−2022年の「東北の高校生の富士登山」も、参加した30人全員が登頂したそうですね。
40人募集して6月上旬に応募を締め切ったら、家族の感染などがあって10人が参加できなくなってしまった。本人たちは元気なわけだから、さぞ残念だったと思います。当日、最初のうちはちょっと悪かったお天気も、登っているうちにだんだん晴れてね。遅れる子どもさんもいたけれど、なんとか全員が頂上について、一緒に剣ヶ峰まで登りました。一人も欠けることなく登れたことで、みんな、一点の曇りもない笑顔で下山してきました。
−過去に参加した高校生たちも全員登頂しているそうですが、彼らの頑張りを引き出す、何か特別な秘訣でもあるのでしょうか。
仲間やサポートする大人たちの励ましも力になるでしょうけど、何より大きいのは「自分の意志で参加している」ということだと思いますよ。彼らにとっては、この先も続く長い人生の中で最初の決断だったかもしれないわけで、だからこそなおさら簡単に投げ出すわけにはいかない、頑張れるだけ頑張ろうと力が出るんだと思います。苦しい表情は見せても、弱音を全然吐かないのも強い気持ちがあるからでしょうね。参加費も3000円ですから、その気があれば親に相談せずに高校生のお小遣いで出せる。いいところをついてますよね(笑)。
−登山に必要な道具は全部貸してもらえるわけですしね。高校生にとっては初体験ずくしの2泊3日の大冒険と言えそうです。
それも前日に会ったばかりの人たちと一緒のね。夜中の2時、3時に起こされて登り始めるわけですから、最初はみんな「なんでこんなことをしてるんだろう」という気持ちで歩いていると思うんですよ。でも生まれて初めて雲海の中を通ったり、今まで見たことがない景色を目にするたびにどんどん表情が変わっていく。登頂した時にはどの顔も喜びで溢れています。前日まで知らなかった人たちと、腕を組んで「よかった〜」と喜び合ったりしてね。毎回高校生たちを送迎するバスに同乗している息子の進也は、「行きはし〜んと静かな車内が、帰りにはうるさいくらい賑やかになる。その変化を見るのがたまらない」と話していました。自分が決断したことをやり遂げた喜び、その喜びをみんなで共有できた経験を糧に、次の何かに挑戦していってくれるといいなといつも思います。
−サポートする大人たちが高校生たちから大きな何かを受け取っていそうです。
大人たちも帰ってくると、「来年も頑張ろう」と湯気が出そうな顔をしていますよ(笑)。大人たちにはいつも「真剣な、いい大人の姿を見せてくれ」と言っています。高校生たちはその姿を見てきっと何かを感じ、学んでくれるはずですから。「自分たちが登頂できたのは、大人たちが自分たちのために一生懸命尽くしてくれたからだ」と感じてくれているから、社会人になったOBやOGが休みをとって手伝いに来てくれたり、大学生になったOBやOGが初めてのアルバイト代から寄付をしてくれたりするんだと思います。
−「東北の高校生の富士登山」の活動資金のほとんどは寄付で賄われているそうですね。
カミさんは亡くなる時も「富士山のお金が心配だ」と気にかけていました。「でも寄付が十分に集まらなかったら、住んでる家を売ればいいよね」って。その後、文部科学省の後援が得られたり、いろいろな企業さんに協賛していただけるようになりましたけど、みなさんからの寄付に支えていただいているのは相変わらずです。カミさんは76カ国の最高峰に登りましたけど、海外遠征でスポンサーをつけたのは一度だけ。「やっぱり遊びは自分のお金でなきゃだめだ」と、そのあとは一切スポンサーなしで通した。それくらいの覚悟があったから、目標も達成できたんでしょうね。「物やお金は死んじゃったらおしまいだけど、自分の毎日を豊かにしたら、それは亡くなった後に生きてくる」と、いつも言ってました。
−淳子さんの数多くのチャレンジ。どんな思いでサポートされていたのですか。
“サポート”なんて大袈裟なことじゃなくて“協力したい”というだけの話なんですよ。僕自身、小さい頃からあまり身体が丈夫じゃなくて、学生の頃は何度も入院や手術をしましたから、親が「自分が本当に好きなことをやればいいよ」と応援してくれていた。だから僕もカミさんに「本当に好きなことをやるなら応援するよ」って。それはうちの子どもたちにも同じで、「間違ったことでない限りなんでもやっていい」と言っています。それによって人生が変わるかもしれないわけだしね。周りが心配して「やめろ」と止めるのに旦那は「行ってこい」と背中を押すわけだから、カミさんにしてみればより慎重にもなるだろうし、責任も感じるだろうし、覚悟も強くなる。そういう意味では、心配事は多い方がいいのかもしれない。その中で「行ってこい」と言うわけですからね。言う方も言われる方も、すごく勇気が必要だと思いますよ。
−淳子さんがご病気になって以降、「やめた方がいいんじゃないか」と止められることはなかったんですか。
