。
キク科の花で、頭花の直径が5センチから10センチ弱もある、日本で最大のアザミです。8月中旬から10月いっぱいくらいまで紅紫色の花を咲かせます。絶えず地面が崩れるとか、火山の噴出物があるとか、そういう厳しい環境でしか生きられない植物ですから、可憐というよりもたくましいですね。
−強靭な花なんですね。
ところがわずか10メートル離れた森の中にフジアザミを探しても、見つからないんですよ。フジハタザオという花もそうですが、彼らは森の中では競争には勝てない。だから強いのか弱いのか・・。厳しい環境に適応して、進化して、今、生きる場所を獲得しているんだと思います。自然にはいろんな環境があることがとても大事なんですよ。雪崩で崩れるところがあって、初めてそこに生きられる植物があるわけですからね。
−菅原さんが考える富士山の魅力を教えてください。
ライフワークですからなかなか結論は出ませんが、豊かで多様な自然が残されていることだと思います。中腹のブナの森、その上の針葉樹の森など、森は変化に富んでいて魅力的だし、麓には青木ヶ原樹海があるし、昔から萱刈り場として使われてきた萱原もある。降水量が多い日本では、人間が伐り開いて生活の場をつくらなければ全てが森になってしまうんですよ。だから自然がつくった草原はあまりないんですが、カリヤスモドキの草原という自然草原もありますからね。頂上もいいですけど、富士山の自然の素晴らしさは、本来の富士山の自然がぽつんぽつんと残っている山麓にある気がします。動物も鳥類も昆虫も、多様で素晴らしいですよ。
−毎日のように富士山をご覧になっていると思いますが、富士山を見ると、どんな気持ちになりますか。
それは嬉しいですね。毎日見ていても、嬉しいですよ。
−富士山を見ると嬉しくなるのは何故だと思いますか。
深田久弥さんが「日本百名山」で富士山のことを"最も簡単な形だけど誰にも真似ができない、ああいう美しい形になるのは奇跡だ"と書いてます。実際、地質学的にもちょっと珍しいらしいですね、ああいうきれいな傾斜を持った山というのは。ただ、今がそうだ、というだけですなんですよ。1万年前はあんな形じゃなかったし、また1万年後は崩れて無くなっているかもしれない。今、我々はラッキーなことにたまたま素晴らしい形を見せてもらっているのかもしれないですよ。だからみんな、見ると嬉しいんでしょうね。
−菅原さんはいつ頃から植物に興味を持たれたんですか。
小さい頃から植物は好きでしたけど・・。私が大学の頃は、経済発展の最中で、工学部だとか機械関係に進む人間が多かったんですよ。でも、チャップリンの「モダン・タイムス」じゃないけれど、機械よりも命だとか人間の心だとかが大切なんだろうな、という感じはずっとあって。それが多分、私を生物の世界に近づけたんでしょうね。それで人間と触れ合う仕事がしたいな、教師になりたい、と思ったんですよ。
−でも子供や人間とちがって、植物は何も話しませんよね。
話すんじゃないですか。
−えっ。感じますか、何か。
と思いますよ。富士山の周りには樹齢300年以上の木がいっぱいあるんです。その木たちは宝永山の噴火をちゃんと見てきたんだなと感じますし、それはやっぱりすごいな、偉大だなと思いますよね。そういう森は山麓にいっぱいありますので、ぜひそういうところでのんびりしたり、自然草原の中で昼寝をしたりして、自然の素晴らしさを感じて欲しいですね。
−そうしたら遺伝子の中で眠っている、自然と深く関わり合いながら暮らしていた原始時代の頃の記憶が、よみがえるかもしれないですね。
そうですね(笑)。時代は、逆行できないワンウエイですので、私たちはどこにどう向かっていくかというのは、大きな課題だと思います。富士山に関してはとにかく、豊かな自然をつくっていく、ということが一番重要だと思いますよ。それは、誰でもない私たちのために。右肩上がりの経済優先じゃなく、自然のシステムに沿った形で、自然と本来の付き合い方ができたら、とてもいいと思いますね。富士山も、豊かな自然があってこその自然財ですからね。
1943年11月14日 宮城県生まれ 小学校時代に横浜へ。横浜国立大学卒業後、神奈川県内で生物の教師に。その後、沼津の私立の中学高校、短大で約30年間教鞭をとる。その間に、植生の調査研究のため世界各地へも。現在は、常葉大学の非常勤講師、SBS学苑の講師。他に、静岡新聞主催のカルチャースクールでも複数の講座を持つ。「色別 野の花図鑑」(小学館)、しずおかの文化新書「植物の富士登山」(共著、静岡県文化財団)、「富士山にのぼる」、「たべられる きのみ」、「くず つるしょくぶつのひみつ」、「まつぼっくり」(いずれも福音館書店)など著作も多い。