−富士山には毎年登られているそうですが、最初に登ったのは?
大学1年の冬に山岳部の合宿の雪上訓練で登ったのが最初です。以来、毎年登っています。夏に初めて登ったのは、2002年のヒマラヤ遠征前。富士山は日本で高所順応できる唯一の場所ですから。弾丸登山で夜間に登ったら、山頂は悪天候で寒い上に山小屋は閉まっていて誰もいない。夏でも大変な山なんだ、と思ったのを覚えています。
−今年は新型コロナウイルス感染予防のためにすべての登山道が閉鎖され、富士山には誰も登ることができませんでした。
閉鎖が決まった当初は、しかたがないことと受け入れたつもりでしたが、いつも開山する夏になったら、富士山に登れないのはこんなに寂しいことなのか、と富士山ロスを感じるようになりました。自分の意思で登らないのと、登りたくても登れないのではやっぱり全然違いますね。
−以前から天野さんがサポート役で参加されている、今は亡き田部井淳子さんが2012年の夏に始めたプロジェクト「東北の高校生の富士登山2020」も、今年は中止になりました。どんな思いで参加されていたのですか。
僕は東日本大震災の直接的な被害はなにも受けてないんですよ。ただ嫁さんが青森出身だったり、震災の年に息子が生まれたりしているのでなにか力になれるなら、と。でも最初は、僕らが想像できないような大変な経験をした彼らにどう接していいか、どんな言葉をかけていいか、正直全然わからなかったですね。ただ、富士山に来た彼らに僕らができるのは、彼らの富士登山をサポートし、楽しんでもらうことなので、それに専念しました。そこで何を感じて帰るかは、彼ら次第ですから。その後、毎年作っている活動報告書で「富士登山の経験がすごく役に立っている」と参加者が書いているのを読んで、遅まきながら活動の意義を実感したような感じです。これからは震災のことをあまり憶えていない高校生たちが増えていくでしょうから、活動の意味合いは当初とは少しずつ変わっていくのかもしれませんよね。でも日本一の富士山に登ればなにかしら感じるものはあるでしょうし、ほぼ初対面のみんなと一緒に登ることで得られるものもあるでしょうから、その経験が彼らの人生になんらかの形で活きてくれればいいな、と思っています。
−今年も本当であればたくさんの東北の高校生が、富士山頂に立つはずだったんですけどね。
東北の高校生の他にも、この夏、富士山に登りたかった人はたくさんいるでしょうから、その気持ちを切らさず、来年、富士山に登ってほしいです。山には登るべきタイミングがある、と僕は思っているので、登れる時に登っておいたほうがいいと思います。よく“山は逃げない”と言うけど、富士山が噴火したらしばらく登れなくなりますから。
−タイミングを逃さない、やれる時にやる、というのは、どこか人生に通じますね。天野さん自身が、山登りの経験から学ばれたことでもあるんですか。
僕は大学を卒業してから10年くらい、就職せずに山登りをしていたんですよ。僕にとって大学の山岳部時代は“修業の期間”だったから、卒業して自分が思うような山登りができると思ったら、就職なんてしてられない、と思って(笑)。ちゃんと就職して社会に貢献するのが一番大事なことだとは思いますが、若い時にしかできないことはあると思ったし、僕自身、若い時にしかできない登山ができたと思っています。その経験が、今後、どう活きていくかは自分次第ですけどね。人それぞれとは思うけど、今は昔より新卒で就職しなくても大丈夫な時代になっていると思うので、若いうちはやりたいことにどっぷり浸かるといいと思うよ、と後輩や若い人にアドバイスしています。
−大学を卒業した時には、どんな山に登りたいと思っていたんですですか。
富士山より高い山に登ったことがなかったので、高い山、それもヒマラヤ山脈に行きたかったですね。それで山岳部OB会の遠征隊に参加して3年連続でヒマラヤの8000m級の山に登りました(2001年・ガッシャーブルムII峰8035m、I峰8068m、2002年・ローツェ8516m、2003年・アンナプルナI峰8091m)。
−通常は酸素ボンベを使うことが多いローツェに、天野さんは無酸素で登られたそうですね。
酸素ボンベを吸いながら登りたくないというこだわりがあって、そのわがままを許してもらいました。酸素ボンベを使うと体感高度が2000mくらい下がると言われているんですよ。8000mの山も6000mの山に酸素ボンベなしで登っているのと同じくらいの身体的負担で済むらしい。高いが故に尊い山なので、その尊さ、その大変さを感じたかったんですよね。
−その後は、アルパインスタイルという、一旦ベースキャンプを出たら補給を含めたサポートを受けず、固定ロープ、酸素ボンベも使わずに登るという非常に過酷な登山を始められています。
アルパインスタイルへの憧れはずっとありました。ただ安全性が確保されていない冒険的な登山なので、いきなりはチャレンジしにくい。それで遠征隊でいろんな経験を積ませてもらっていたんですが、アンナプルナに登った時に、今の時点では無理だけど、足りないところを埋めていったらここをアルパインスタイルで登ることは不可能ではないな、と確信できた。それでアルパインスタイルに必要な体力、経験、クライミングの能力などを国内外のトレーニングで高め、その後何度か、アルパインスタイルでヒマラヤの山に登ることができました。
−2008年9月にはアルパインスタイルでカランカ北壁(6931m)の初登攀に成功し、日本人初のピオレドール賞を受賞しています。
でもね、僕自身はあの登山はそんなにいい登山だとは思ってないんですよ。僕らが考えていた通りには全然進まなかったというか。たまたまテントを張れる場所が見つかったから悪天候をしのげたし、そこで5日間停滞したあとも僕らのモチベーションは少しも落ちていなかったから、普通に考えたら下山するべき雪のコンディションだったにもかかわらず山頂を目指せた・・。幸運な偶然がいくつも重なったから無事に帰ってこられたけど、なにかが一つ違っていたら命はなかったでしょうね。翌年、同じメンバーでパキスタンのスパンティーク7027mにアルパインスタイルで登りましたけど、その時はトラブルがありながらも、自分たちの想定をそれほど超えずに登ることができた。初登攀ではなかったので世間的な評価はいま一つでしたけど、自分たちの力で登山できた気がして、充実感、自己満足度は高かったです。そのあとも何年か連続でギリギリの登山をしましたけど、狂気に近い情熱があったからこそできたことだと思います。
−天野さんにとって山登りの魅力は?
