みんなで考えよう

富士山インタビュー

富士山も地球の自然も“未来からの借り物”だと思っています

約15年に渡り富士山で様々なツアーを提供してきた岩崎仁さん。
その岩崎さんが経営するBar roots&fruitsを今回、取材場所としてお借りしました。
こだわりの行き届いた店内は居心地がよく、上質なお酒と音楽で楽しく更けていったいくつもの夜の余韻が残っているようでした。
取材のあと、お店のメニューでもある、岩崎さんお手製のガトーショコラをご馳走になったのですが、繊細で濃厚なおいしさに驚きました。
仕事でも趣味でも、これと決めたことはとことん追求してしまう方なのだと、ガトーショコラが改めて教えてくれました。
写真:飯田昂寛/インタビュー・文:木村由理江

富士山の魅力の7割は、五合目から下にある

−最初に自然保護を意識するようになったきっかけを教えてください。

 高校生の頃、山梨の武田の杜の一部が道路用地になるという新聞記事を読んだことです。中学に入るまでは放課後に近所の田んぼで生き物を捕まえて観察するのが一番の楽しみでしたから、自然が人間の都合で破壊されるなんてことがあるんだ、と。

−それで日本野鳥の会に?

 野鳥の会の門を叩いたのはもっとあとの1999年です。大学卒業後は普通に就職をして、河口湖のホテルでメインバーやカクテルラウンジの仕事をしていました。おもしろい仕事だとやりがいを感じてはいたんですが、ずっと抱いていた“自然に関わる仕事がしたい”という思いがどうしても捨てられず・・。野鳥の会では、噴火前だった三宅島で自然保護の基礎をみっちり教えてもらい、その後、北海道の釧路湿原にある鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリで実践を勉強させてもらいました。基礎を教わっていた時に、自然を守る上で大切なのは、人と自然をつなぐことだと気がついたことはとても大きかったですね。当時の自分には自然に関する専門的な知識はありませんでしたけど、接客業の経験が活かせるということで、自分にとてもあった仕事なんじゃないか、と思いました。おそらく野鳥の会も、私のそこに期待して、採用してくれたんだと思います。

−北海道の喫茶店でたまたま富士山の写真集を手に取ったことが、転機になったそうですね。

 ええ。どの写真を見ても、どこから撮ったか、なんとなくわかる。それがすごく不思議でした。山梨県で生まれ育った私にとって、富士山はただそこにあるだけの山だったはずなのに、実はずっと見守られていたのかもしれないという感覚になり、初めて望郷の念のようなものに駆られました。いつかまた富士山の近くに戻って自然の仕事がしたい、という思いになりました。

−そして2001年に富士山の近くの富士宮へ。それからアースホール自然学校と国設の自然学校の第一号である田貫湖ふれあい自然塾では自然体験のメニューをお客さんに提供していたわけですね。2005年にroots&fruits Nature Toursを設立し、Bar roots&fruitsをオープンしたのはどんな想いで?

 ホテルでやっていたバーの仕事のおもしろさも忘れられず、両方やりたいな、と。それには自分でやるしかないな、と思って独立しました。

−“ネイチャーツアー”という言葉に、岩崎さんのこだわりを感じます。

 一言でいうと、自然に親しみ、自然を理解し、自分も何か自然のために行動したい、という気持ちが自ずと湧いてくるような感動を持ち帰ってもらえるツアーを提供したい、という強い想いがありました。自然体験の中に自然保護の思想を入れないと、遊園地に行くのと同じになってしまうので。例えば、富士山の自然の豊かさに触れ、その豊かさがちょっとしたバランスで保たれていることを知れば、ゴミは持ち帰ろうとか、家でも水を大切に使おうと心がけられるようになると思う。それが結果的に富士山だけでなく、地球全体の自然環境を守ることにつながるはずだと、考えているんですよ。

