みんなで考えよう

富士山インタビュー

富士山の魅力をさらに広めるためにも、安全登山に必要な情報をもっと伝えたい

2010年から2014年の5年間、開山期に富士山頂の山小屋で働きながら写真を撮影していた植田めぐみさん。
富士山について語る植田さんのお話は、エステティシャンやホテル勤務の経験が生きた、ホスピタリティの精神が感じられるものでした。
写真:田近義博/インタビュー・文:木村由理江

5回の開山期で撮った写真は1万枚以上。写真を撮るたびに、山頂にいられる幸せを感じていました

−スノーボーダーの写真を撮っていた植田さんが、富士山頂で写真を撮ろうと思ったきっかけは何だったんですか。

 スノーボードのオフシーズンには国内のリゾートホテルで仕事をしていたんですが、7、8年前に働いていた浜名湖のホテルに、休みのたびに富士山に登る同僚がいたんです。「富士山からの景色は本当にすばらしいよ」と言われて、富士山に興味が湧きました。静岡県民だから一度は登りたい、登るなら写真を撮りたい、せっかくなら山頂に長期滞在して写真が撮れたらいいだろうな、と。それで山頂の山小屋のアルバイトに応募しました。初めて応募した年はすでに応募が締め切られていて、翌年、再挑戦しました。

−楽しみにしていた山頂からの景色。どうでしたか。

 頂上生活初日は嵐で、山頂に着いたら風雨が強くて一面真っ白。何も見えませんでした。スタッフの中には高山病になる人もいて、自分はここで本当に働き続けられるのかな、暮らして行けるのかな、とすごく不安でした。でも翌朝は天気が回復。初めて山頂からご来光を見た時には、美しさに感動しました。

−それで不安も吹き飛んで、頑張る気になれたんですね。

 はい。あと2年目に、スノーボードの神さまと呼ばれているテリエ・ハーコンセンというプロのスノーボーダーに、山頂で初めて会えたのも大きかったですね。彼が「素晴らしい!」と感動している富士山に自分は住まわせていただいているんだ、と思ったらすごく嬉しくなって、さらにやる気が出ました(笑)。

−忙しい仕事の合間を縫っての撮影。どんなものを撮っていたんですか。

 5年間で1万枚以上の写真を撮りましたけど、自然や風景がほとんどです。山の天候は変わりやすくて、景色の見え方がどんどん変わるんですよ。ちょっと目をそらした瞬間に、雲がまったく別の形になっていたり。もう目が離せないくらい美しいんです。あとは山小屋のスタッフやご来光を見ている登山者の方を撮っていました。みんなが東を向いてご来光の瞬間を待っている間は、たくさんの人がいるとは思えないような静けさなんですよ。そして太陽が姿を見せると手を合わせたり、涙を流したり、万歳をしたり。気分が悪くて座り込んでいた人も、体力の限界だ、と泣いていた人も、目を輝かせている。その様子に、毎回感動していました。山小屋の仕事は決して楽ではないんですけど、撮りたい場面に出会うたびに、山頂にいられること、山小屋で働けていることに感謝してましたね。

自分の身は自分で守るしかないと再確認させられた山頂での日々

−富士山頂で働いたことで変わったことはありますか。

 山登りを始めました。山小屋のスタッフは専用の車両で頂上まで行くので、自力では登らないんです。だから働いていると登山道のことに詳しくはなるんですけど、どれも他の人から得た情報でしかない。その情報をお客さんに提供するのは、接客をする人間としてすごく失礼だと思ったし、お客さんの大変さや喜びも、ちゃんとシェアしたい、とも思ったし。富士吉田口でガイドをしているスノーボード仲間の女の子が主催する登頂ツアーのサポートで登ったのが最初でしたね。富士吉田口をお昼に出発して、夕方には8合目の山小屋に着いて、午前1時に再び出発してご来光を目指して登頂しました。登山道から見る景色も新鮮で楽しかったです。それから10回以上、富士山には登頂していますね。あと、富士山の写真も撮るようになりました。見る方向、天気や季節で異なる素晴らしさがある、と気づいて、1年中富士山にハマってしまったんです(笑)。今も寝起きに富士山のライブカメラをチェックしています。富士山頂にいた時も、下からはこんなふうに見えているのかって。榛原郡の自宅にいる時も、すごくきれいに稜線が出ている場所があるとわかると、パジャマのまま車に飛び乗って撮影に行ったりしています(笑)。