よく訊かれますけど、正直、よくわからないです。景色がきれいだとか充実感を得られるという言葉は出てくるけど、どれも後付けでしかないというか。たまたま自分に向いていた、というのはあると思いますけどね。
−登りながら充実感を感じるのは?
ふとした瞬間です。きれいな景色を見ている時とか一人で山を走っていて苦しいけど気持ちがいい時とか岩登りの難しいところを登った時とか・・。あと降りてきた山を麓から眺める時間も結構好きです。山の中にいると気持ちが緩み切らないので、ヒマラヤであっても山頂で感動することは全くなくて。降りてきて初めて、「ああ、あそこに俺は行ったのか」と感じることができるんですよ。
−山は富士山が一番、とおっしゃってもいます。どんなところが魅力ですか。
なにより“地元の山”だからですね。山梨県民として、富士山はやっぱり山梨の山だと思っているんです(笑)。ただその富士山の特別さを認識したのは、富士山のガイドをするようになってからです。フリーターをしながらヒマラヤに登っていた頃に、短期間である程度まとまったお金が稼げるしトレーニングにもなると思ってガイドを始めたんですが、お客さんはみんな、日本各地から時間とお金をかけて、しかも並々ならぬ熱意を持って富士山にやってくるんですよ。それを知って、そんな山は他にないなあ、と。今はいろんな人のいろんな想いを感じられるのが、富士山のガイドの一番の楽しみだとも思っています。よく、夏の富士山は人が多いから嫌だ、と言う人がいますけど、僕は夏の富士山は“お祭り”だと思っているんですよ(笑)。お祭りに人がいないと寂しいじゃないですか。だから毛嫌いせず、それも含めて楽しんでもらえると嬉しいですね。
−どこから見る富士山が好きですか。
やっぱり山梨県側から(笑)。富士山はどこから見るかによってかなり形が違いますが、端正さで言ったら三ツ峠山からとか、地元の甲州アルプスからとか、北側から見る富士山が一番だと思います。静岡の人にもいろいろ言い分はあると思いますけどね(笑)。あと南西側から見る富士山も好きです。甲府市辺りからだと山頂は剣ヶ峰と白山岳が角のように見えますが、西からは真ん中が高く見える。それがいい形なんですよ。いつもきれいだな、と思って見てますね。
−コロナの影響で今、富士山を含め登山に様々な制限がかかっていますが、一方で、これから人々はもっと自然に親しむようになるんじゃないかとも言われています。その辺りについて天野さんはどう思われますか。
山では密になることはありませんから、安心して自然に親しんでほしいし、そういう人が増えるといいな、と思います。そもそも僕がやっていることはどれも、多くの人に山の魅力を知ってもらって、山登りを楽しんでもらうのが目的なんですよ。山登り=辛いと思われがちですけど、一度経験したらそのおもしろさに目覚める潜在的な登山者も実はたくさんいるはずだ、と考えてもいるので、自然に親しみ、登山する人が増えてくれるといなあと思います。山梨には初心者におすすめの山もいろいろあるので、ぜひ、登りに来てほしいです。
−甲州市観光大使としてのおすすめは?
一番はやはり大菩薩嶺ですね。上日川峠から大菩薩峠を巡る4時間くらいのルートは、とくに初心者におすすめです。標高差もそれほどなくて、景色もいい。晴れていれば富士山もよく見えます。ただ、メジャーすぎて週末は人が集中するのが難点というか。ちょっとそのルートからは外れますが、他にもこの白谷ノ丸のように、登山者が少なくて気持ちのいい場所がありますから、そちらにも足を伸ばしてほしいです。いずれにしても登山は安全第一。体調と準備をしっかり整えて、山をもっと楽しんでほしいですね。
1977年 山梨県大和村(現甲州市)生まれ 両親の影響で小さい頃から山に親しみ、故植村直己氏に憧れて入った明治大学山岳部で本格的に登山を始める。2001年明治大学法学部卒業後、ヒマラヤなど海外の名峰に次々登り、8000m峰6座登頂も果たす。2003年には読売新聞スポーツ賞と植村直己冒険賞特別賞を受賞、2008年、カランカ北壁初登攀によってピオレドール賞を日本人として初受賞した。「怪我を契機に遠征登山からはしばらく離れているが、エベレストにアルパインスタイルで登りたいという気持ちは今もある」と語る。
・東北の高校生の富士登山HP https://junko-tabei.jp/fuji
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