−“山中湖おもてなしの会”発足の経緯から教えてください。
松本さん たまたま地元の先輩後輩で話をする機会があったんですよ。先輩後輩と言っても、保育園から中学まで一緒ですし、みんな親戚だったり従兄弟だったりするので、上下関係みたいなのはまったくないんですけどね。そこで「村はこのままでいいのか、何かやらなきゃまずいんじゃないか」という話になったんです。山中湖村の人たちは観光で食べているはずなのに、観光でもっと盛り上がろうという意欲が全体的に薄い気がして、強烈な危機感があったというか。
高村さん 比べるわけじゃないけど、近くの河口湖とか箱根にある“観光地としての活気”みたいなものも感じられなかったし・・。外国人観光客が日本に増え始めた頃でしたけど、外国からくる人たちの受け入れ態勢が整ってない気がしたのも大きかったですね。
松本さん 今のままだと、気がついたら“山中湖村”がなくなって“富士北麓市”なんて呼ばれるようになるかもしれないし、そのうち地元の人が大事にしている行事や古い風習なんかも、「いらないんじゃない?」と切り捨てられてしまうかもしれない。そうなったらもう郷土とは呼べないのかな、それは困るなと思って。それで、自分たちでできることを何かやろうということになったんです。
高村さん ちょうど東京オリンピックの開催が決まった直後だったので、当時話題になっていた“おもてなし”を会の名前にしました。最初は、「じゃあ、俺らに何ができるのか」というところからのスタートだったよね。
松本さん お金はないし、それぞれに仕事はあるし、休日も家庭やプライベートがあるから時間が限られていますからね。それでまずはゴミ拾いから始めることにしたんですよ。
高村さん ゴミがとにかく多かったんです。きれいにするのは、観光地としては基本ですからね。
松本さん あと、自分たちでアンケートを作って、居酒屋とかで一緒になった外国人のお客さんに出身国だとか旅の目的とかを直接インタビューしてまとめたりもしましたね。
−サイクリングロードの清掃が、すごく大変だったとどこかで読みました。
松本さん それは2015年頃ですね。この辺りはすり鉢状の地形なので、大雨や台風で流れてきた腐葉土や枯葉が堆積しやすいんですよ。しかもその上に雑草が根を張ったりして道幅がすごく狭くなっていた。それを家から持ってきたシャベルでどうにか撤去しようとしたんですけど、堆積物の厚さが10cmくらいあるから、1mきれいにするのに男3人がかりで10分くらいかかってしまうんですよ。
高村さん あれはしんどかったね〜(苦笑)。
松本さん 何かいい方法はないかと考えて、人通りのない早朝に、ブルドーザーでバーッとやっちゃいました。無許可のままでしたけど(苦笑)。でもその活動が認められて賞もいただいたし、国土交通省さんから、全国でまだ35団体ぐらいしか指定を受けてない、道路協力団体に指定していただきました。
−活動が徐々に認められてきたわけですね。
高村さん 最初のうちは「お前らはいったい何をやってるんだ?」って変な目で見られていましたけど、今は「ああ、おもてなしの会か」って。だいぶ浸透してきたと思います。
−発足から間もなく丸8年。現在、恒例化している活動は?
松本さん みんなが忙しくなる夏を除いた月1回のゴミ拾いと2ヶ月に1回のサイクリングロード清掃、あと7月には大平山のハイキングコースの草刈り、9月の安産祭りの休憩所と仮設トイレの設置、そして12月前後に開催する親子でゴミ拾い&焼き芋大会ですね。去年、11月1日と12月1日にやった“親子で山中湖満月ナイトハイク”は、今年から恒例になりそうです。御殿場のmicri(みくり)というフリーマガジンで水ヶ塚公園を起点にした満月ナイトハイクの案内を見つけて、これなら山中湖でもできるんじゃないかと私が思ったのがきっかけです。夏に3歳の子どもを連れて明神峠まで歩いたりしていたので、親子で参加できるように平野パノラマ台から明神峠のコースがいいんじゃないか、と。それを会のみんなに相談して、関係する各方面にも打診して・・。みんなのおかげで、いいイベントになりました。
高村さん すごくよかったですよ。みんなも喜んでくれたし。
−森の再生の活動にも携わられていると聞きました。
松本さん まだ始めたばかりですが、これからもっと積極的に進めていきたいと考えています。今は荒れ放題の森林ですが、うまいこと木を伐採できれば森林が蘇って生き物たちの餌場もできるだろうし、ロードキルも減るんじゃないかと思います。伐採した木の活用法などを含め、森林のことについては東京大学富士癒しの森研究所の齋藤(暖生)先生とよく話をさせていただいています。
高村さん その齋藤先生に声をかけていただいて、普段はなかなか入れない癒しの森研究所の敷地内で去年8月30日の朝5時半〜7時に開かれた、NHK交響楽団の弦楽トリオによる“朝もや音楽会”で朝食の提供とコーヒーのサービスもしたんですよ。
松本さん いろんなイベントを通して、富士山の自然とか富士山とのつながりについてもっと地元の子どもたちに伝えていけないだろうかということも、最近は考えています。今年2月に“山中湖アイスキャンドルフェス”があったんですよ。アイスキャンドルが灯されたり、コロナ禍の収束を願って花火やスカイランタンが打ち上げられたりしたんですが、私たちはそこで竹灯籠を灯しました。静岡を拠点に活動する竹灯籠の先駆者である“アカリノワ”の方たちと一緒に富士山麓の山に入って、伐ってきた竹で共同製作した竹灯籠です。生命力の強い竹は富士山麓の山にもどんどん侵食してきているんですよね。そういう背景のある竹灯籠を灯したことで、自然と芸術と環境をつなぐことができたと思うし、これからも地元の子どもたちがいろんなことを考えたり、感じたりするきっかけが作れたらいいな、と思っています。
高村さん おもてなしの会のFacebookに竹灯籠の写真をアップしたら予想以上の反響で、私たちもすごく嬉しかったです。
−山中湖村の観光地としての発展が、村にどんな変化を起こすといいと考えていますか。
松本さん 実は私たちは、地元を出て行った人たちがなかなか戻ってこないことにも危機感を感じているんですよ。だから私たちがやっていることがいずれ事業化できること、そしてそれが地元出身の人たちが戻って来るいいきっかけになることを期待しています。外で得たものを地元に還元してくれるような循環ができるといいと思うし、「あんな感じで俺たちもやろうぜ」という若い人たちが出てきてくれたら嬉しいですね。
高村さん そうやって村全体が豊かになっていくのが理想ですね。
松本さん 大変な道のりだとは思いますけどね(苦笑)。
−山中湖村の魅力は?
