みんなで考えよう

富士山インタビュー

富士山がいかに特別な山か、今、みなさんに教えていただいています(笑)

最初の東京オリンピックが開催された1964年、富士スバルラインの開通により富士登山は大きく変わりました。
吉田口登山道を利用する登山者のほとんどが、起点である標高850mの北口本宮冨士浅間神社ではなく、標高2305mの五合目から山頂を目指すようになったのです。
馬返しから四合目までの登山道沿いで営業していた10軒以上の山小屋は、登山客の急激な減少による大打撃を受け、すべて廃業。
その後も姿を残していたのは、縁あって77年以降明治大学山岳部OB会の拠点として、さらに富士吉田市が開設する夏季の休憩所としても活用された、江戸後期創業の大文司屋だけ。
その大文司屋が2020年9月、56年ぶりに復活。
2021年も4月15日から11月3日まで、いれたてのコーヒーと紅茶、自家製の焼印、さらにドリンクやカップラーメンを提供していました。
明るい笑顔とおいしいコーヒーで迎えてくれた大文司屋オーナーの羽田徳永さんにお話を伺いました。
写真:井坂孝行/取材・文:木村由理江

2度目の東京オリンピックの年に復活させることが目標でした

−大文司屋を復活させることにしたきっかけを教えてください。

 祖父と同じ60歳そこそこで父が亡くなった時に、きっと自分の寿命も同じくらいだろう、だったら最後に自由な時間が持てるように、サラリーマンは55歳で辞めようと思ったのがそもそものきっかけです。50歳も過ぎて、じゃあ具体的に何をやろうかと考え始めて、父の代まで続いていた大文司屋のことを思い出しました。両親からはほとんど話を聞いたことがないし、当時使っていたものは父が処分したのか、数えるくらいしか残っていませんが、「大文司屋のことを気にして亡くなったんじゃないか」とあとから叔父に言われて、引っかかってはいたんです。55歳で退職して1年間準備したら、最初のオリンピックの年に閉業した大文司屋を2度目の東京オリンピックの年に復活させられる、それってちょっとかっこいいんじゃないか、と(笑)。あまり脇道に逸れない人生を歩んできましたから、ちょっと冒険したいという思いもあったのかもしれないですね。いずれにしてもあまり深く考えず、気楽な気持ちで決めました。

−復活にあたって一番苦労されたのはどんなことですか。

 各方面への申請の手続きです。閉業した山小屋が営業を再開した前例はないし、行政側も想定外だったでしょうから、仕方のないことですけどね。いれたてのコーヒーや紅茶を提供できるように飲食店としての営業許可を得るために、あまり使うとは思えない換気扇と2つのシンクを取り付けたり、下から運んできた水を使えるように何度も交渉したり。準備のための1年は、目一杯遊ぶ時間にもしたかったんですが、思うようにいきませんでした(苦笑)。2020年のゴールデンウイーク前には開業の準備が整い、さあこれから、と思っていたら、新型コロナウイルスの感染拡大で登山道の閉鎖が決まり・・。「大文司屋の復活は東京オリンピック開催の2020年中に」と目標を立てていたので、登山道開通後の9月19日から営業を始めました。11月3日までの約1ヶ月半の営業でしたけど、嬉しかったですね。フルに営業したのは今年が初めてなんですよ。

−約半年間営業されてみて、いかがですか。

 いろんな体験ができました。もともと鈍感な人間でしたが、植物による季節の変化に敏感になったのは、自分でもすごい進化だなと(笑)。あと予想以上にたくさんの方がこの道を行き来されて、しかもみなさんが山登りだけでなくトレイルランニングだとかバードウオッチングだとか苔の撮影だとか昔の道の探索だとか、それぞれに楽しみをお持ちなのに驚きました。地元の人間はえてして地元を知らないもので、僕も富士山の歴史や自然のことをほとんど知りませんでしたけど、みなさんとコミュニケーションする中で少しずつ興味が湧いて、自分でも勉強するようになりました。富士山がどれだけ特別な山かも、ここで出会うみなさんに今、教えていただいています。ある外国人登山者に「日本人は富士山のすごさを知らなすぎる、世界を見渡してもほぼ0m地帯から登れる3000m級の山なんて他にないよ」と力説されて「ああ、そうなんだ」と。その人にとって富士山のどんなところが特別かという話を聞くのも、とても楽しいですよ。

 登山道をより安全で快適に利用できるための環境づくりがもっと必要だと感じています

−営業は8時半から16時まで。毎日どんなふうに過ごしているのでしょう。

 夏には猫の手も借りたいような日がありましたけど、基本的にはゆったり過ごしています。いつでもお客さんにコーヒーがいれられるように朝一番でお湯を沸かしたら、あとはお客さんを待ちながら周辺のゴミ拾いをしたり、周りの景色を眺めたり、本を読んだり。ひとりで上に向かう人がいたら「今日はどちらまで?」とできるだけ声をかけたり、顔を憶えるようにしています。それが何かの時に役に立つかもしれませんからね。

-他のインタビューで“地元に貢献したい、登山の安心と安全に寄与したい”というようなことをおっしゃっていますが、まさにその一環ですね。

 勝手な思いつきで始めたことですが、山好きのお客さんに「山小屋にはある意味公共性があるんだから自覚を持たないとダメだよ」とアドバイスもいただきましたし、やるからにはそういう役割を果たす必要もあるだろうと、段々自覚が出てきました。実際、「自分がここにいてよかった」と思うことが多々あるんですよ。具合の悪い人を下まで送ったり、疲れ切っている上にスマホを途中でなくした人の代わりに馬返しの駐車場までタクシーを呼んだり、少しだけどお役に立てている。急に雷が鳴ったりした時には、ここを退避場所として提供できますからね。

