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富士山インタビュー

日本一の富士山に登るという志を持つことに、意味があるんですよ

東日本大震災で被災した高校生たちの、前に進む勇気や活力になることを願って、福島県三春町出身の登山家・田部井淳子さんが2012年に始めた「東北の高校生の富士登山」。
2020年には新型コロナウイルスの感染拡大による登山道閉鎖と山小屋休業を受け中止を余儀なくされましたが、
100人前後だった高校生の数を大幅に抑えるなど万全の感染防止対策のもとで2021年夏に活動を再開しました。
2022年も30人の高校生が富士山頂に到達。
2023年夏も東北の高校生は人生初の富士山頂を目指します。
田部井淳子さん亡き後、活動を支える夫の田部井政伸さんに、活動と富士山への想いをうかがいました。
写真:白井裕介/取材・文:木村由理江

参加費は3000円。その気になれば高校生のお小遣いで出せる金額です

−2022年の「東北の高校生の富士登山」も、参加した30人全員が登頂したそうですね。

 40人募集して6月上旬に応募を締め切ったら、家族の感染などがあって10人が参加できなくなってしまった。本人たちは元気なわけだから、さぞ残念だったと思います。当日、最初のうちはちょっと悪かったお天気も、登っているうちにだんだん晴れてね。遅れる子どもさんもいたけれど、なんとか全員が頂上について、一緒に剣ヶ峰まで登りました。一人も欠けることなく登れたことで、みんな、一点の曇りもない笑顔で下山してきました。

−過去に参加した高校生たちも全員登頂しているそうですが、彼らの頑張りを引き出す、何か特別な秘訣でもあるのでしょうか。

 仲間やサポートする大人たちの励ましも力になるでしょうけど、何より大きいのは「自分の意志で参加している」ということだと思いますよ。彼らにとっては、この先も続く長い人生の中で最初の決断だったかもしれないわけで、だからこそなおさら簡単に投げ出すわけにはいかない、頑張れるだけ頑張ろうと力が出るんだと思います。苦しい表情は見せても、弱音を全然吐かないのも強い気持ちがあるからでしょうね。参加費も3000円ですから、その気があれば親に相談せずに高校生のお小遣いで出せる。いいところをついてますよね(笑)。

−登山に必要な道具は全部貸してもらえるわけですしね。高校生にとっては初体験ずくしの2泊3日の大冒険と言えそうです。

 それも前日に会ったばかりの人たちと一緒のね。夜中の2時、3時に起こされて登り始めるわけですから、最初はみんな「なんでこんなことをしてるんだろう」という気持ちで歩いていると思うんですよ。でも生まれて初めて雲海の中を通ったり、今まで見たことがない景色を目にするたびにどんどん表情が変わっていく。登頂した時にはどの顔も喜びで溢れています。前日まで知らなかった人たちと、腕を組んで「よかった〜」と喜び合ったりしてね。毎回高校生たちを送迎するバスに同乗している息子の進也は、「行きはし〜んと静かな車内が、帰りにはうるさいくらい賑やかになる。その変化を見るのがたまらない」と話していました。自分が決断したことをやり遂げた喜び、その喜びをみんなで共有できた経験を糧に、次の何かに挑戦していってくれるといいなといつも思います。

−サポートする大人たちが高校生たちから大きな何かを受け取っていそうです。

 大人たちも帰ってくると、「来年も頑張ろう」と湯気が出そうな顔をしていますよ(笑)。大人たちにはいつも「真剣な、いい大人の姿を見せてくれ」と言っています。高校生たちはその姿を見てきっと何かを感じ、学んでくれるはずですから。「自分たちが登頂できたのは、大人たちが自分たちのために一生懸命尽くしてくれたからだ」と感じてくれているから、社会人になったOBやOGが休みをとって手伝いに来てくれたり、大学生になったOBやOGが初めてのアルバイト代から寄付をしてくれたりするんだと思います。

カミさんが最後に高校生と一緒に大好きな富士山に登れたのは本当によかった

−「東北の高校生の富士登山」の活動資金のほとんどは寄付で賄われているそうですね。

 カミさんは亡くなる時も「富士山のお金が心配だ」と気にかけていました。「でも寄付が十分に集まらなかったら、住んでる家を売ればいいよね」って。その後、文部科学省の後援が得られたり、いろいろな企業さんに協賛していただけるようになりましたけど、みなさんからの寄付に支えていただいているのは相変わらずです。カミさんは76カ国の最高峰に登りましたけど、海外遠征でスポンサーをつけたのは一度だけ。「やっぱり遊びは自分のお金でなきゃだめだ」と、そのあとは一切スポンサーなしで通した。それくらいの覚悟があったから、目標も達成できたんでしょうね。「物やお金は死んじゃったらおしまいだけど、自分の毎日を豊かにしたら、それは亡くなった後に生きてくる」と、いつも言ってました。

−淳子さんの数多くのチャレンジ。どんな思いでサポートされていたのですか。

 “サポート”なんて大袈裟なことじゃなくて“協力したい”というだけの話なんですよ。僕自身、小さい頃からあまり身体が丈夫じゃなくて、学生の頃は何度も入院や手術をしましたから、親が「自分が本当に好きなことをやればいいよ」と応援してくれていた。だから僕もカミさんに「本当に好きなことをやるなら応援するよ」って。それはうちの子どもたちにも同じで、「間違ったことでない限りなんでもやっていい」と言っています。それによって人生が変わるかもしれないわけだしね。周りが心配して「やめろ」と止めるのに旦那は「行ってこい」と背中を押すわけだから、カミさんにしてみればより慎重にもなるだろうし、責任も感じるだろうし、覚悟も強くなる。そういう意味では、心配事は多い方がいいのかもしれない。その中で「行ってこい」と言うわけですからね。言う方も言われる方も、すごく勇気が必要だと思いますよ。

