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富士山インタビュー

端正さで言ったら、北側から見る富士山が一番だと思います(笑)

悪天候による複数回の延期を経た取材当日、
登山界のアカデミー賞と言われるフランスの山岳賞・ピオレドール賞の日本人初の受賞者である天野和明さんが案内してくれたのは、
天野さんの地元である甲州市内の焼山沢沿いを歩き、湯ノ沢峠を経て白谷ノ丸(しらやのまる)に至るルート。
ちょうど昼時に到着した白谷ノ丸は、草原が広がり、風が吹き抜けるとても心地いい場所でした。
そこで天野さん自ら豆を挽いて淹れてくれたコーヒーのおいしかったことと言ったら!
午前中に姿を見せていた富士山は、白谷ノ丸に着いた時には残念ながら雲に隠れてしまっていましたが、
自然の中に心身を浸す喜びと贅沢を、たっぷり味わうことができました。
写真:井坂孝行/インタビュー・文:木村由理江

登らないのと登れないのは違う。この夏は富士山ロスを感じました

−富士山には毎年登られているそうですが、最初に登ったのは?

 大学1年の冬に山岳部の合宿の雪上訓練で登ったのが最初です。以来、毎年登っています。夏に初めて登ったのは、2002年のヒマラヤ遠征前。富士山は日本で高所順応できる唯一の場所ですから。弾丸登山で夜間に登ったら、山頂は悪天候で寒い上に山小屋は閉まっていて誰もいない。夏でも大変な山なんだ、と思ったのを覚えています。

−今年は新型コロナウイルス感染予防のためにすべての登山道が閉鎖され、富士山には誰も登ることができませんでした。

 閉鎖が決まった当初は、しかたがないことと受け入れたつもりでしたが、いつも開山する夏になったら、富士山に登れないのはこんなに寂しいことなのか、と富士山ロスを感じるようになりました。自分の意思で登らないのと、登りたくても登れないのではやっぱり全然違いますね。

−以前から天野さんがサポート役で参加されている、今は亡き田部井淳子さんが2012年の夏に始めたプロジェクト「東北の高校生の富士登山2020」も、今年は中止になりました。どんな思いで参加されていたのですか。

 僕は東日本大震災の直接的な被害はなにも受けてないんですよ。ただ嫁さんが青森出身だったり、震災の年に息子が生まれたりしているのでなにか力になれるなら、と。でも最初は、僕らが想像できないような大変な経験をした彼らにどう接していいか、どんな言葉をかけていいか、正直全然わからなかったですね。ただ、富士山に来た彼らに僕らができるのは、彼らの富士登山をサポートし、楽しんでもらうことなので、それに専念しました。そこで何を感じて帰るかは、彼ら次第ですから。その後、毎年作っている活動報告書で「富士登山の経験がすごく役に立っている」と参加者が書いているのを読んで、遅まきながら活動の意義を実感したような感じです。これからは震災のことをあまり憶えていない高校生たちが増えていくでしょうから、活動の意味合いは当初とは少しずつ変わっていくのかもしれませんよね。でも日本一の富士山に登ればなにかしら感じるものはあるでしょうし、ほぼ初対面のみんなと一緒に登ることで得られるものもあるでしょうから、その経験が彼らの人生になんらかの形で活きてくれればいいな、と思っています。

−今年も本当であればたくさんの東北の高校生が、富士山頂に立つはずだったんですけどね。

 東北の高校生の他にも、この夏、富士山に登りたかった人はたくさんいるでしょうから、その気持ちを切らさず、来年、富士山に登ってほしいです。山には登るべきタイミングがある、と僕は思っているので、登れる時に登っておいたほうがいいと思います。よく“山は逃げない”と言うけど、富士山が噴火したらしばらく登れなくなりますから。

