−横沢古墳は広見公園の西側の道路を作る時に移築したものだそうですね。
はい。その時に調査も行いました。広見公園には他にも、生の古墳がいくつかあるんですよ。
−“生の古墳”?
作られた当時の場所で、発掘調査しないまま保存されている古墳です。公園の駐車場を作る時にも新しい古墳が見つかりました。この辺りはどこに古墳が眠っているかまだよくわかっていないんですよ。
−そんなに古墳が多いんですか。
富士市だけでなく沼津市とか三島市と沼津市の間にある長泉町とか、富士山から愛鷹山の南側一帯に、5世紀末以降に作られた直径10mから50mくらいの中小規模の古墳が至るところに存在します。同時期に、それ以前の富士山の噴火で被災していたその地域に新たな集落がいくつもできている。古墳は視覚的にリーダーの力を誇示できるものですから、その時期にこの地域を開発し、成功したリーダーたちの古墳ではないかと考えています。
−古墳作りに適した土地でもあった、ということですか。
いや、この辺りの大地を形成しているのは1万年前の富士山の噴火の溶岩なので、あまり深くは掘れません。ですから富士山の溶岩を持ってきて石室を作り、その上にちょっと土をかぶせたくらいの、あまり土を使わない中小規模の古墳が多いんです。富士山の溶岩で古墳を作っている地域は、この辺りくらいじゃないでしょうか。
−古墳を作ったリーダーたちのこと、また当時この地域で人々がどんな暮らしをしていたかなどは、わかっているのでしょうか。
今の富士市域を開発したのは、古墳の発掘から地域の権力者であると同時に武人であり、渡来人の力もかなり使える人物だったと思われます。開発は非常にうまくいったようで、奈良時代には富士郡の役所ができるまでに地域が成長し、開発者の子孫はその役所の官僚を務めたこともわかっています。また鉄器などを作る鍛冶道具やノミやヤリガンナなどの製材道具、縫い針などの縫製道具が出てくるお墓が見つかったり、同じ時期の竪穴住居の遺跡から牛の歯や骨が見つかってもいる。様々な手工業だけでなく、当時、日本で始まったばかりの牛の飼育も行われていたと考えられるので、この地域は物流も、人々の暮らしもかなり豊かだったのではないかと想像できます。今の富士山麓には牧場がたくさんありますが、この周辺で最も古い牧場は、古墳時代の富士山南麓かもしれません。
−いつ噴火するかわからない富士山の麓を開発しようと人々が考えたのはなぜですか。富士山の圧倒的な存在感が人々を惹きつけたのでしょうか。
富士山の魅力も確かにあると思います。でもそれだけではないでしょうね。平安時代の遺跡から出土する土器などは今の山梨や他の地域との活発な交流を感じさせるものが多いので、この地域が交通路の拠点であり、ここでしかできない物流があると当時のリーダーたちが推測したからではないかと考えています。私は“富士山ジャンクション”と呼んでいますが、この地域には、当時の基幹道のひとつである海側の東海道と、今の滋賀県から長野、群馬を経て東北地方にまで至る山側の東山道をつなぐ、連絡道的な役割を果たした中道往還や今の静岡と甲府を結ぶ身延道などがありましたからね。富士山は、麓に豊かな開発地が広がっているぞ、というランドマークにもなっていたかもしれません(笑)。
−古墳時代の人たちは、富士山をどう見ていたと思われますか。
怖い山、荒ぶる山というイメージを抱いていたんじゃないでしょうか。地質学の研究から5世紀に溶岩が至るところで流れていることがわかっていますし、考古学の発掘調査で同時期の火山灰が麓の方でも見つかっていますからね。まだちゃんとした痕跡は見つかっていませんが、その荒ぶる山に向けて、何かしら麓でお祭りをしていた可能性は当然あるだろうと思います。
−この辺りで見つかった古墳に、富士山への信仰を感じさせる痕跡はありますか。例えば古墳の壁に富士山の絵が描かれているとか。
4世紀くらいに作られた大きな古墳のいくつかが、富士山の方角に前方後円墳の主軸を向けていたという報告はあります。ただ、“聖なる山の方向を向いている可能性はある”というところから先に議論がなかなか発展せず、実証できてはいませんね。
−この周辺で富士山信仰に関する遺跡となるとどんなものが?
