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富士山インタビュー

印野の熔岩隧道と駒門風穴を、いつか構成資産に加えたいですね

御殿場市で生まれ育ち、御殿場の土師器を修士論文のテーマにし、御殿場市の職員として市内の文化財保護に関わってきた勝俣竜哉さん。
その勝俣さんが取材場所に提案してくださったのは、御殿場市が運営する公園施設「富士山樹空の森」内のビジターセンターでした。
プロジェクションマッピングや大型スクリーンで季節ごとに変化する富士山の表情や富士山の歴史を紹介する天空シアターや展示室、展望テラスもあるガラス張りの建物です。
2011年のオープン当時、勝俣さんは部署の垣根を超えて展示の企画に関わっていたそうで、研修室をお借りしての取材となりました。
写真:飯田昂寛/インタビュー・文:木村由理江

御殿場口登山道は、“気象観測”の道でもあったんですよ

−富士登山駅伝のコースでも知られる御殿場口登山道が開かれたのは1883年。吉田口、富士宮口、須走口、御殿場口と4本ある登山道で最も新しい登山道なんですね。

 御殿場市は、徳川家康が亡くなる直前に隠居所として御殿を建てさせた、という伝承から始まる御殿場村を中心に、合併を重ねて拡大し、現在に至っています。御殿場村は街道の要衝であったので、須走口や須山口へ行く富士道者と呼ばれる登山者たちが御殿場村に泊まったという記録はありますが、江戸時代、御殿場村からの正式な登山道はなかったんですよ。ただ、当時の御殿場村から中畑村(現在の市内中畑)を通って富士山須山口の二合八勺につながる裏道があったらしい。その裏道を、明治時代に整備したのが御殿場口登山道です。開通当初、起点は御殿場村にほど近い西田中八幡宮でした。

−それが現在の起点の御殿場駅に変わったのは?

 1889年に東海道線が開通し、御殿場に停車場(駅)ができてからのことです。御殿場口登山道は東西を結ぶ大動脈である東海道線の駅と富士山頂を結ぶ最短距離の登山道でしたから、夏は多くの登山客が訪れるようになります。またその登山客を目当てに、人々が歩きで旅をしていた時代に宿場町として賑わっていた地域(御殿場村や竹之下村)で商売をしていた人たちも少しずつ御殿場駅の近くに移ってくるようになる。その頃から、御殿場の人々にとって富士山、そして富士登山はとても重要なものでした。また御殿場口登山道は、“気象観測の道”でもあったんですよ。

−富士山測候所との関わりですね。

 そうです。1895年に気象学者の野中到さんと妻の千代子さんが富士山頂に建てた山小屋で日本初の越冬観測に挑んだ時も、1930年に元筑波山観測所長の佐藤順一さんが富士山頂での越冬観測が可能であることを実証した時も、支えたのは御殿場の人々であり御殿場口登山道でした。1936年、現在の気象庁の前身である中央気象台が、国家事業として山頂の測候所での通年の気象観測を始めると、御殿場市内に基地事務所が設置されます。以後、1964年の富士山レーダーの建築の際もそうでしたが、測候所で必要な物資の運搬や人の移動に御殿場口登山道が使われ、強力や馬方、さらには測候所員として多くの御殿場の人々が関わってきました。

−そのことが御殿場の方たちの誇りでもあるんですね。その富士山レーダーは1999年に廃止され、測候所も2004年に閉鎖されました。

 測候所のシンボルともいえる、富士山レーダーを保護していた白いレーダードームは現在、富士吉田市の富士山レーダードーム館に展示されています。御殿場市は、残念ながら譲り受けることができませんでした。しかし、山頂の測候所や基地事務所に関する様々な機材や資料は譲り受けることができましたので、その一部を樹空の森で公開しています。あと、測候所で使われていた3台の雪上車のうち1台は裾野市の富士山資料館に、残り2台は御殿場市が貰い受け、1台を樹空の森で展示しています。

