−待ち合わせに北口本宮冨士浅間神社を選ばれた理由を教えてください。
私が最初にガイドをした起点の場所ですので、ここで写真を撮っていただくのがいいのかな、と思って。その時のお客さまは一人でいらしたフランス人の72歳の作家の男性で、河口湖のホテルに3泊して富士五湖周辺をじっくり回りたい、とのことでした。それでこちらにお連れしたら、大変喜んでくださった。苔むした石灯籠や樹齢数百年の杉や檜の木立に囲まれたこの空間が、私自身も大好きなので、とても嬉しかったです。ここに来るたびに初心を思い出しますし、新たなパワーが得られます。お連れするのは、信仰に興味がありそうな方だけですけどね。
−とはいえ宗教的なものは説明が難しそうですね。
キリスト教とかイスラム教とか外国の宗教は一神教が多いですから、最初に、日本には神道と仏教の二つの大きな宗教があること、めでたいことがあれば神社に行き、お葬式があればお寺に行くというように、明確な宗教というより生活習慣の一部としてとらえられているという説明をしています。神社の鳥居は俗世界と神聖な世界の境であるとお話しすると、みなさん、何かスピリチュアルなものを感じてくださっているようです。
−なるほど。さっきから気になっていることをひとつ訊いてもいいですか。なぜこの神社は“富士”ではなくて“冨士”なのですか。
“富士山自体が神さまで、神さまの上に人は立てないから”という説と“富士山は火山で、火山の上に人は立てないから”という説の二説あります。
−すっきりしました(笑)。松井さんは何がきっかけで通訳案内士の国家資格を取ろうと思われたんですか。
子どもが小学校に上がる直前くらいに、短大で専攻していた英語を勉強し直したいな、と思ったのがきっかけです。学生の頃のキャビンアテンダントになるという夢が、どこかに引っかかってもいたのかもしれません。何か目標があったほうがいいな、と考えていた時に見つけたのが通訳案内士でした。当時はかなりの難関で、受かるまでに5年もかかってしまいました(苦笑)。2008年1月に合格し、5月に登録しました
−その翌年には県内の通訳案内士の有志の方と、“富士の国やまなし通訳案内士会”を立ち上げられたとか。バイタリティがありますね。
外国の方が富士山を見に大勢いらしているはずなのに、なかなかお客さまをご案内する機会に恵まれなかったので、会を作ることで認知度をあげたいと思ったんです。県内の30人くらいの通訳案内士の方に手紙を送り、賛同してくださった10人くらいの方たちと活動を始めました。会としての活動が本格的に仕事に結びつくようになったのは、2013年に富士山が世界文化遺産に登録された後に富士山五合目の外国人案内を会として請け負うようになってから。2017年1月には一般社団法人になりました。現在は、20代から80代までの約60人の会員がいます。現役員の方々を中心にしたみなさんのご尽力によって、富士山マラソンの通訳など、会としての仕事の幅が広がってきていることはとても嬉しいですし感謝しています。
−通訳案内士の仕事を始められて約10年。富士山エリアにいらっしゃる外国人観光客の方たちの旅行にはどんな変化が見られますか。
全体の傾向としては、団体旅行から家族とか友だち同士、あるいはお一人さまといった個人旅行へ、また見るだけの観光から体験できる内容へ、と変化しているように思います。旅行会社さんからご依頼いただく、国内各地を回るロングツアーでも、そば作り体験や茶道体験などを組み入れて、日本の文化に触れていただく機会が増えましたし、WEBサイトを通してお客さまから直接ご依頼いただくツアーでも、青木ヶ原樹海の散策や五合目または七合目までのハイキング、湖周辺でのサイクリング、酒蔵見学などを希望されるお客さまが多くなっています。体験することでより深く思い出に残るのだろうと思います。
−WEBサイトを通しての依頼も多いそうですね。
はい。そのほとんどがプライベートツアーです。私は主に富士河口湖、箱根、東京、長野、静岡などをご案内しますが、ツアーの内容はそれぞれのお客さまのご希望を伺いながら毎回カスタマイズしますから、事前に何度もやりとりしますし、お客さまとも仲良くなれるので、私としても毎回とても楽しみにしています。
−富士山エリアのツアーは、どんな内容になることが多いですか。
一番多いのは、河口湖駅で待ち合わせて、青木ヶ原樹海を散策しながら鳴沢氷穴、富岳風穴などの溶岩洞穴を探検し、西湖を通って戻った河口湖畔でランチを楽しみ、ビューポイントにご案内するというものです。一部、富士山五合目や新倉富士浅間神社に組み変えることもあります。このツアーだと所要時間は大体7時間。9時に始めたら16時過ぎには河口湖駅に戻れるので、その日のうちに東京にお帰りになるお客さまにも、河口湖周辺にお泊りになるお客さまにもちょうどいいようです。ロングツアーも少人数のお客さまも富士山エリアは1日で回る方がほとんどなので、「もっとゆっくり案内したいわ~!」といつも思っています。理想は、最初に案内させていただいたフランス人の男性のように、3日間くらいかけて富士五湖や富士山周辺の世界遺産の構成資産のいくつかをじっくり回っていただくこと。なかなか難しいですけどね(苦笑)。
−外国人観光客の方たちは富士山のどんなところに感銘を受けているようですか。
