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富士山インタビュー

富士山は人々の心をまとめあげる大事な役割を背負っておられると思います

富士山の優美な姿を眺めながら音楽も楽しめる野外音楽堂・河口湖ステラシアター。
「舞台に落としたコインの音が最上階の客席でも聴こえる」という古代ギリシャの野外劇場を模した半円形摺鉢型、3000人収容の大きな劇場です。
富士河口湖町が掲げる“五感文化構想”の“聴覚”を担う施設として1995年に開館しました。
27年経た現在は、地域の人たちだけでなく多くの人に親しまれています。
長くステラシアターに関わっている館長の野沢藤司さんのお話からは、地域と音楽への熱い想いが伝わってきました。
写真:飯田昂寛/取材&文:木村由理江

正面に富士山が見える豊かな自然の中で音楽を楽しめる唯一無二の劇場です

−ステラシアターとの関わりはいつからですか。

 野外音楽堂の構想が生まれたのは私が1991年に町役場に入って間もないころで、職員が少ないこともあり、当初から設計の先生とのやり取りなどを担当していました。その後、1994年に野外音楽堂準備室ができてからは、オープンに向けた本格的な準備に入りました。自席で仕事をしていると、ふらりと目の前に座った当時の町長が「こんなことを考えているけどどう思う?」と声をかけてくるんですよ。「いいですね」と答えると、翌日には私が担当者になっていることがよくありました。「いずれ人口は減少する、その時に備えて魅力ある町を作っていくことが重要」、「魅力ある町づくりには文化度が大切」というお話や、“五感文化構想”は天候に左右される富士山と河口湖頼みの夏季限定の観光地であるこの地域を、文化的な施設も備えた通年型の観光地にし、それによって雇用を安定させ、地域に戻ってくる人、定着する人を増やしたいという想いがもとになっていることなどもよく伺いましたし、ことあるごとに意見交換をさせていただきました。

−野外音楽堂準備室での1年、ご苦労はなかったですか。

 劇場の運営部門を担当する部署ですが、配属されたのは上司と私の2人だけ。建物に関する資料はありましたけど、運営に関する資料はほとんどありませんでした。でもやれることからやっていくしかありませんからね。そこから資料を集め、以前からアドバイスをいただいていた音楽プロデューサーの方の協力を仰ぎながら、劇場運営のコンセプトや方向性を明確にしつつ、エンタテインメントの世界についてもゼロから勉強させていただきました。大変なこともありましたけど、もともとものづくりをしたいと考えていたので、やっていけばなんとかなると楽観的に捉えていたと思います。準備室設置から間もない6月に、音楽プロデューサーの方の導きで、工事中の現場に玉置浩二さんが来てくださったことは大きかったですね。「こんな素晴らしい環境にこんな素敵な劇場を作ってくれてありがとう。完成まで頑張ってください」という玉置さんの言葉に、仕様などの変更続きで疲れ切っていた工事現場の人たちもそれを感じていた私たちも非常に力をいただいたし、1年後のオープンに向けて頑張ろうと、みんなの心がひとつになった瞬間だったと思います。

−とはいえ、開館後もしばらくはご苦労が多かったようですね。

 正面に富士山が見える豊かな自然の中、生音でも十分楽しめる音響効果のある劇場で音楽を聴ける唯一無二の劇場ですが、当初は屋根がありませんでしたから、東京の音楽事務所に営業に出かけても、色良い返事はなかなかもらえませんでした。すべてのリスクを負って私たちが企画したコンサートのチケットは、毎回必死で売っていました。ですから2007年に可動式の屋根がついた時はとても嬉しかったです。今では「ぜひステラシアターで」と言ってくれるアーティストも増えました。かつてはワンシーズンに4、5回だけだったコンサートも、今では春から秋にかけて毎週土日に開催できるようになりました。地元以外からのお客さんが以前に増して増えるなど経済的な効果もあって、今では地元ぐるみでお客さんをお迎えするような雰囲気になっていますね。

地域のみなさんがボランティアとして出演者と観客をもてなしています

−ステラシアターは今年で28年目。夏のステラシアターといえば富士山河口湖音楽祭です。何がきっかけで音楽祭を始めようと思われたのでしょう?

 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が年に1度行っている野外コンサートの映像を、1994年11月にたまたま観る機会があったんですよ。会場はベルリン郊外の豊かな森に囲まれたヴァルトビューネという野外音楽堂で、クラシックのコンサートなのにお客さんたちはカジュアルな格好で、芝生の上に横になったり、サンドイッチを頬張ったり、子どもを肩車しながら思い思いに楽しんでいる。その時に、こんな音楽祭こそが富士山の麓に建つこの劇場が目指すものなんじゃないか、と胸を熱くしました。開館から6年後の2001年に佐渡裕さん指揮のコンサートがあり、そのご縁で2002年、佐渡裕さん監修のもと、第1回目の富士山河口湖音楽祭を開催することができました。以来毎夏、開催しています。