松本さん 昔と変わらない自然環境です。あとは静けさとか。生まれ育ったところですから当然なんでしょうけど、本当に落ち着くし、いいところです。
高村さん 自然は素晴らしいですね。標高が高いので空気がきれいなのもすごくいいし。この自然環境をしっかり守って、次世代につなげていかないといけないなと思っています。
−小さい頃から間近でご覧になっている富士山。どんな存在ですか。
高村さん 神さまですね。私は富士講ではないですけど、子どもの頃からそう思っています。何かあった時は必ず見るし、お墓参りする時みたいに富士山にお願いしたりします。
松本さん この前、6歳の娘が富士山を見て「富士山は男の子? 女の子? でもなんだか女の子みたいだね」って言ったんですよ。確かに、御殿場側から見る富士山は男富士、山中湖側から見る富士山は女富士と呼んだりするんですよね。そういうふうに見る人に何かを感じさせる存在ではあると思います。あって当たり前だし、すべての物事の中心が富士山になってる気がします。何しろあの方が怒ったら、私たちは死んじゃいますしね。
−お2人が好きな、山中湖周辺の富士山絶景ポイントを教えてください。
高村さん いっぱいあるな〜。最近私が好きなのは親水公園とか花の都公園とか・・。
松本さん あとは山中諏訪神社の奥宮とか山中湖交流プラザきららから見る富士山もきれいだよね。
高村さん きららはもう最高の場所ですね。高速から見る、演習場越しの富士山も好きですよ。演習場といえば、私たちはみんな地域の消防団員でもあるので、毎年4月頃に行われる北富士演習場の野焼きに見守りで行くんですけど、その時に見る炎ごしの富士山もすごいですよ。あと明神山とか石割山から見る富士山も、右側に南アルプスが望めていいですよね。
松本さん 絶景ポイントは本当にたくさんあります。それだけ富士山がきれいだ、ということでもあるんでしょうけど(笑)。
−新型コロナウイルスの影響はまだ続いていますが、今はどんな活動を?
高村さん お客さんの少ない状況がずっと続いているので、本当に地元のお店は困っています。
松本さん だからと言って私たちまで止まっているわけにもいかないので、今だからこそできることをやろうと思って、原点であるゴミ拾いをまた始めています。感染が落ち着いたらきれいな富士山が見える山中湖村に、ぜひ遊びに来てください。
まつもとけいじ 1983年 山中湖村生まれ 地元の高校を卒業後、都内の漫画専門学校へ。その後、アシスタントをしながらプロデビューを目指すが、徐々に担当編集者との間で方向性にズレが生じ、漫画を描くことがつまらなくなる。同じ頃、観光業に従事する父親に「自分が勤めている会社を手伝え」と強く誘われ帰郷。アルバイトを経て、今は裾野市のレジャー施設・イエティで営業企画と飲食の責任者を任されている。5人家族。趣味は蕎麦打ち。
たかむらりたろう 1989年 山中湖村生まれ 高校卒業後、地元で1年間観光業に携わる。19歳から24歳までカナダでネイチャーツーリズムを学び、帰国後、河口湖で富士山ガイドや全般的なアウトドアアクティビティのインストラクターとして活動。その後、ワーキングホリデーを利用してニュージーランドで2年間過ごす。2017年に帰国し、河口湖で観光業に従事。2020年6月からコテージ兼キャンプサイトの営業を計画していたが、オリンピックの延期に伴い2021年春に延期。趣味はキャンプとトレッキング。
山中湖おもてなしの会のFacebook:
https://www.facebook.com/山中湖おもてなしの会-435183539940306/
撮影協力:山中湖情報創造館