−どんな経緯でスカイランニングに出会ったんですか。
中学時代に野球部と掛け持ちで駅伝をやっていた時に、自己ベストを出した試合で自分が抜かれたことで負けてしまいまして(苦笑)。それが悔しくて駅伝一本に絞ったんですが、成長期の貧血などが重なって、結局、高校卒業までほとんど走れなかった。大学駅伝や実業団駅伝にも憧れましたけど、自分はこの先、特別なことが何もない人生を歩んでいくことになるんだろうな、と諦めていました。ところが配属された今の研究所は駅伝が盛んだったこともあり、もう一度真剣に走ってみよう、と思っていた矢先、トレイルランニングをやっている先輩から「一緒に山を走ってみないか」と。連れてこられたのが御殿場口で、そこから宝永山山頂を目指しました。平地では自分の方が速いのに、山に入ると先輩に全く太刀打ちできない。駅伝とは違う、走り以外の技術や戦略が勝負を分けるスポーツだ、これはおもしろそうだ、とそそられました。最初はトレイルランニングとスカイランニングの区別ができませんでしたが、調べていくうちに自分が体感したのはスカイランニングだったと知ることになるんです。
−トレイルランニングとスカイランニング、どんな違いがあるんですか。
トレイルランニングは“山を走るスポーツ”と日本では捉えられていますが、本来は不整地を走るもので、陸上競技のカテゴリーです。スカイランニングは山岳競技で、必ず山頂を踏む。その“山頂を踏む”という点が自分にとって何よりも魅力でした。初めて宝永山を駆け登り、山頂にたどり着いた時の達成感と空の青さは、今も心に残っています。実はそれが初めての富士山でもあったんですよ。
−初めて富士山に足を踏み入れた時の印象は?
何度かテレビで見ていた、大勢の登山客がゴツゴツした岩場を登るイメージしかなかったので、富士山自然休養林の緑の濃さや木漏れ陽の美しさ、澄んだ空気の気持ちよさにまず驚きました。リスや鹿とも目が合って、自分は歓迎されているな、とも感じたし。沖縄には映画『ジュラシック・パーク』に出てくるような亜熱帯林が多かったので、“本当の森とはこういうものか!”と、その時初めて知りました。道沿いに古い神社があるのも新鮮で、自然だけでなく歴史や文化にもすっかり魅せられました。
−トレーニングも富士山でよくされるそうですね。
今日もこのあと、この水ヶ塚公園周辺を走る予定ですが、一年を通して富士山の山域でトレーニングしていますし、夏はほとんど富士山に入り浸っています(笑)。駆け登った山頂で、お鉢を回ったりしながら2、3時間うろうろして下りてくるというトレーニングも、毎夏20回程度やっています。とくに富士宮口の駐車場から剣ヶ峰の山頂までの距離はちょうど5kmで、その間に標高1376m登ることができる。これは、自分がメインでやっているバーティカルキロメーターという種目の、5km以内で1000mを登るという基準を満たすコースで、かつ標高2400m以上の高地でもある。自分にとっては最高のトレーニング環境なんですよ。タイム? 全力で登ると70分から75分ですね。
−そんな短時間で!?
(笑)。あと、一番距離が長くて累積標高差もある御殿場口から登ったりもします。比較的登山者が少ないので、御殿場口は、ランナーがとても多いです。御殿場口の醍醐味は下りの大砂走りです。経験したことのないスピードが出るし、山中湖や箱根や愛鷹山、天気が良ければ駿河湾までパノラマで見える。本当に空を飛んでいるような経験ができますからね。
−2012年からは8月第一日曜日の富士登山駅伝に、2014年からは7月下旬の富士登山競走に、毎年のように出場されてもいますね。
自分は密かに“富士山ウィーク”と呼んでいますが、両方に出るのが毎年の楽しみですし、出ることで富士山の夏が来たな、と実感できます。自分がマネージャーをしているユース日本代表の世界選手権遠征と重なることもあって、なかなか両方に出るのが難しくなってきていますけど、富士山を全力で駆け登って駆け下りないとどうしても気がすまないようで、両方に出られない時には結局、一人でそれをやっています(苦笑)。
−富士山やスカイランニングと出会って変わったことはありますか。
人生そのものが大きく変わりました。自分と同じように富士山での活動を通して人生を豊かにしてほしいという願いを込めて、富士空界-Fuji SKY-というスカイランニングのクラブチームも作りましたし、富士山でのトレーニングによる肉体的な疲労をケアしに行った治療院で今の妻にも出会いましたし、富士山で世界一のスカイランナーになる、富士山で世界に誇れるレースを作りたい、という夢も生まれた。人間的にもずいぶん大らかになったと思います。スカイランニングを通して富士山やその山域の豊かな自然、そこで暮らす人々と触れ合うことで、人や自然に対する敬意が深まったからだと思います。富士山でトレーニングしていると、毎回何かしら学ぶもの、得るものがあります。富士山は、ただ眺めているだけの人、そこに足を踏み入れる人、みんなを育てる山なんだろうと思います。だからこそ、日本の心とか日本の象徴と言われているんでしょうね。
−その富士山で、世界に誇れるスカイランニングのレースをやる、というのは、涌嶋さん流の恩返しかもしれないですね。
日本スカイランニング発祥の地である御殿場にレースがないのは寂しいですし、海外のレースで出会ったほとんどの人に「富士山でレースをやってくれよ」と言われるくらい富士山は世界の人にとっても特別な山で、世界中のスカイランナーが富士山でのレースを夢見ていますからね。国立公園内ですから、いろんな難関があるのは覚悟していますが、静岡県のスカイランニングを担う者として、実現のためにこれからどう動いていくといいか、計画しているところです。周辺の山域でのレースは2年以内、富士山でのレースは、規模は小さくて構わないので、5年以内が目標です。そのレースは、これから日本にスカイランニングを広めるためのモデルケースになるようなものにしたいとも考えています。
−というと?