若いうちはやりたいことにどっぷり浸かるといいと思っています

−タイミングを逃さない、やれる時にやる、というのは、どこか人生に通じますね。天野さん自身が、山登りの経験から学ばれたことでもあるんですか。

 僕は大学を卒業してから10年くらい、就職せずに山登りをしていたんですよ。僕にとって大学の山岳部時代は“修業の期間”だったから、卒業して自分が思うような山登りができると思ったら、就職なんてしてられない、と思って(笑)。ちゃんと就職して社会に貢献するのが一番大事なことだとは思いますが、若い時にしかできないことはあると思ったし、僕自身、若い時にしかできない登山ができたと思っています。その経験が、今後、どう活きていくかは自分次第ですけどね。人それぞれとは思うけど、今は昔より新卒で就職しなくても大丈夫な時代になっていると思うので、若いうちはやりたいことにどっぷり浸かるといいと思うよ、と後輩や若い人にアドバイスしています。

−大学を卒業した時には、どんな山に登りたいと思っていたんですですか。

 富士山より高い山に登ったことがなかったので、高い山、それもヒマラヤ山脈に行きたかったですね。それで山岳部OB会の遠征隊に参加して3年連続でヒマラヤの8000m級の山に登りました(2001年・ガッシャーブルムII峰8035m、I峰8068m、2002年・ローツェ8516m、2003年・アンナプルナI峰8091m)。

−通常は酸素ボンベを使うことが多いローツェに、天野さんは無酸素で登られたそうですね。

 酸素ボンベを吸いながら登りたくないというこだわりがあって、そのわがままを許してもらいました。酸素ボンベを使うと体感高度が2000mくらい下がると言われているんですよ。8000mの山も6000mの山に酸素ボンベなしで登っているのと同じくらいの身体的負担で済むらしい。高いが故に尊い山なので、その尊さ、その大変さを感じたかったんですよね。

−その後は、アルパインスタイルという、一旦ベースキャンプを出たら補給を含めたサポートを受けず、固定ロープ、酸素ボンベも使わずに登るという非常に過酷な登山を始められています。

 アルパインスタイルへの憧れはずっとありました。ただ安全性が確保されていない冒険的な登山なので、いきなりはチャレンジしにくい。それで遠征隊でいろんな経験を積ませてもらっていたんですが、アンナプルナに登った時に、今の時点では無理だけど、足りないところを埋めていったらここをアルパインスタイルで登ることは不可能ではないな、と確信できた。それでアルパインスタイルに必要な体力、経験、クライミングの能力などを国内外のトレーニングで高め、その後何度か、アルパインスタイルでヒマラヤの山に登ることができました。

−2008年9月にはアルパインスタイルでカランカ北壁(6931m)の初登攀に成功し、日本人初のピオレドール賞を受賞しています。

 でもね、僕自身はあの登山はそんなにいい登山だとは思ってないんですよ。僕らが考えていた通りには全然進まなかったというか。たまたまテントを張れる場所が見つかったから悪天候をしのげたし、そこで5日間停滞したあとも僕らのモチベーションは少しも落ちていなかったから、普通に考えたら下山するべき雪のコンディションだったにもかかわらず山頂を目指せた・・。幸運な偶然がいくつも重なったから無事に帰ってこられたけど、なにかが一つ違っていたら命はなかったでしょうね。翌年、同じメンバーでパキスタンのスパンティーク7027mにアルパインスタイルで登りましたけど、その時はトラブルがありながらも、自分たちの想定をそれほど超えずに登ることができた。初登攀ではなかったので世間的な評価はいま一つでしたけど、自分たちの力で登山できた気がして、充実感、自己満足度は高かったです。そのあとも何年か連続でギリギリの登山をしましたけど、狂気に近い情熱があったからこそできたことだと思います。

−天野さんにとって山登りの魅力は?

 よく訊かれますけど、正直、よくわからないです。景色がきれいだとか充実感を得られるという言葉は出てくるけど、どれも後付けでしかないというか。たまたま自分に向いていた、というのはあると思いますけどね。

−登りながら充実感を感じるのは?

