−ガイドをされている旧外川家住宅について、教えてください。
富士山世界文化遺産の構成資産25件のうちのひとつで、国の重要文化財でもあります。御師住宅の小佐野家住宅も構成資産ですが、ご家族が住んでいらっしゃるので、そちらはレプリカが公開されています。ですからこの地区で見学できる御師住宅は旧外川家住宅だけで、1768年に建てられた母屋は、現存する御師住宅の中では最古のものです。御師というのは富士山の神霊と登拝者の仲立ちをした人たちで、祈祷だけでなく登拝者の宿泊の世話をしていました。金鳥居から始まる大きな通りの両脇に、全部で86軒の御師住宅があったと言われています。富士山が世界文化遺産に指定された理由は"信仰の対象と芸術の源泉"ですが、見学できる旧外川家住宅がなかったら"信仰の対象"という部分は説明が難しかったかな、と思いますね。ですからぜひ、みなさん、富士吉田を訪れた際にはまず旧外川家住宅にいらしていただきたいです。館内ガイドから富士講や富士吉田の歴史の話も聞けますし、そのあとに北口本宮冨士浅間神社に行かれて、神社の右手奥から始まる吉田口登山道をご覧になると、当時の人たちがどんなふうに富士山に登っていたかが、よくおわかりいただけると思います。
−富士吉田の方たちにとって御師は、馴染みの深い存在なわけですね。
意外とそうでもないんですよ(苦笑)。御師住宅があるのは上吉田という地域だけで、同じ富士吉田でも違う地域の方は、構成資産になって初めて知った方も多いみたいです。「御師住宅ってどんなところだろう?」という感じで訪れる地元の方も少なくないんですよ。私も富士吉田出身ですけど、ご縁があって旧外川家住宅でお世話になると決まってから富士講や御師の勉強をして知ったことがほとんどです。富士山がそこにあって、普通に人々が暮らしていると思っていたけれど、そこにとんでもない歴史や文化があった。富士吉田の街が500年も前から御師の街として栄えていたのかとか、子どもの頃から見慣れていた金鳥居は登山道の入り口として富士講の人たちが建てたものだったのかとか、当時は通りを白装束の人がたくさん歩いていたんだと想像したら、すごくロマンを感じましたし、奥深さに驚きつつ、もっともっと勉強しなきゃなと思っているところです。
−加々美さんはずっと地元を離れていたと聞きました。どんな経緯で地元に戻られたんですか。
東京で15年くらい出版関係の仕事をして、35歳の時には大好きだった沖縄に移住しました。最初の4年間は本格的な沖縄の工芸品を扱う会社に勤めて、そのあと10年、沖縄の出版社の営業を担当していました。でも49歳の時にふと、このまま営業の仕事を続けるのは体力的に難しいな、と思って。それで会社を辞めて、国内旅行業務取扱管理者の国家資格をとろうと学校に通い始めたんです。18歳の子たちと、机を並べて勉強したんですよ(笑)。
−バイタリティありますね。
沖縄は大好きだったからずっと住み続けようと思っていたし、旅行業も沖縄でやるつもりだったんですけど、それまで富士山を思い出すことがなかったのに、だんだん故郷が恋しくなってきたというか・・。母に「そろそろ富士山が世界遺産になるわよ」という話を聞いて、富士山はすごく素晴らしいけど、PRがまだまだ足りないぞ、と勝手に思いまして(笑)。富士山を全国の方に紹介したいな、と思ってすぐに帰って来ました。
−それが2012年。4年前ですね。
そうです。いろんな観光関係の会社で仕事をしているうちに、ご縁があって旧外川家住宅のガイドをさせていただくことになったんです。それをきっかけに、きれいな富士山をもっと全国に発信したいという気持ちだけだったのが、富士吉田という街を含めて発信したい、と思えるようになった。地元の魅力を改めて知ることができて本当によかったです。
−富士山がきれいだなあ、というのは、いつ頃から感じていたんですか。
子どもの頃は、いつもそこにあったので、改めて眺めることはなかったですね。東京に出てからは、地元に帰って来る時に「ああ、富士山が見えてきた」って。沖縄から戻って来てからは、毎朝富士山を眺めているし、よく携帯で写真も撮ってますけど、ずっと地元に住んでいる妹たちは「何がおもしろいの?」って。沖縄の人が海のきれいさを意識しないのと一緒なんでしょうね。地元から1度外に出たからこそ気づける魅力もあるのかな、と思います。