−HPではいろいろなツアーメニューが紹介されていますが、ほとんどが山域を巡りながら自然や歴史に触れるツアーですね。

 問答無用で日本で一番高いところに立つピークハントは、達成感も大きいですし確かにおもしろいし、多くの人が魅力を感じるのもよくわかります。でも富士山の魅力の7割は、五合目より下にあるというのが私の考えです。五合目から上に明らかになっている富士山の魅力があるとしたら、五合目から下は知られざる富士山の魅力の宝庫です。古い登山道を始め富士山信仰にまつわる史跡や文化を感じさせるものが、五合目から下にはたくさん残っていますからね。今はあまり見なくなりましたが、以前は古い登山道で寛永通宝を見つけることもありました。昔の人はどんな思いでこの道を歩いていたのだろうと想像を膨らませるのはとてもおもしろいと思います。

−植物もやはり五合目から下の方が?

 富士山は今の形になっておよそ1万年。46億年の地球の歴史からしたらまだまだ赤ちゃんです。だから時々癇癪を起こして噴火したりするのかもしれない(笑)。氷河期のあとにできた山なので、一般的な高山植物が存在していなかったり、本来、ハイマツが存在するようなところにカラマツがチャレンジして上がってきていたり、他の山では見られない自然の生態を見ることができます。森林限界下では、わずかの標高差で植生が高山帯から亜高山帯に移り変わるのを見ることができるのも富士山ならでは、ですね。

人間が壊さなければ、自然は守られる

−個人的に「富士山コケトレッキング」というツアーが気になりました。富士山にはコケもたくさん生息しているんですか。

 何種類と具体的に言うことはできませんが、富士山は多種多様なコケを見られる日本有数のスポットです。中には斜面一面が5cm から7cmの厚さのコケに覆われる場所もありますが、眺めといい柔らかい触感といいちょっと感動的です。

−南極と関係のあるコケも、富士山で見られると聞きました。

 山頂近くに生息している絶滅危惧種のコケですね。南極と共通する苔の仲間です。大気の流れに乗って南極から飛んできたいくつもの胞子が、富士山頂という厳しい環境に可能性を見出して定着し、そこで育ったのでしょう。

−南極から富士山へ・・。ロマンがありますね。

 ええ。地球規模で移動するんですから、コケはおもしろいです。コケは富士山でとても大切な役割を果たしているんですよ。

−というと?

 富士山には、常時水が流れる川は存在しません。マグマが固まった玄武岩でできていますから、雨や溶けた雪はそのまま染み込み、やがてぶつかる不透水層に沿って流れ、麓で湧き出る。つまり富士山の地表に水を蓄えてくれるのはコケと薄い表土のみということです。ですから、コケが富士山の森を支えていると言っても過言ではない。自然の生き物すべてに言えることですが、コケはそれを利己的にやっているわけです。自らの繁殖に役立てるために、水を蓄えている。ただ自然は繋がっているので、結果的にそれが他の植物の発芽に役立ち、それによって富士山の森が守られている。利己的な生き物の集まりが地球の自然を支えている、ということに気づくだけでも、自然の見方は大きく変わると思います。おそらく人間も利己的に生きているんでしょう。ただ他の生き物と決定的に違うのは、人間は自然を破壊する、ということ。子どもたちのツアーでは必ず「僕たち人間が壊さなければ、自然は守られるんだよ」と伝えています。

-富士山の自然を守るために今、どんな取り組みが必要だと思いますか。

 まずツアーを実施し、自然体験を提供する側の私たちが、もっと自然や歴史に関する正しい知識を持ち、わかりやすくそれを伝えていくことだと思います。私自身、今や誰もが手に入れられるインターネットの情報から一歩踏み込んだ知識を解説に加えるために、専門的な本を読んだり、学者さんから直接話を聞いたりしています。それを自分なりに咀嚼してわかりやすく伝えることで、大人にも子どもにもあるはずの知識欲が刺激できるでしょうし、それが“もっと知りたい!”につながっていくと思う。結果的に、自然を守ろうという意識を高めることにもなると思います。