それができるかどうか、一番知ってるのは本人ですからね。僕、一度だけ「頑張ってね」と言ったことがあるんですよ。そしたら「これ以上何を頑張るの?」と返ってきた。ドキッとして、それからは「元気でいこう」に言葉を変えました。最後の登山は、2016年7月の高校生たちとの富士山。足がパンパンで上がらないし、スピードも遅いし、僕に引っ張り上げられたりしながらの登山でした。「エベレストとどっちが大変?」と僕が訊いたら「こっちが大変。エベレストは酸素があれば登れるから」と。これ以上は迷惑をかけるからと、3010m、元祖七合目でリタイアしましたけど、最後に高校生と一緒に大好きな富士山に登れたのは本当によかったと思います。富士山には本当にお世話になりましたから、富士山さまさまです(笑)。富士山はきれいなだけじゃなくて、本当に特別な山ですね。
−息子さんの進也さんが小学生だった時に一緒に富士山に登られたそうですが、そこにはどんな意図があったのでしょう。
せっかく山に登るなら目標は高く掲げるのがいいし、その目標達成に向けて工夫し、頑張るという経験をさせてやりたいと思っていました。スケールは全然違いますけど、そこには我々が生きていくことに通じる何かがあるだろうと思うんですよ。志、というんですかね。生きる上で大きな志、高い志を持つことは大事なことで、それによってその人も、その人の人生もきっと全然違ってくる。僕も若い頃から山に登ってきましたけど、常により高い、より難しい山登りを目指してきました。普通の人とはかけ離れた生活でしたけど、目標を達成することによって新たなエネルギーが湧いてきたり、とんでもない喜びを感じることができた。東北の高校生も、磐梯山じゃなく日本一の富士山に登るという志を持つことに意味があるんですよね。仮に天候とか体調とかいろんな事情で登頂できなかったとしても、大事なものが彼らの心に残るだろうと思います。
−田部井さんご自身が登山に興味を持ったきっかけはなんだったんですか。
僕はボーイスカウトに入っていたんですよ。自然の中で活動することで健康になるんじゃないか、いろんな技術も覚えられて普段知り合えない地域の人とも仲良くなれるんじゃないかと思って。半分は自分の意志で、半分は親に勧められて、でしたけどね(笑)。住んでいたのは前橋でしたから、河原でゴミを拾ったりキャンプをする以外に、山に登る計画もあってね。最初が赤城山で、それから榛名山、妙義山と登るうちに、山がどんどん好きになっていきました。一番のめり込んでいたのは20歳前後です。休みには必ず山に行っていましたから、当時どんな映画が流行っていたかとかほとんど知らないんですよ(苦笑)。偏った人間ではあったんでしょうけど、僕には世の中の人が山に行かないことの方が不思議でしょうがなかったですね(笑)。
−バイクでもいろんなチャレンジをされています。バイクはいつ頃から?
高校生くらいですね。最初はただ走るだけで満足でしたけど、オフロードバイクのおもしろさを知って、砂漠や熱帯雨林といった自然の中を走るようになりました。バイクのそばにいられてお金ももらえるなんて最高だ! と思ってHONDAにも入りましたからね(笑)。ずーっと働いていましたけど楽しかったですよ。その間、山にも登っていましたけどね。
−一番好きな富士山を教えてください。
海外遠征前の訓練や冬山の合宿で、最低でも年に一度は登ってきた冬の富士山です。写真では白くて雪にしか見えない冬の山肌はアイゼンの爪をしっかり研いでいかないととても歯が立たなような蒼氷に覆われていて、真横から突風も吹いてくる。本当に厳しい環境です。辛い時には「なんでこんなところに来てしまったんだろう。今頃こたつでみかんを食べていられたのに」と後悔もしますけど、てかてか光る斜面を這うように登って頂上についた時にはもう・・。あの気持ちは忘れられないですね(笑顔が広がる)。
−「東北の高校生の富士登山」の目標は1000人の登山達成。もう少し時間はかかりそうです。
今、723人なので、あと数年はかかりそうです。本当は10年目の2022年あたりに達成できるはずだったんですけどね。僕は今、81歳で、うちの子どもたちには「親父、いつまで富士山に登れるのかな〜」と言われています。1000人まではなんとか一緒に登りたいと思っています。
たべいまさのぶ 1941年 群馬県生まれ 少年時代からボーイスカウトに所属し、アウトドアや山登りに親しむ。バイクも大好きで、1961年に本田技研工業株式会社に入社し、主に技術分野で勤務。会社では山岳部に所属し、週末は山に通う日々を送る。1967年、山で出会った淳子さんと結婚。一女一男に恵まれる。1968年に、グランド・ジョラス北壁とマッターホルン北壁に登攀するなど、国内外で多くの登山実績を残す。また50ccバイクで北米大陸横断を達成。
東北の高校生の富士登山HP
https://junko-tabei.jp/fuji
東北の高校生の富士登山Facebook
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