−昨年12月には、カフェ「北口夢屋」もオープンさせたそうですね。
築450年くらいの空き店舗を活用してお店を出す人を募集していたんですよ。沖縄にいた頃も、那覇で1年くらい手相カフェをやっていて、いずれはやりたいな、と思っていたから「よし」って立候補しちゃいました(笑)。
−果敢ですね(笑)。
周りからは、突然何かを始めるって思われているみたいですね(苦笑)。確かにそうなんですよ。思い切りよく沖縄に行ったり、10年続けた会社を辞めて旅行関係の専門学校に通い出したり、いきなり地元に戻って来て旧外川家住宅のガイドをやって、次はカフェ。しかも54歳で開店ですからね(笑)。大掛かりなリノベーションだったから、けっこう大変だったんですよ。「若い人はビビってできない、ある程度、年齢がいってる加々美さんだからできたね」っていろんな人に言われましたけど、私とすれば、「もう後がない」っていう感じです(笑)。母には「あなたのやることは一貫性がない」とよく言われていましたけど、これまでやってきたことがすべて今、このカフェで役立っている気がします。
−富士山にまつわる一番の思い出を教えてください。
去年の夏の登頂ですね。前に登ったのは25歳くらいの時だから、ほぼ30年ぶりですね(笑)。当時は東京に住んでいて、暇があると山に登っていたんですよ。日本百名山も半分くらい登ってます。山登りにも慣れていたから、その時は朝5時に5合目から登り始めて登頂してすぐに降りて来る、という強行スケジュールでした。お天気がよくて、眺めもよくて、それはそれで本当に素晴らしかったんです。ただお鉢を巡らなかったのがずっと心残りで。そうしたら去年、山小屋で働いている友達が富士登山を企画して、誘ってくれたんですよ。子どもたちも一緒の企画だったから、ゆったりしたペースで登れたし、天気もすごくよくて、富士登山の素晴らしさを本当に実感しました。やっぱりお鉢は巡らないとだめですね(笑)。吉田口から登ったので、太平洋から昇るご来光が見られたんですよ。その神々しさと言ったら! そこから時計回りで静岡側にお鉢を巡ると、上がったばかりの太陽で影富士がもうダーン、と。あれは本当に富士山の上からでないと見えない景色ですね。あと日本アルプスがずーっと見えて・・。360度、いろんな景色が見えて、その全部の景色が本当に素晴らしくて、感動しました。旧外川家住宅でガイドさせていただいている時に、「富士山の山頂には極楽浄土があって、山頂に行くと罪穢れが祓われて生まれ変わって降りて来られるという思想があるんですよ」って話してましたけど、それをすごく実感しました。本当に、極楽浄土だと思いました(笑)。
−今後、どのように富士山や富士吉田の魅力を発信していく予定ですか。
旧外川家住宅の館内ガイドとカフェ「北口夢屋」をやりながら、できることからやっていこう、と思っています。今、考えているのは、"御師の家を訪ねる"というツアー。現在も住民の方がいて、一般公開されていない御師住宅があるんですが、「日時を決めてもらえるなら、見に来ていただいて構わないですよ」とおっしゃってくださっているお宅がいくつかあるので、できれば春くらいから月一の割合で、カフェ「北口夢屋」で企画を立てて募集して、みなさんをご案内したいな、と思っています。どのお宅も、建物だけでなく、富士講にまつわる様々なものが残っていて、本当に素晴らしいんですよ。それを山梨のいろんな地域のガイドブックを作っているNPO法人さんとも連携しながらやっていく予定です。将来的には旅行会社を立ちあげて、富士吉田の御師街だけではなく、富士五湖、富士山周辺の魅力も発信していきたいですね。
1961年1月7日 山梨県富士吉田市生まれ 高校卒業後上京、35歳で沖縄へ移住。2012年地元に戻り、旧外川家住宅の館内ガイドに。昨年12月にはカフェ「北口夢屋」をオープン。易学鑑定士の免許も持ち、カフェでは手相鑑定も行う。カフェ「北口夢屋」定休日の水曜日には旧外川家住宅で館内ガイドを務める。
http://kitaguchiyumeya.com/