−静岡茶園さんはお父上の望月英男さんが創業された会社だそうですね。
静岡出身でサラリーマンをやっていた父が、僕が生まれた頃に始めた会社です。「5年以内に自社の工場が持てなければお茶屋は諦める」という覚悟で、小売店からスタートしたと聞いています。日本茶は一次加工で荒茶を作り、二次加工で仕上げ茶にしますが、5年以内に仕上げ茶の工場ができて、小売からお茶の製造、卸問屋と仕事の幅を広げてきました。ほとんどの茶葉は契約農家さんに作ってもらっていますが、最近、自社の畑も持つようになりました。
−なぜサラリーマンを辞めてお茶屋をやろうと思われたんでしょうね。
詳しく聞いたことはありませんが・・。一度きりの人生だから、といろんな仕事をしていた時期もあったようですが、そのうち、何か一つ形にしたいと思った時に、静岡という土地柄と親類にお茶屋がいたこともあり、お茶屋をやろうと考えたんだと思います。全く知識のないまま、生産者や工場に足を運んでおいしいお茶を選ぶところから始めたようです。僕のように、出来上がったレールの上を走るのとは全然違います(笑)。母親に聞くと、最初の5年はかなり大変だったみたいです。僕は父のそういう様子を見た記憶はないので、家ではそういう顔を一切しないと決めていたのかもしれませんけどね。
−静岡茶園さんの製品のほとんどは深蒸し茶。深蒸し茶とはどういうお茶か、教えてください。
茶葉は摘み取ると同時に発酵が始まります。発酵は品質に大きな影響を与えるので、できるだけ早く荒茶工場に運んで茶葉を蒸し、酸化を止める。これは日本茶独特の工程です。
−発酵が進むと紅茶や中国茶になってしまうんですよね。
そうです。煎茶など浅蒸しのお茶の蒸し時間は20〜30秒ですが、深蒸しはその2倍から3倍くらい長く蒸します。茶葉は砕けやすくなり、そのためにお茶は濁りますが、茶葉に含まれる旨味や滋養分を十分に引き出すことができる。渋みと苦味が抑えられますし、お湯の温度や抽出時間にこだわらなくてもさっときれいな緑色のおいしいお茶が出るのが特徴です。
−古くからの製法なんですか。
いや、まだ数十年しか経ってないと思います。都心の水道水の評判がよくなかった時期に、深蒸し茶はそれに負けないような味が出せるというので急速に広まったみたいです。その走りだった頃に社長が、深蒸し茶はこれから伸びる、と考えてうちの製品の主軸にしたというわけです。ゼロから始めた社長ならではの発想だったと思います。最近煎茶も見直されていますが、深蒸し茶は現代人の生活にあっていると思いますね。
−静岡茶園さんの社是は“創意、誠意、熱意”。他の人と同じことをしないという創意があったから、会社をここまで大きくできたのでしょうね。
そうだと思います。社長のことはすごく尊敬しています。
−今年のお茶の生育状況はどうですか。
日中は暑いけれど夜の温度が低かったので、新芽が出て茶葉の採れる時期がかなり遅れています。通常、一番茶が4月半ばから5月いっぱい、二番茶は6月半ばから6月いっぱいくらいですけど、もしかしたら二番茶の摘み取りは7月半ばくらいまでかかるかもしれません。新茶、二番茶のシーズンが始まると、前日に摘んだ茶葉を荒茶にした見本茶が、契約している生産者や県下全域の工場からどんどん届いてくるんですよ。それが朝3時半とか4時半くらいからかな。検茶は6時くらいから始めています。
−そんなに早く?
荒茶にする作業は工場で夜通しやっているんですよす。94〜95%まで乾燥させて荒茶にしますから、100キロの茶葉は荒茶になると約20キロ。元の重さの5分の1です。
−おいしさが凝縮されている感じですね。検茶というのは?
20、30種類のお茶をお盆に並べて茶葉の状態を確認し、さらにそれぞれを同じ条件で抽出して、比較対照しながら色や匂いや味を見る作業です。そのうえで価格を交渉し、仕入れるわけです。
−静岡はもともとお茶の名産地として有名ですが、富士山の麓で採れるお茶に何か特徴はあるんですか。
うちが契約している農家さんは富士山に近い県東部地域にも多いですし、荒茶の工場も富士山の見えるところに構えていますが、富士山の麓だから、という特徴となると、正直難しいですね(苦笑)。富士山は霊峰と言われていますし、神聖で清らかなイメージが強い。その富士山の麓のきれいな水、きれいな空気、そこから立ち上る霧に育まれた茶葉ではあるので、お客様はすごくいいイメージを持ってくださっていると思いますし、それにふさわしい味わいのお茶を作っているつもりです。
−そういった製品の一つである“ふじのくにの深むし茶”の収益の一部を、富士山基金に寄付されているわけですね。
富士山の恩恵はたくさん受けていますからね。富士山の麓の茶畑は斜面になっていますから、新芽は標高の低い下から上へ、比較的順番に出てくる。茶葉の摘採の調整がしやすいので、大量にお茶を作るには適していると言えると思います。平坦な畑だと一斉に新芽が出てしまって、工場の処理能力を超えてしまうんですよ。
−自社の茶畑も富士山の麓に?