スカイランニングはヨーロッパでは非常に人気のあるスポーツで、地域のビジネスとしてもちゃんと成り立っていて、例えばワールドシリーズのレースは、開催する町や村、地域全体で支えるシステムになっています。レースに訪れるたくさんの選手や観客のための特別な宿泊プランや地域の魅力を伝える観光プログラムが用意されていますし、そこで得た利益が地域を潤すだけでなく、登山道の整備や、自然環境の保護に活用されている。すごくいいサイクルで自然と人々が共生できている。それを考えると、スカイランニング はとても美しいスポーツだと自分は思います。そういうレースが富士山でできたらいいし、そういうサイクルが日本中に広まり、スカイランニングが日本に定着したらすごく嬉しいですね。そうしたら、スカイランニングを日本の子どもたちが憧れるスポーツにする、という別の夢も叶うでしょうからね。
−初めてご自分の目で富士山を見たのはいつですか。
高校卒業後に就職し、希望していた静岡の研究所に配属された20歳の時です。想像以上に大きかったし、それまであまり意識したことのなかった宝永火口の存在感がすごくて、自然の猛威を感じました。こっちに住んで8年近くになりますが、毎日富士山はチェックしますし、いつ見ても「いいな」と思います。見飽きることはないですね。
−富士山があるから静岡の研究所を希望した、ということではないんですよね。
それはないです(笑)。自分はいろんなことを考えるのが好きですし、常に最先端の情報や技術に触れて自分でも新しい何かを作りたい、という気持ちがとても強いんですよ。そういう自分の欲求を満たしてくれる職場は、今の研究所以外ないな、と思っていました。趣味でスキューバダイビングもしているので、伊豆というダイビングスポットがあり、かつ富士山もある静岡は環境的に素晴らしいだろうな、とは思っていましたけどね。
−じゃあ、ここで根を張りそうですね。
張りますね。富士山がないともう生きていけない気がするので(笑)。
−どこから見る富士山が好きですか。
沼津アルプスの小鷲頭山から見る富士山です。富士山の手前に、沖縄にいたころから馴染みのある海と愛鷹山と宝永山があり、そこに連なる箱根も見える。僕の好きなものがすべてそこに詰まった、欲張りないい景色なんですよ。あと御殿場市内から見る富士山も好きです。クラブチームのロゴにもしていますが、富士山と宝永山の下に双子山と森が見えて、富士山の成り立ちがよく表れているところが気に入っています。
−富士山で好きな場所は?
絞りきるのは難しいですが・・。ひとつは剣ヶ峰の馬の背。山頂に至る最後の苦しい急登で、もうすぐ山頂に着くというワクワクと、もう終わってしまうという惜しさを感じますし、遠くにはきれいな駿河湾、目の前には急斜面とお鉢があって、登りきったらどんな景色だろうとドキドキもしますし、空気が薄いのでいつもとは違う身体感覚になったりする。いろんな刺激がいっぺんに入ってきて、自分が自分じゃなくなるような感覚が好きですね(笑)。もうひとつは宝永第二火口の底。しばらくそこで寝転んで、持っていったサンドイッチを食べて帰ってくることがたまにあります。ぐるりと見える火口の縁に人影が見えると、マグマはこういう気持ちで人間を見てるのかなと想像したり、いつもと違う視点で物事を見られておもしろいです。富士山を構成する火山と森林に包まれていることで、ああ、富士山にいる、と実感できますしね。
−最後に、2020年に目指しているレースを教えてください。
一戦だけでいいのでワールドシリーズTOP10に入れたらいいなと思っていて、5月3日に中国の四川省である“YADING SKYRUN”を狙っています。距離は41kmと自分のメイン種目のバーティカルキロメーターよりかなり長く、最高標高が5000m超えとハードルも高いんですけどね。それに向けてのトレーニングをこの冬から始めたところです。スカイランナーとしてもまだまだこれからなので、研鑽を重ねて日本を代表するスカイランナーになりたいです。
1992年 東京都墨田区生まれ 生後3ヶ月で千葉県に、8歳から母親の出身地の沖縄県に移る。沖縄工業高等学校卒業後、愛知の自動車メーカーに就職し、現在、静岡県内の研究所に勤務。21歳でスカイランニングと出会い、約1年間のトレーニングを経て23歳でレースデビュー。2年目の2016年にはアジア選手権のコンバインド部門で3位入賞を果たし、以降、多くの好成績を残している。座右の銘は“二兎を得たくば二兎を追え”。「夢に優先順位はつけられない、何ひとつ我慢せず、犠牲にせず、すべてを欲張って生きるんだ、と思っています(笑)。そのためにも学び続け考え続けて、最短の時間で最高の結果を出せる、完全な自分を目指す」と話す。コーヒーが好きで、おしゃれなカフェでコーヒーとスイーツを味わうのも趣味のひとつ。
日本スカイランニング協会HP:
http://skyrunning.jp/
富士空界-Fuji SKY-HP:
https://www.fujisky223.com/