−いつデザイナーになろうと思ったんですか。
少し遅かったと思います。静岡から上京した時にはミュージシャンを夢見ていましたからね。専門学校で勉強していたのもデザインじゃなくて建築でした。ただバンドの自主制作CDのジャケットやチラシとかを作るのは僕の役目だったので、いろんな本を見ながらデザインのノウハウを身につけていったんです。気がついたら、ベースを弾くよりデザインしているほうが楽しくなってました(笑)。その先の生き方を考えて、バンドは23歳の時にやめました。でもデザイン会社には勤めようと思わなかったですね。接客がしたかったので、インテリアショップに就職しました。インテリアグッズの販売だけでなく制作もする会社だったので、自分でも何か作り出したいな、と思うようになって、小さなメモ帳に思いついたアイディアを書き留め始めたんです。24歳くらいだったと思うけど、将来自分が今のような仕事をしているなんて、当時は想像もしてませんでしたね。
−その後、どうやってデザイナーになったんですか。
仕事の関係で静岡に戻って来た26歳の頃から、いつかは独立したいな、と漠然と思うようになったんですよ。ちょうどその時期に知り合った建築家さんが「独立するなら30前がいいよ」って。29歳で独立するとしたらのんびりしていられないな、と思い始めてから、少しずついろんなことがクリアになっていった気がします。
−富士山に初登頂したのは2010年7月だそうですね。
富士山に登ると人生観が変わるとか、離婚寸前の夫婦の関係が戻るとか、いろんな話を聞いていたんですよ。人の人生を動かす可能性があるのなら、登るタイミングを大事にしなきゃいけないと思って、富士山に行こうと誘われても“今じゃないな”とずっと断ってました。それが2010年、登ろうという気持ちになったんです。その時には独立を強く意識していたので、せっかく富士山に登るなら自分が考えた富士山グッズを何か持って行こう、と思ったんですよね。奉納とまではいかないまでも、挨拶代わりになるようなものを持って行きたいって。
−それで思いついたのが富士山をモチーフにしたTシャツだったわけですね。
登山1週間前に思いついて、すぐに白いTシャツの裏に青いマーカーで富士山を描いて・・。それを着て裾をめくって富士山が現れた時の興奮は、今でも忘れられないです。ソファを叩いて「これ、おもしろい!」って。富士山頂でそれを初お披露目することを考えると、ドキドキしました。
−山頂でのみなさんの反応はいかがでしたか?
すごくよかったです。周りにいた全然知らない人たちが「おおっ!」っておもしろがってくれて、中には「そのTシャツ、どこで売ってるんですか」って聞いてくる人もましたしね。その大きな手応えに背中を押されて、下山してすぐに独立へと動き出したんです。本格的にgoodbymarketを立ち上げる2011年4月までに、富士山をモチーフにしたアイテムを4つくらい作ってました。山頂でのあの一瞬に、いろんなスイッチが入ったという気がします。あの時富士山に登ろうと思ってなかったら、Tシャツのアイディアも思いつかなかったかもしれないし・・。人生初の富士登山が、大きな転機になったのは間違いないですね。
−静岡県出身の池ヶ谷さんですが、子どもの頃はほとんど富士山を見たことがないそうですね。
住んでいた地域から富士山はまったく見えませんでした。小学校の校歌に“富士山”は登場していたんですけどね(笑)。高校は富士山がすごくよく見える場所にありました。でも当時は恋愛のことで頭がいっぱいで、富士山には目もくれませんでした(笑)。
−富士山のビュースポットでデートしたりはしなかったんですか。
海沿いの堤防の上を2人で並んで歩いて下校する時には、うっすら夕焼けの富士山が背景にどんとあったはずです。絵としてはすごくいいですよね。でも当の2人はまったく意識してなかった(笑)。富士山を強く意識し始めたのは、上京してからです。たまに東京から富士山が見えるたびに、ああ、あの向こうに大好きな地元があるんだな、と思っていたらからでしょうね。デザインに関わる仕事についたことと離れた地元を想う気持ちが重なって、富士山で何か作れるんじゃないかと考えるようになっていった気がします。