いや、今、自社で管理している畑があるのは沼津です。それをちょっとずつ静岡県下全域に広げていきたいな、と考えています。茶葉の価格は相場に左右されますので、自分たちがこれなら絶対にお客さんに喜んでもらえる、と思えるお茶を安定的に手にするには、自分たちで作るのが一番理想的なので。それによるリスクも、ないわけではないんですけどね。
−将来は家業を継ぐという意識は、小さい時からあったんですか。
僕ははっきり覚えてないですけど、ちっちゃい頃から「お茶屋の選手になる」と言ってたらしいです(笑)。それがどういうことなのかよくわからないで言ってたんだと思いますけどね。最近、長男が小学校の“将来の夢を語る”という授業で「お茶屋さんになる」と言ったらしいんですよ。小さい頃からペットボトルのお茶を飲み慣れていて、急須で淹れたお茶を飲むようになったのはごく最近ですし、一度もそんなこと、聞いたことがなかったんですけどね。驚きましたけど、嬉しかったです。
−仕事のどんなところにおもしろみを感じていますか。
お客様に提供する品物はいつも同じでないといけないんですが、いろんな種類の茶葉があるし、畑の管理の仕方や気候、気温によって茶葉のコンディションは毎日違う。それぞれの生産者さんや工場の特徴みたいなものも茶葉にすごく出るので、毎日どれだけ見ていても飽きないです。農作物を扱う人は、みんな同じように感じているのかもしれないですけどね。
−日本茶のこれからについて、どんなことを思っていますか。
消費者のお茶離れということがよく言われていますし、生産者の高齢化もあります。うちが契約している生産者さんも、25年前の“若手”が50歳を過ぎた今も“若手”と呼ばれていますからね(苦笑)。日本茶を取り巻く環境はものすごいスピードで変化しているし、明るい材料は多いとは言えませんが、僕は日本茶にはまだまだ可能性があると思っています。ペットボトルのお茶を急須に淹れたお茶に近づけようという最近の流れも追い風になる気がしますし、海外での需要もまだまだ伸びると期待しています。
−日本茶の魅力は、どこにあると思いますか。
個人的には、ほっとするし、懐かしい気持ちになるところです(笑)。あとは、淹れる人の心遣いを感じさせる、おもてなしの心に通じる飲み物であるということでしょうか。相手のことを考え、おいしくなるようにと思って淹れるものなんですよ。おいしくお茶を淹れられるのはオシャレなことだ、とたくさんの人に捉えてもらえるようになるといいんですけどね・・。もっと日本茶を飲んでもらうために何ができるだろうということは、いつも考えています。日本茶をベースにしたデトックスハーブティーなど様々な種類のお茶を作っているのも、日本茶を飲むきっかけになるといいな、と思ってのことです。ガンを抑制したり、悪玉コレステロールを低下させたり、健康への効果を知ってもらうだけじゃなく、日本茶に関するいろんな情報をもっと発信していく必要もある気がします。富士山のきれいな水と空気と霧で育まれたお茶なんですよ、というのもひとつの大きなきっかけになっているとは思うんですけどね。
−富士山に登ったことはありますか。
五合目までは何度も車で行ってますが、その上に登ったことはないですね。日常的に見てるからなのか、登りたい、と思ったこともないんです(苦笑)。でも登ったことがある人はみんな、「登るべきだよ」と。いずれ子どもたちと一緒に登ってみたいという気持ちはあります。
−望月さんが考える富士山の魅力を教えてください。
雲に隠れて見えなくても気にならないくらい日常的なものですけど、見える度に、ああ、きれいだな、と思う。毎日のように見ているのにそう思えるものって、そうないですよね。それが富士山の魅力だと思います。
−どこから見える富士山が一番好きですか。
東名高速道路の上り車線、富士川を超えてちょっと行ったあたりから見える富士山が、僕は一番好きです。下り坂になって、その先に伸びていく東名高速道路と裾野の斜面に広がる富士市の街並みとそびえている富士山が一望できる。工場の煙がもくもく立ってもいますけど、そういうのも全部含めて、富士山とこの地域に住む人たちの暮らしが密接に関わっているんだな、街と人が自然の中に溶け込んでいるんだな、と感じられてなんとも言えない嬉しい気持ちになるんですよ。富士山そのものも大きく見えますしね。あとは、静岡空港に帰ってくる時に飛行機から見える富士山。日本列島に富士山あり、というのを感じます。これが富士山だ! という威風堂々の富士山も、人々が暮らす街と一体になった親しみやすい富士山も、どちらの富士山も好きですね。結局、富士山のことは大好きなんですよ(笑)。
1972年 静岡市生まれ 地元の高校を卒業して、東京の大学へ進学。大学卒業後は「よその釜の飯も食おう」と関連業界の企業に就職し、2年後、製茶問屋 株式会社静岡茶園へ。一時、社長に武道の手解きを受けていた時期もあったが、今は社内のトレーニングスペースでトレーニングに励む。3児の父。