何よりその存在感、その姿の壮大さ、美しさだと思います。ですから富士山の姿が見えると、それだけでお客さまの満足度は確実にアップします。
−歴史や文化についてはどうですか。
富士山の成り立ち、活火山であるということも興味深く聞いてくださいますし、動植物について質問されることもあります。富士山はsheかheかと尋ねられたこともありました。富士山を御神体とする浅間神社が祀るコノハナサクヤヒメがなぜ火をコントロールできる女神さまだと信じられているかとか、富士講に関することなどもお話しさせていただいています。ただ簡単に理解していただくのは難しいので、コノハナサクヤヒメを「ニックネームはPrincess Cherryですよ」と紹介したり、私なりに工夫しています。富士講の人たちの“富士山に登頂すると生まれ変わる”ということをお話しする時には「山頂の大きな火口を母なる子宮に見立てたのかもしれませんね」と付け加えたり。年号や具体的な数字も伝えますが、少しでも記憶に残ってほしい、という思いでご案内しています。
−楽しんでいただくことが何より、ということですね。
そうです。最初は上手に説明するためにはどうしたらいいか、ということばかり意識していて常に緊張していたんですが、4年くらい前だったかな、山中湖でお客さまがハンモックに乗っているのを見て、「よし、私も乗っちゃおう」って思ったんですよ(笑)。以前の私だったら遠慮していたことでしたから、そこで何か吹っ切れたのかもしれません。そこから少しリラックスしてお客さまをご案内できるようになった気がします。今も毎回お客さまにお会いする前は緊張しますが、自分も楽しみながらご案内することで「Yumikoがガイドで楽しかった」という思い出を持って帰ってもらえたら嬉しいな、と思っています。お客さまにとってこのご旅行はonce in a lifetime(一生に一度)かもしれないわけですから、何より安全を大切に、楽しく、そして心が通い合うような時間を過ごしてもらえたら、という思いでいつもご案内しています。
−通訳案内士になって富士山に関することをいろいろ勉強されたと思いますが、その中でもとくに印象に残っていることを教えてください。
苦手だった日本史を含め、日本全体について勉強し直せたこともすごくよかったですが、富士山について地元の専門家の先生のお話をたくさん聞き、また実際に足で歩いての勉強もできたことは本当に貴重な経験でした。その中で一番印象に残っているのは、史跡について学びながら吉田口登山道の起点の北口本宮冨士浅間神社から五合目まで登ったことです。木立に囲まれた道沿いに古い神社や朽ちた山小屋があったり、馬返しには猿の像や33回登頂した富士講の人たちの石碑があったり、かつてそこを通った人たちの富士山への信仰の篤さをひしひしと感じられた。とても新鮮でしたし、その経験はその後のガイディングに大きな影響を与えていると思います。人々が一生に一回は登りたい、と思い続けていた富士山に登らせていただき、またその魅力を外国のお客さまに伝える仕事ができるのは、喜ばしく、また誇らしいことだな、としみじみ思います。
−どこから見る富士山が一番好きですか。
どこから見る富士山もそれぞれに魅力がありますが、やはり河口湖からでしょうか。山中湖からだと右側の小御岳火山と左側の宝永火山の出っ張りがまるで肩のように見えるし、鳴沢からだと寄生火山の存在がちょっと気になってしまう。その点、河口湖から見た富士山は、両方の裾野が均等で、凛として美しい。冬は湖面に映る逆さ富士も見えますしね。
−富士山はよくご覧になっていますか。
短大進学で地元を離れた時期を除いて、子どもの頃からずっと見ています。昔は“ああ、富士山があるなあ”くらいの感じでしたが、通訳案内士として富士山の周辺で仕事をさせていただくようになってからは、見るたびについ手を合わせたくなるというか。毎日、洗濯物を干しながら手を合わせていますから、近所の人が見たら、ちょっと変わってるな、と思うかもしれない(笑)。
−お仕事を通してさらに親近感が湧いた、ということでしょうか。
はい、とにかく存在そのものが偉大ですよね。しかもいつも見守ってくれていて、新しいパワーをもらえている。富士山は私にとってはなくてはならない存在ですね。
1963年 南アルプス市生まれ 県立巨摩高校卒業後、カリタス女子短期大学英語科卒。地元に戻り就職し、結婚。2008年1月に全国通訳案内士の国家資格を取得し、活動を始める。2009年6月に自ら発起人となって“富士の国やまなし通訳案内士会”を設立。ご主人が経営する会社では総務部長も務めながら、年間100日以上はガイドの仕事も。現在大阪の大学に通う息子さんとご主人の3人家族。趣味は旅行で、学生時代から友だちとの旅行ではプランナーだったそう。富士登山は過去4回で、去年、単独のマイペース登山の際に念願のお鉢巡りを体験。
ToursByLocals :
https://www.toursbylocals.com/FriendlyTourGuide-MountFuji-Hakone-Japan
TripleLights :
https://triplelights.com/profile/6862
一般社団法人 富士の国やまなし通訳案内士会HP:
https://www.fygia-japan.com