−コミュニケーションツールとしてのアイテムということを意識されているようですけど、それはなぜですか。
お店で接客をしていてお客さんと盛り上がるのは、単にかわいいとかきれいなものより、プレゼントするシーンが浮かぶものだったんですよ。だから自分が作るとしたら、お店のスタッフとお客さんが盛り上がれるものにするべきだ、と思ってました。作り手だけじゃなく、お店の人も、お客さんも発信者になれるもの、商品と言葉がいろんな人に伝染していくようなものを作りたいというか。富士山頂で知らない人たちと盛り上がった時に、自分はそういうものを作るべきなんだ、と確信した気がします。
−誰もが知っている富士山をモチーフにした新たなデザインを考える大変さとおもしろさを教えてください。
大変、という感覚は、僕自身にはほとんどないです。僕は考え始めるとずっと考えているんですよ。考えながら眠るから夢の中にも出てくるし、結果的に睡眠も浅くなることが多い。他の人から見たら大変そうに思えるかもしれないけど、僕からしたら、まったくアイディアが出てこない間も、「多分どこかにあるだろう。いつかそれが出てくるタイミングが絶対にあるはずだ。」と思っているからむしろちょっとワクワクしているというか・・。アイディアが出た時の、“ああ、これだ!”っていう感覚は最高ですからね。
−考えること自体を楽しんでいるのかもしれないですね。
そうかもしれないです。みんな、もう出尽くしてるでしょって思っているかもしれないけれど、もしかしたらまだ何かあるんじゃないか、それを見つけられるんじゃないかっていう根拠のない期待のほうがずっと大きいんでしょうね。僕は、富嶽三十六景にちなんで、富士山をモチーフしたアイテムを36個作ろうと考えているんですよ。現時点で15アイテムだから、あと21アイテム。単純に富士山の形を描くなら簡単ですが、思いついた時に自分でも嬉しくなるようなものじゃないと意味がないですよね。それを思うと36アイテム揃うまでにはまだまだ時間がかかる気がしますけど、楽しんでやれると思います。
−富士山をモチーフにしたアイテムで何を伝えようとしているのでしょう?
単純に“富士山が好きだ!”っていうことですね。日本一の高さだし、独立峰でビジュアルも素晴らしいし、毎日変わる表情もおもしろいし、実際に登ったら圧倒的な力や自然美を感じられるし、山頂から四方を見渡す爽快感も他にない。富士山を好きな人がそれぞれに“富士山が好きだ!”というのを発信したり、富士山を楽しんだりするツールになってくれればいいな、と思っています。
−池ケ谷さんは人を喜ばせたり驚かせることが好きなんですね。
好きですね。全ては子どもの頃のいたずらの延長だという気がします。それができるのは、いろんなことを語り合ってきた地元の友人や、離れていても定期的に会ってくれる友人がいてくれるから。友人は多いタイプじゃないけれど、どうでもいいことで盛り上がっている僕を、みんなは肯定してくれている。僕が地元を大好きな理由も、そこにあるかもしれないですね。今も変わらず子どもの頃と同じような感覚でやっていられるなんて、すごく恵まれているな、と思います。
1982年 静岡県清水区生まれ 高校卒業後、東京の建築の専門学校に通いながらバンド活動にいそしむ。その後、東京、次いで静岡のインテリアショップで、店舗の立ち上げや運営、さらにはデザイン業務に携わる。2011年、自身のブランドgoodbymarketをスタートさせ、富士山をモチーフにしたアイテムを次々と考案、販売。クライアントからの依頼を受けたデザインワークも行っており、北海道利尻富士町役場からオファーを受けて制作した、日本最北端の「ご当地富士」、利尻富士をモチーフにしたレターセットやロゴが最新作。