“幕岩”は昔の修験者が感じていた富士山の霊気を追体験感できる場所です

−2013年6月、山域を含む25の構成資産とともに世界文化遺産に登録された富士山ですが、2006年11月に静岡・山梨両県知事が文化庁長官に提出した「富士山世界文化遺産暫定リスト提案書」には42の構成資産候補が記載されていて、そのうち2ヶ所が御殿場市単独のものでした。

 国指定天然記念物の“印野の熔岩隧道”と“駒門風穴”ですね。どちらも富士山の火山活動で流れ出た溶岩流が作り上げたものです。印野の熔岩隧道は、村山修験の修行の場であったともいわれていて、富士講の信者が奉納したといわれる石造物もありますし、駒門風穴からは室町時代のものといわれる鏡が出てきていて、明治時代にも風穴の奥に祠があってお祀りをしていたという地元の人の話もあります。私は2003年4月から御殿場市で文化財の担当をしていて、構成資産候補の抽出やその調査と研究に関わっていましたから、構成資産から外れた時は本当に残念でした。今、御殿場市域で世界文化遺産の登録範囲に該当するのは“富士山山域”と、“山体に含まれる須山口登山道”のうちの、現在、御殿場口登山道になっている二合八勺から上の部分と須山胎内周辺の部分です。印野の熔岩隧道と駒門風穴を、いつか構成資産にしたいと今も思っています。御殿場を訪れる方には、ぜひ、この2ヶ所に足を運んでいただきたいですね。

−御殿場口登山道は脚に自信のある上級者向きと聞いています。かなり厳しい道ということですね。

 確かに過酷です(苦笑)。新五合目から山頂までの行程がとにかく長いんですよ。しかも山小屋の数も少ない。私が初めて登頂したのは山岳部に籍を置いていた高校生の時でしたけど、新五合目から山頂までのコースタイムを確認するという御殿場市役所のアルバイトでした。当時すでに、御殿場口新五合目から山頂を目指す人は少なかったですね。

−登山慣れしていない人間にお勧めの、御殿場口の楽しみ方はありませんか。

 富士山の中腹域に富士宮市・富士市・裾野市・御殿場市・小山町にまたがる富士山自然休養林という原生林がありますが、ここがとてもいいところなんですよ。関連する市や町、県などで組織している富士山自然休養林保護管理協議会のH Pで紹介されている13のハイキングコースを参考に、ぜひ歩いていただきたいですね。山頂まで往復するような体力的な自信はないけれども富士山の自然や歴史に触れたい、という方には本当にお勧めです。山頂を目指すだけが富士登山ではありませんからね。ただ、今年(2020年)は新型コロナ感染症拡大防止のため、すべての登山道は閉鎖され、山は開きません。感染が収束し、またみなさんをお迎えできるようになったら、ぜひお越しください。

−御殿場口の新五合目を経由するコースはいくつありますか。

 宝永火口の縁を経由して新五合目と富士宮口の五合目を結ぶコースと、新五合目、幕岩、二ツ塚を周遊するコースのふたつです。幕岩は、見上げると吊り下げられた幕のように見える溶岩流の断崖です。私が小学生の頃は、遠足のコースになっていました。幕岩の上の遊歩道のコースから下を覗くとかなり怖いですよ。村山修験の記録に“幕岩覗き”というものがありますが、身体に巻いた縄を後ろから引っ張ってもらいながら幕岩の上から身を乗り出し、先達たちと問答していたのでしょう。昔の修験者が感じていた富士山の神聖さ、霊気を追体験できる場所だと思います。

私にとって富士山は、永遠の研究対象です

−子どもの頃の富士山の印象は?