-富士山河口湖音楽祭は“住民参加型の音楽祭”としても知られています。地域のボランティアの方たちが裏方となって音楽祭を支えているそうですね。

 せっかく作った施設ですから、住民のみなさんに親しんでもらいたいし、大切にしてもらいたい。そのためにはみなさんに関わってもらう仕組みづくりが必要だと思い、ボランティアを組織しようと早い時期から考えていました。1995年のグランドオープンの記念コンサートでは、私の知り合いや近所の人など30人ぐらいにボランティアをお願いして、チケットのもぎり、案内、出演者への食事づくりなどをやっていただきました。その後はそのつながりを徐々に広げ、発展させ、1998年に「サポーターズクラブ」として組織化しました。今ではホール主催のコンサートの企画運営や会場の設置も含めた多くのことをボランティアのみなさんがやってくださっています。研修も熱心に受けられて、プロ意識を持っておもてなしの最前線に立たれていますし、その姿勢が若い世代のボランティアにも引き継がれています。

-この地域の方たちはもともとクラシックに馴染みがあったんですか。

 いや(苦笑)。準備室当時、いろんな方に話を伺いましたが「クラシックは堅苦しい」とか「苦手」という意見が圧倒的でした。でもデメリットはメリットに変えられる、そのためにやれることがたくさんあるはずだからむしろラッキーだと思って、ボランティアの人たちや支えてくれる人たちの協力を得ながら、いろんな試みをしてきました。富士山河口湖音楽祭の期間中は近隣の様々な施設で無料コンサートを行いますし、100人収容の円形ホールでコンサートを開催するアーティストには必ず、自分ではチケットを買えない子どもたちや高齢者がいる学校と老人ホームでミニコンサートをお願いしています。地元の人たちや学生さんたちが楽器や合唱でステージに立つチャンスも富士山河口湖音楽祭にはあります。地域の人がクラシックに触れる機会は確実に増えましたし、裾野もしっかり広がっていると思います。音楽は人生を豊かにし、辛い時には勇気や希望を与えてくれるもの。音楽を愛する人が増えるのはとても嬉しいです。

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富士山の麓で素敵な演奏会を開き続けることで、多くの人に幸せを感じてもらいたい

−地元出身の野沢さんですが、富士山の存在は意識されますか。

 当たり前すぎる存在ですが、毎朝、見えるかどうか気になりますし、とりわけ素敵な富士山の時には写真を撮りに行き、それを国内外の知り合いにメールで送っています。音楽祭の開催をまだ夢見ていた頃、文化庁の研修で3ヶ月滞在させていただいたウィーン楽友協会の音楽資料館の館長はいつも、「富士山で英気を養えて元気になりました」と返事をくれます。私は海外に行く時には300枚くらい富士山のポストカードを持っていって、親切にしてくれた人や交流があった人に渡していますが、言葉でうまくコミュニケーションが取れなくても「フジ、フジ」と喜んでくれる。富士山はすごいなと思います。

−ステラシアターにとって富士山の存在は?

 なくてはならない存在です。アーティストは感性が研ぎ澄まされていますから、富士山への想いも強く、とくに海外のアーティストは富士山へのリスペクトも格別で、ステラシアターで演奏する時にはいつもと違う胸の高鳴りを感じるようです。観客のみなさんも富士山の麓で大好きなアーティストのコンサートが観られることに特別な想いを持たれていますし、そういう出演者とお客さんの想いに触れて、もてなす側のボランティアのみなさんも、当たり前の存在だった富士山の素晴らしさを再確認しています。みなさんの想いの真ん中に富士山がある、というのかな。佐渡さんもステラシアターの舞台でよく、「富士山が見守り、応援してくれた」というようなお話をされますが、富士山って人の心をグッとまとめあげる大事な役割を背負っておられると思いますよ。

−最後に野沢さんがこの先ステラシアターでやりたいことを教えてください。

 将来的には年に4回、季節ごとに音楽祭を開催したいですね。夏の富士山河口湖音楽祭、秋の富士山河口湖ピアノフェスティバルに続き、野外音楽堂が使えない冬に、100人収容の円形ホールで1週間から2週間の室内楽ウイークを開催できたらいいだろうな、と。室内楽の楽しみをみなさんに知っていただくと同時に、そこで海外の演奏家との国際交流演奏会の開催や、若い演奏家に活躍の場を提供し応援することができたらいいなと思っています。富士山の麓のこの地域で素敵な演奏会を開催し続けることで、訪れる人たちに幸せを感じていただきたいです。今の時代、感動できるものはたくさんありますが、自然の中に身を置き、五感を含めたすべての感覚を全開にする感動以上のものはないと思います。しかもそこに日本が世界に誇る富士山が存在する。他では得られない何かを、ここでは感じることができると思います。

野沢藤司
のざわとうじ

のざわとうじ 1968年 富士河口湖町生まれ 地元の高校を卒業後、東京の大学に進学。大学時代はボランティア活動を精力的に行う。一方、服部克久氏作曲のピアノ曲『ル・ローヌ』が弾けるようになりたい一心で大学2年の時からピアノを始める。1991年、富士河口湖町役場に奉職。1994年4月から野外音楽堂準備室に配属。その後、ステラシアター、円形ホールの館長に。富士河口湖町文化振興局長。20歳の時に思い立って以来、これまで富士山に5回登頂。「もう1回は登りたい」と話す。趣味は組み立て式カヌーと釣り。

河口湖ステラシアターHP: https://stellartheater.jp

富士山河口湖ピアノフェスティバル2022(9月22日〜9月25日開催)HP: https://pianofes.stellartheater.jp

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事
橋都彰夫半蔵坊館長・わらじ館館長
上小澤翔吾富士登山競走実行委員会事務局
杉村知穂富士宮市教育委員会教育部文化課
河野格登山ガイド

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