−淳子さんがご病気になって以降、「やめた方がいいんじゃないか」と止められることはなかったんですか。

 それができるかどうか、一番知ってるのは本人ですからね。僕、一度だけ「頑張ってね」と言ったことがあるんですよ。そしたら「これ以上何を頑張るの?」と返ってきた。ドキッとして、それからは「元気でいこう」に言葉を変えました。最後の登山は、2016年7月の高校生たちとの富士山。足がパンパンで上がらないし、スピードも遅いし、僕に引っ張り上げられたりしながらの登山でした。「エベレストとどっちが大変?」と僕が訊いたら「こっちが大変。エベレストは酸素があれば登れるから」と。これ以上は迷惑をかけるからと、3010m、元祖七合目でリタイアしましたけど、最後に高校生と一緒に大好きな富士山に登れたのは本当によかったと思います。富士山には本当にお世話になりましたから、富士山さまさまです(笑)。富士山はきれいなだけじゃなくて、本当に特別な山ですね。

高校生の富士登山の目標は1000人。それまで一緒に登れるといいと思っています

−息子さんの進也さんが小学生だった時に一緒に富士山に登られたそうですが、そこにはどんな意図があったのでしょう。

 せっかく山に登るなら目標は高く掲げるのがいいし、その目標達成に向けて工夫し、頑張るという経験をさせてやりたいと思っていました。スケールは全然違いますけど、そこには我々が生きていくことに通じる何かがあるだろうと思うんですよ。志、というんですかね。生きる上で大きな志、高い志を持つことは大事なことで、それによってその人も、その人の人生もきっと全然違ってくる。僕も若い頃から山に登ってきましたけど、常により高い、より難しい山登りを目指してきました。普通の人とはかけ離れた生活でしたけど、目標を達成することによって新たなエネルギーが湧いてきたり、とんでもない喜びを感じることができた。東北の高校生も、磐梯山じゃなく日本一の富士山に登るという志を持つことに意味があるんですよね。仮に天候とか体調とかいろんな事情で登頂できなかったとしても、大事なものが彼らの心に残るだろうと思います。

−田部井さんご自身が登山に興味を持ったきっかけはなんだったんですか。

 僕はボーイスカウトに入っていたんですよ。自然の中で活動することで健康になるんじゃないか、いろんな技術も覚えられて普段知り合えない地域の人とも仲良くなれるんじゃないかと思って。半分は自分の意志で、半分は親に勧められて、でしたけどね(笑)。住んでいたのは前橋でしたから、河原でゴミを拾ったりキャンプをする以外に、山に登る計画もあってね。最初が赤城山で、それから榛名山、妙義山と登るうちに、山がどんどん好きになっていきました。一番のめり込んでいたのは20歳前後です。休みには必ず山に行っていましたから、当時どんな映画が流行っていたかとかほとんど知らないんですよ(苦笑)。偏った人間ではあったんでしょうけど、僕には世の中の人が山に行かないことの方が不思議でしょうがなかったですね(笑)。

−バイクでもいろんなチャレンジをされています。バイクはいつ頃から?

 高校生くらいですね。最初はただ走るだけで満足でしたけど、オフロードバイクのおもしろさを知って、砂漠や熱帯雨林といった自然の中を走るようになりました。バイクのそばにいられてお金ももらえるなんて最高だ! と思ってHONDAにも入りましたからね(笑)。ずーっと働いていましたけど楽しかったですよ。その間、山にも登っていましたけどね。

−一番好きな富士山を教えてください。

 海外遠征前の訓練や冬山の合宿で、最低でも年に一度は登ってきた冬の富士山です。写真では白くて雪にしか見えない冬の山肌はアイゼンの爪をしっかり研いでいかないととても歯が立たなような蒼氷に覆われていて、真横から突風も吹いてくる。本当に厳しい環境です。辛い時には「なんでこんなところに来てしまったんだろう。今頃こたつでみかんを食べていられたのに」と後悔もしますけど、てかてか光る斜面を這うように登って頂上についた時にはもう・・。あの気持ちは忘れられないですね(笑顔が広がる)。

−「東北の高校生の富士登山」の目標は1000人の登山達成。もう少し時間はかかりそうです。

 今、723人なので、あと数年はかかりそうです。本当は10年目の2022年あたりに達成できるはずだったんですけどね。僕は今、81歳で、うちの子どもたちには「親父、いつまで富士山に登れるのかな〜」と言われています。1000人まではなんとか一緒に登りたいと思っています。

田部井政伸
たべいまさのぶ

たべいまさのぶ 1941年 群馬県生まれ 少年時代からボーイスカウトに所属し、アウトドアや山登りに親しむ。バイクも大好きで、1961年に本田技研工業株式会社に入社し、主に技術分野で勤務。会社では山岳部に所属し、週末は山に通う日々を送る。1967年、山で出会った淳子さんと結婚。一女一男に恵まれる。1968年に、グランド・ジョラス北壁とマッターホルン北壁に登攀するなど、国内外で多くの登山実績を残す。また50ccバイクで北米大陸横断を達成。

東北の高校生の富士登山HP
https://junko-tabei.jp/fuji
東北の高校生の富士登山Facebook
https://facebook.com/touhokunokoukouseinofujitozann/

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事

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