 箱根外輪山の麓から富士山に向かって3kmの通学路を歩いて小学校に通っていましたから、空の半分くらいを占める、ちょっと邪魔くさいバカでかいやつ、という印象でした(苦笑)。実際にはそんなことはないけれど、それくらい大きく感じていました。その富士山が、沼津の高校に進学したら、愛鷹山に隠れて先っぽしか見えない。その時に初めて、富士山が見えないと寂しいなあ、と思いました。その後、富士山がほとんど見えない横浜で浪人時代を1年過ごして、富士山が見えるはずもない金沢で大学生活を始めましたが、大学1年の夏にワンダーフォーゲル部の遠征で行った南アルプスから富士山が見えた時は、ものすごく懐かしかったですね。自分にとって富士山はなくてはならないもの、ないと落ち着かないものですね。

−どこから見る富士山が好きですか。

 富士宮口の五合目から宝永火口の縁へ上がり御殿場市域に入る地点ですね。いつもそこで、ここから御殿場市だな、と思うことも大きいと思いますが、天気がいい日は左手に富士山頂、眼下に巨大な宝永火口、正面に宝永山が見える。そのアングルは好きですね。あと、市内の箱根寄りの地域に住んでいるので、アングルがよく似た、乙女峠や箱根の外輪山を金時山の方から縦走しながら見る富士山も好きです。

−御殿場から見る富士山の魅力を教えてください。

 両方の裾野をパーッと下まで広げた姿でしょうか。どちらかというと“おとなしい富士山”ですね。あと、富士山の風下側に現れる吊るし雲という気象現象に非常に興味を持っているんですよ。樹空の森の天空シアターで展示している、雲と気流の観測と研究のために昭和初期に御殿場に研究所を構えた阿部正直博士の業績に触れたことがきっかけでした。記録を残したくて、吊るし雲が見えるたびに写真を撮っています。吊るし雲は御殿場特有の気象現象ではありませんし、御殿場に来たら必ず見られる、というものではありませんけどね。

−勝俣さんにとって富士山とは?

 欠かせないものであるだけでなく、永遠の研究対象です。専門からはちょっと外れてしまいますが、富士山の火山としてのプロセスもとても気になっています。仕事柄、地べたを掘って研究しますから、出てきた遺物の年代を知る手がかりが富士山の噴火によってできた火山灰や泥流の層であることが大きいでしょうね。また市街地は2900年くらい前の山体崩壊による御殿場岩屑が厚さ20mから30mで堆積していますし、そのあと繰り返し発生した泥流がコンクリートのように固まった硬い層に覆われてもいる。その下に旧石器時代や縄文時代の遺跡が埋れているのではないかと思うと、もどかしさも感じます。そんな御殿場ならではの事情も、考古学が専門の私が火山としての富士山が気になる理由かもしれません。生きている限り、富士山について研究し続けたいですね。

勝俣竜哉
かつまたたつや

1975年 御殿場市生まれ 歴史好きだった父親の影響もあり小学校低学年から考古学に興味を持つ。沼津市内の高校に進学し、一浪後、金沢大学文学部史学科(考古学研究室)入学。2001年、金沢大学大学院文学研究科史学専攻(考古学)修了。測量会社の発掘調査部門を経て、2003年4月から御殿場市役所に奉職。生涯学習と文化財を所管する御殿場市教育委員会社会教育課に在籍し、2019年度は同市観光交流課に異動するが、2020年度より再び社会教育課に。土器づくり、カメラ、DIY、アウトドアなど多趣味で、道具に凝るので“道具道楽”と仲間から言われることも。御殿場のボーイスカウトの指導者でもある。

富士山自然休養林HP:http://www.kyuyorin.jp/
富士山樹空の森HP:http://jukuu.jp/
デジタルミュージアム「御殿場資料館」:https://www.city.gotemba.lg.jp/museum/

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事
橋都彰夫半蔵坊館長・わらじ館館長
上小澤翔吾富士登山競走実行委員会事務局
杉村知穂富士宮市教育委員会教育部文化課
河野格登山ガイド

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