富士山南麓の標高500m付近に、貞観噴火後の10世紀前後に作られたと思われる1、2軒だけの小さな竪穴住居跡がいくつか確認されています。文字が書かれた土器や他の地域から搬入したと思われる土器が見つかっていることから、ひょっとすると、富士山を鎮めるために登ろうとしたお坊さんや役人のベースキャンプだったのではないか、と考えています。平安時代の有名な学者・都良香(みやこのよしか 834〜879)が書いた『富士山記』には、富士山に登った人間から直接話を聞いたと思われる、“富士山頂には変な岩があり、火口から湯気が立っている”といった具体的な記述がありますからね。
−遺跡が作られた時期と富士登山が始まったと思われる時期が重なるわけですね。
あと13世紀頃に作られた“経塚”という遺跡が富士山の山頂や富士山が望める場所から10以上見つかっています。銅でできた筒に、お経だけでなく鏡や貴族が使っていたと思われる櫛など、当時の庶民には到底用意できないものを入れて納めている。その頃には富士山信仰の祖と言われる末代上人をはじめとする修験者たちが、富士山や愛鷹山で修行をしたのもわかっていますから、彼らもそうやってお経を経塚に埋納したかもしれない。富士山だけでなく、富士山が見える麓でもお祭りをし、祈りを捧げた痕跡でしょうね。
−当時の登山道については、どれくらいわかっているのでしょう。
その辺りは今後の課題です。江戸時代に使われていた道ですらすっかり跡形もなくなっていると研究者の方が嘆いていますが、今は地形を調査解析する技術もどんどん進歩していますから、実地調査とクロスさせながら古代の道を復元していくことも今後は可能なのではないかと思っています。
−大学時代からずっと考古学に関わってこられていますが、どんなところにおもしろさを感じているのですか。
例えば、ほとんど手付かずの古墳の石室に入る機会があった時に、この古墳が作られてから何人の人間がここに入ったんだろう、100人もいないだろうなと想像すると、なんとも言えない感覚になります。遺跡や遺物を通して1000年以上前のことと今の自分がつながっていると実感できることは滅多にないし、感動が大きいですね。
−ご出身は愛知県です。子どもの頃、富士山にはどんなイメージを持っていましたか。
私が育ったのは渥美半島ですが、同じ地区にある雨乞山の山頂から、空気が澄んだ寒い冬の朝方に富士山が見えると言われていました。私は雨乞山に登ったことはあるけれど、そこから富士山を見たことはない。友達から「正月に登ったら富士山が見えたよ」という話はよく聞いていたので、富士山というのは見たくてもなかなか見られない憧れの山、と当時は捉えていたと思います。ちゃんと富士山を意識するようになったのは、大学時代でしょうか。東京に向かう新幹線の車窓から富士山を見て、その大きさ、存在感、しかも独立峰であるということに、すごく驚いた記憶があります。当時は365日のうち半分以上富士山を見られるところに就職することになるとは全く思っていませんでしたけど。
−富士市に奉職されて10年以上。富士山に対する印象は変わりましたか。
見るたびに新鮮な感じがするのは、ずっと変わらないですね。朝、富士山が見られると嬉しいし、その日1日、ちょっと元気に過ごせる気がします。見られない時はどうか? やっぱりちょっと残念な気持ちになりますよ。富士山かぐや姫ミュージアムという名称の博物館で仕事をしていますから、富士山と絡めた企画展をやる機会も多く、富士山の写真はいろいろ活用できる。それでいろんな場所からいろんなアングルの富士山を撮ってストックするのが日課になっていた時期もありました。富士山はどこから見ても富士山だとわかるし、かつて住んでいた人たちが、我々と似たような想いを富士山に持っていたんだろうな、と感じましたね。
−どこから見る富士山が好きですか。
やっぱり富士市から見る富士山です。今はいろんな家や建物が立っているので普段あまり感じることはできませんが、富士市に来た古墳時代の研究者に「富士山が見える古墳に連れていってくれ」と頼まれて一緒に回っていると、この古墳が作られた頃は古墳と富士山の間に遮るものは何もなくて、当時の人たちは富士山頂から海に至るなだらかな斜面に自分が立っている、と実感していたんだろうな、と容易に想像できるんですよ。目の前には美しくて大きな富士山があって、頭上には青空が広がっていて、緑を揺らしながら吹きすぎる風の音が聞こえて、視線を転じると大海原が太陽の光を反射させている・・。なんとも大らかで豊かな気持ちになれます。それが真南の富士市から見る富士山の魅力だと思います。
1983年 愛知県田原市出身 県内の高校を卒業し、立命館大学文学部へ。2008年、立命館大学大学院文学研究科人文学専攻博士前期課程修了。1年間、奈良文化財研究所で奈良県明日香村の発掘に携わり、2009年4月から富士市役所に奉職。教育委員会文化振興課(埋蔵文化財調査室)を経て2013年から富士市立博物館(現・富士山かぐや姫ミュージアム)、2019年から再び富士市文化振興課(同室)勤務。市内の遺跡の発掘作業やミュージアムでの展示の企画・構成などを行う。「発掘のために集中して穴を掘ったり、掘り出した遺物を整理する仕事は無になれるし、自分との対話の時間にもなるので結構幸せです」と話す。休日は他県の博物館の展示や古墳を見にお子さんと出かけることも。
富士市かぐや姫ミュージアム HP
https://museum.city.fuji.shizuoka.jp/index.php