-なるほど。

 もうひとつは、これはホールアース自然学校の創業者である広瀬敏通さんもおっしゃっていたことですが、マスツーリズムのエコ化、です。団体で富士山に登るマスツーリズムは既に否定はできない状況ですし、外国人の団体も今後、さらに増えていくと見込まれます。ならばその人たちが少しでも自然に対して優しく振舞ってくれるようにするしかない。そのための取り組みを、行政を含め富士山に関わるみんなで進めていかなければいけないと思っています。子どもたちのツアーではよく、「富士山も含め地球の自然は未来からの借り物だよ」という話もしています。「図書館で借りた本を壊して返す人がいないように、僕たちも未来の人に今のままの富士山や地球を返さなきゃいけないし、未来の人たちもさらにその未来の人たちに同じように返していくことが大事なんだよ」と。

“富士下山家”として富士山の魅力と自然を守る意識を伝えていきたい

−小さい頃から、富士山はよく見えていましたか。

 生まれ育ったのは市川三郷町という場所で、見えていたのは頭の方だけです。さっきも話しましたが、私にとってはただそこにあるだけの山でした。今思うと、いろんなことを私に伝えてくれていたんでしょうね。それが私の“現在”につながっている気がします。日本の象徴である富士山、知らない人はいない富士山が当たり前にそこにあったというのは、私にとってとてもラッキーなことだったと思います。今は、朝起きたら必ず窓を開けて富士山が見えるかどうか、確認しています。見えるとありがたいなと思うし、何か力がもらえる気がします。

−富士山を見るお勧めのポイントを教えてください。

 宝永山の第三火口の底です。見慣れた姿とはちょっと違う富士山に驚くかもしれませんが、とても魅力的な場所ですよ。火口ならではのエネルギーも感じるし、森林限界の下の植生の変化もとてもわかりやすい。上に進出しようとする植物たちを阻むかのように毎年崩落が起きる場所で、繰り返される自然対自然の力のせめぎ合いにも私は心惹かれます。斜面を覆うカラマツが季節によって芽吹いたり、濃い緑色になったり、金色に黄葉したりするのもいいですしね。

−岩崎さんは景色ではなく富士山やその自然が秘めているエネルギーに強く反応されるようですね。

 そうかもしれません。富士山は噴火と崩落によって形作られた山ですので、力が漲ってる気がします。それが私に自然への畏敬の念を起こさせるというか。昔の人が信仰の対象にした気持ちもよくわかりますし、人々の富士山への想いは、今も昔もあまり変わっていない気がします。多くの人が気軽にチャレンジする山と捉えていることに異論を唱えるつもりはありませんが、今、富士山を守るために自分たちができることはやるべきだな、と思ってはいます。実は私、勝手に“富士下山家”というカテゴリーを作ったんですよ。おそらく名乗っているのは日本で私1人だけだと思いますけど(苦笑)。富士登山と違って体力に自信のない人たちにも体験してもらえるのが富士下山です。その富士下山の魅力を伝え、富士山全体の魅力を伝え、自然を守る意識を伝える。それができたら富士下山家としては本望です。

岩崎仁
いわさきひとし

1974年 山梨県生まれ 地元の高校から神奈川県内の大学に進学。河口湖のホテル勤務を経て日本野鳥の会に入り、三宅島、釧路などで自然保護活動に従事する。2001年からは富士宮市のホールアース自然学校、環境省 田貫湖ふれあい自然塾に携わる。2005年に独立しroots&fruits Nature Tours(のちに合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」)を設立し、Bar roots&fruitsをオープン。ブルースを愛し、自らもギターを演奏するという音楽好き。お店でライブを開催することも。奥様と2人のお嬢さん、富士山で拾った愛犬・ルーシーと暮らす。2018年、「富士山の知られざる魅力に出会う自然旅行『富士下山』」で第4回ジャパン・ツーリズム・アワード「倫理特別賞」を受賞。

合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」HP:
https://roots-fruits.jp/home.html

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事
橋都彰夫半蔵坊館長・わらじ館館長
上小澤翔吾富士登山競走実行委員会事務局
杉村知穂富士宮市教育委員会教育部文化課
河野格登山ガイド

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