−考え方や感じ方も、変化していそうですね。

 何があっても冷静に考えられるようになりましたね。自然相手に自分たちができることには限りがあると痛感したので、自然の流れに身を任せるようになったというか。例えば台風の時には風で石が飛んできたりするので、戸を木材で塞いで、スタッフみんなで身を寄せ合って暖をとりながら台風が過ぎ去るのを待つしかないし、具合が悪くなった人がいても、お医者さんがいるわけじゃないから、対応できることには限りがある。スノーボードをしている時も、山に入ったら自分の身は自分で守るしかないと思っていましたけど、よりそういう意識が強くなった気がします。情報や状況をもとにこの先に起こるかもしれないことを予測し、最善の対処法を考える癖がつきました。これは無理だ、と判断したら、潔く諦める力もついたと思います。

今年は山頂ではなく御殿場口新5合目から情報を発信します

−今年の夏は富士山頂の山小屋には行かれないそうですね。

 景色の美しさ以外に、富士山頂でもうひとつ痛感したことがあるんですよ。それは安全な富士登山に必要な情報が十分に提供されてないんじゃないか、ということ。例えば、山の天気はとても変わりやすいとか、高山病や落石や雷がどれだけ危険かとか、みなさんに浸透してない気がしたんです。頂上にいたからこそ、そこでたくさんのお客さんを見てきたからこそ感じたことをもとに、より安全な富士登山のために有効な情報や、天候や体調によっては無理せず登頂を諦めることの大切さや、登頂以外の楽しみ方をもっと理解してもらいたい。そのためには登り口で伝えるのが一番いいだろうと思ったんですよね。それで今年の夏は、御殿場口5合目のマウントフジ トレイルステーションに詰めています。シーズン中に何度か登頂すると思いますけど、去年までのような写真は撮れないとわかっているので、ちょっと後ろ髪を引かれてはいるんですけどね(苦笑)。

−それでも御殿場口新5合目で活動したいと、心が動いたわけですね。

 ええ。今は美しい写真を撮ることよりも、みなさんに富士山の魅力を伝えたいという気持ちの方が上回っています。もっと安全に登ってもらうことが、富士山って素晴らしいね、自然の力ってすごいよねって感じてもらえることにつながると思うし、そのためにお役に立つことの方が今の私には大事な気がします。たくさんの人に「また来たい」、「また登りたい」と思っていただける富士山であって欲しいんですよね。

−植田さんが考える富士山の魅力を教えてください。

 登る、眺める、感じる・・。どんなふうにでも楽しめるところですね。それから、みんなをひとつのコミュニティにするところ。登山者同士はもちろん、飛行機や新幹線の中から富士山が見えた時に盛り上がったり、富士山の絵や写真を見て「いいなあ」と思ったりする。それって富士山というコミュニティの一員になっていることだと思うんですよ。年齢、国籍、性別、関係なしにみんなをつないでしまうのが、富士山のすごいところ。写真で富士山の魅力を伝えるだけでなく、事情があって登れない、近くまで見に来られないという方たちに、登った気分、見た気分になってもらえるように、写真だけでなく言葉でも、富士山の素晴らしさをもっと伝えて行きたいですね。

植田めぐみ
うえだめぐみ

1977年4月26日 静岡県榛原郡生まれ 大のキノコ好きで 通称 mush。高校時代にスノーボードを始め、オフシーズンはエステティシャンやホテルマンをして過ごす。28歳でスノーボードカメラマンに。冬は長野、新潟、カナダなどでさまざまなスノーボーダーを撮影。昨年までの5年間、夏期は富士山頂の山小屋で仕事をしながら風景や生活を撮影していた。今年は富士山御殿場口新5合目のマウントフジ トレイルステーションで安全登山の啓発とアドバイスを行っている。富士山情報を伝えるべく日々ブログも更新中。
http://ameblo.jp/photographer-mush/

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事
橋都彰夫半蔵坊館長・わらじ館館長
上小澤翔吾富士登山競走実行委員会事務局
杉村知穂富士宮市教育委員会教育部文化課
河野格登山ガイド

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