 ふとした瞬間です。きれいな景色を見ている時とか一人で山を走っていて苦しいけど気持ちがいい時とか岩登りの難しいところを登った時とか・・。あと降りてきた山を麓から眺める時間も結構好きです。山の中にいると気持ちが緩み切らないので、ヒマラヤであっても山頂で感動することは全くなくて。降りてきて初めて、「ああ、あそこに俺は行ったのか」と感じることができるんですよ。

夏の富士山は“お祭り”。人が多いことも含めて楽しんでもらえるといい

−山は富士山が一番、とおっしゃってもいます。どんなところが魅力ですか。

 なにより“地元の山”だからですね。山梨県民として、富士山はやっぱり山梨の山だと思っているんです(笑)。ただその富士山の特別さを認識したのは、富士山のガイドをするようになってからです。フリーターをしながらヒマラヤに登っていた頃に、短期間である程度まとまったお金が稼げるしトレーニングにもなると思ってガイドを始めたんですが、お客さんはみんな、日本各地から時間とお金をかけて、しかも並々ならぬ熱意を持って富士山にやってくるんですよ。それを知って、そんな山は他にないなあ、と。今はいろんな人のいろんな想いを感じられるのが、富士山のガイドの一番の楽しみだとも思っています。よく、夏の富士山は人が多いから嫌だ、と言う人がいますけど、僕は夏の富士山は“お祭り”だと思っているんですよ(笑)。お祭りに人がいないと寂しいじゃないですか。だから毛嫌いせず、それも含めて楽しんでもらえると嬉しいですね。

−どこから見る富士山が好きですか。

 やっぱり山梨県側から(笑)。富士山はどこから見るかによってかなり形が違いますが、端正さで言ったら三ツ峠山からとか、地元の甲州アルプスからとか、北側から見る富士山が一番だと思います。静岡の人にもいろいろ言い分はあると思いますけどね(笑)。あと南西側から見る富士山も好きです。甲府市辺りからだと山頂は剣ヶ峰と白山岳が角のように見えますが、西からは真ん中が高く見える。それがいい形なんですよ。いつもきれいだな、と思って見てますね。

−コロナの影響で今、富士山を含め登山に様々な制限がかかっていますが、一方で、これから人々はもっと自然に親しむようになるんじゃないかとも言われています。その辺りについて天野さんはどう思われますか。

 山では密になることはありませんから、安心して自然に親しんでほしいし、そういう人が増えるといいな、と思います。そもそも僕がやっていることはどれも、多くの人に山の魅力を知ってもらって、山登りを楽しんでもらうのが目的なんですよ。山登り=辛いと思われがちですけど、一度経験したらそのおもしろさに目覚める潜在的な登山者も実はたくさんいるはずだ、と考えてもいるので、自然に親しみ、登山する人が増えてくれるといなあと思います。山梨には初心者におすすめの山もいろいろあるので、ぜひ、登りに来てほしいです。

−甲州市観光大使としてのおすすめは?

 一番はやはり大菩薩嶺ですね。上日川峠から大菩薩峠を巡る4時間くらいのルートは、とくに初心者におすすめです。標高差もそれほどなくて、景色もいい。晴れていれば富士山もよく見えます。ただ、メジャーすぎて週末は人が集中するのが難点というか。ちょっとそのルートからは外れますが、他にもこの白谷ノ丸のように、登山者が少なくて気持ちのいい場所がありますから、そちらにも足を伸ばしてほしいです。いずれにしても登山は安全第一。体調と準備をしっかり整えて、山をもっと楽しんでほしいですね。

天野和明
あまのかずあき

1977年 山梨県大和村(現甲州市)生まれ 両親の影響で小さい頃から山に親しみ、故植村直己氏に憧れて入った明治大学山岳部で本格的に登山を始める。2001年明治大学法学部卒業後、ヒマラヤなど海外の名峰に次々登り、8000m峰6座登頂も果たす。2003年には読売新聞スポーツ賞と植村直己冒険賞特別賞を受賞、2008年、カランカ北壁初登攀によってピオレドール賞を日本人として初受賞した。「怪我を契機に遠征登山からはしばらく離れているが、エベレストにアルパインスタイルで登りたいという気持ちは今もある」と語る。

・東北の高校生の富士登山HP https://junko-tabei.jp/fuji

・東北の高校生の富士登山Facebook https://www.facebook.com/touhokunokoukouseinofujitozann/

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事
橋都彰夫半蔵坊館長・わらじ館館長
上小澤翔吾富士登山競走実行委員会事務局
杉村知穂富士宮市教育委員会教育部文化課
河野格登山ガイド
鈴木啓悟富士山写真家
松山美恵山梨県富士山科学研究所自然環境科助手

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