-日々ここにいるからこそ感じる改善点はありますか。

 今、行政を含め、この登山道を盛り上げようとしていますけど、そのためにはより安全で快適な登山ができるように、またこの周辺を上手に利用してもらえるように環境を整える必要があるんじゃないかと感じています。短い期間で何がわかる、と思われるかもしれませんが、ここを利用する人の生の声を一番聞いているのは僕だという自負はあります。話の中でみなさんがぽろりとこぼした「もっとこうなるといいのに」というあれこれを無駄にしないために、いずれは行政に働きかけることも必要になるのかなと思っています。「昨日の台風で倒木があるみたいですよ」といったお客さんからの情報は、富士吉田市の富士山課によく伝えてはいるんですけどね。

-今、もっとも気になっているのはどんなことですか。

 馬返しの駐車場から登山道に入る階段のバリアフリー化です。ほんの十数段ですが、車椅子や足の弱い方は登れない。中には両脇を支えられてなんとか登った方もいましたけど、「自分はいいからみんなでこの先に行ってきて。とても素敵なところだから」と見送る車椅子の方を少なくとも4人、今年お見かけしました。マイノリティに寄り添うのはなかなか難しいことだとは思いますが、僕は長年病院に勤めてきましたから、どこかと組むなりして、なんとか現状を改善できないかなと今、道を探っているところです。

-やりがいを感じるのはどんな時ですか。

 登山道に来た方に「ここが再開してくれてよかった」と言っていただけたり、顔馴染みになったお客さんが僕の顔を見に訪れてくれる時ですね。それが僕のモチベーションになるし、何よりのご褒美です。

植林前は馬返しから、富士山がもっとよく見えていたんですよ

−幼い頃は富士山をどのように見ていたのでしょう?

 実家は北口本宮冨士浅間神社のすぐ近くでしたから、富士山の存在は当たり前すぎてほとんど意識していませんでしたね。ただ東京の大学に進んでからは、たまに帰ってくる時に中央道の大月ジャンクションを過ぎたところでバーンと正面に見えたりすると、“ああ、いい姿だなあ、美しいなあ”と思うようになりました。僕にとって富士山は、登る山じゃなくて見る山なんです。富士山は大事にすべきだし、自然環境をもっと守るべきだとも、その頃からずっと感じています。今、ここから富士山を望むと木立の間から山頂がチラッと見えるだけですが、もともとこの辺りは草山ですから、植林前の古い写真を見ると富士山がもっとはっきり写っている。両親からも、ここから河口湖が見下ろせて、山中湖も見渡せたと聞きました。今はまったく見えませんけどね。以前のように富士山が見えて、湖が見えるようにすることはできないのかな、と思うこともあります。

−半年間ここで過ごされて、どんな景色が印象に残っていますか。

 ここから少し登ると石造りの鳥居があるんですよ。鳥居をくぐった先からが聖域になるんですが、その鳥居の向こうから登山道を見下ろす景色が好きですね。今日のように霧雨が降っている時はとくに、とても神秘的で荘厳な気持ちになります。まあどんな季節でも、どんな時間帯でも、どんな天気でも、この辺りは魅力的な場所ですけどね。

−賑わいを見せていた頃の大文司屋、そこで生き生きと働かれていたお父さんや羽田家の代々の方々に思いを馳せることはありますか。

 あまりないですね。この間、テレビの取材があって、当時大文司屋で働いていた叔母が「女性たちはいつでもお客さんを呼び入れられるように昼夜を問わず働いていて、男性たちは始終お客さんの荷物をつけた馬を引いて七合目とここを往復していた」と話しているのを聞いて、父は常にこの場所で仕事をしていたわけじゃなかったのかと驚きました。とにかく家業だった大文司屋について、僕は知らないことが多すぎるんですよ。もっと話を聞いておけばよかったと思うけど、その頃は僕もまだ若かったのでね・・。今回、大文司屋を復活させたことで、僕の心に引っかかっているあれこれに決着をつけられたらいいなと思っています。

−ご家族は羽田さんの選択についてはなんとおっしゃっているのでしょう。

 妻は不安もあったと思いますが、「あなたが言うことならばしょうがないわね」と応援してくれています。独立して家を出ているひとり息子は、たまにここに遊びにきてくれますよ。僕がこんなことをやり始めたのを、若干羨ましく思っているみたいです。僕が今、自分がやりたいことをやっているのは、ちゃんと勤め上げたから。「まずはお前もしっかり仕事をしろ」と思ってますけどね(笑)。

 

羽田徳永
はだとくなが

はだとくなが 1963年 富士吉田市生まれ 地元の高校から都内の大学へ進学。卒業後は大学職員として勤務し、主に附属病院で病院管理事務に長年携わる。2019年3月で早期退職。2020年9月、1964年に一度廃業した吉田口登山道馬返し大文司屋を、六代目として復活させた。ヴァンフォーレ甲府の熱心なサポーターで、サラリーマン時代も週末の試合はほぼ欠かさず競技場で観戦。現在も仕事の合間を縫って応援に駆けつける。趣味は退職後に始めたサックス。2021年の営業はすでに終了。2022年の営業は4月中旬からの予定。

大文司屋HP: https://daimonziya.com

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家

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