−富士山に興味を持たれたきっかけを教えてください。
私は広島県尾道の出身ですが、両親がなぜか富士山が大好きでしてね。とくに大正8年生まれの母親は、皇居に行きたい、善光寺に行きたい、富士山が見たい、といつも言っていました。小学校5年生の時に東京の大田区に引っ越して来たんですが、夕焼けで富士山がとてもきれいに見えましてね。ああ、これが母親の言っていた富士山か、と思ったのを憶えています。その後、高校の教師になった年に交通事故にあい、リハビリをかねて山に行くようになったんです。いろんな山から富士山が見えると、母の言葉を思い出してか、懐かしいような嬉しいような気持ちになってました。当時は、富士山の他にも、見える山が気になってましてね。周囲の山を示した看板が山頂にあるんですけど、それが結構いい加減だったんですよ。
−そんなこと、あるんですか(笑)。
ええ。私は大学では地理を専攻していて、とくに地図が好きだったので、地図を使ってちょっとした計算をすれば、見えている山の名前がわかるわけです。それを"山座同定"と言うんですが、それを山好きの仲間とやり始めましてね。計算を元に、例えば神奈川県の最高峰の蛭ヶ岳から北アルプスが見えるはずだ、とアドバルーンをあげたり、普及し始めたばかりのパソコンで山座同定のプログラムを作って山関係の雑誌に発表したりしていました。それに興味を持っていたのは山岳展望マニアだけでしょうけどね(笑)。
−山岳展望というのは?
山を、とくにその山の名前を認識して眺めることです。登山にはいろんな楽しみがありますが、山岳展望もそのひとつとして定着させたいと考えているんですよ。まあそうやって地図を使って調べたことを山関係の雑誌に発表しているうちに、ある雑誌社から「富士山が見える一番遠い場所を割り出してもらえないか」と問い合わせがあったんです。せっかくだから、一番遠い場所だけじゃなく、いろんな方角の遠い地点から富士山が見える場所も調べよう、と。比叡山から富士山が見えるという文献があるけど、本当だろうか、とか。それを調べて作ったのが“富士山可視マップ”です。「岳人」という山の雑誌の1986年4月号に発表したら反応が非常に大きくて驚きました。その時に、理論上富士山が見える場所は全国20都府県にあることがわかりました。あとで別な計算をしてわかったのですが、富士山が見えるエリアに住んでいる人は約4000万人、日本の人口の1/3にもなるんです。
−そんなにたくさん! 遠方から撮った超遠望の富士山の写真の鑑定もされるようになったのもそれがきっかけなんですね。
初めは地図を使って計算していましたけど、仲間が"カシミール3D"というCGを作れる本格的なパソコンソフトを作りましてね。このソフトを使えば誰もが鑑定できることではあるのですが、富士山が写った証拠写真と"カシミール3D"で作ったCGを照らし合わせて、田代が判断する、というようなことを何度かさせてもらいました。去年も、京都から撮った富士山を確認しました。"富士山可視マップ"を作ったことは、遠い場所から富士山を見ようというきっかけになりましたね。
−インタビュー2回目に登場していただいた女流ペンキ絵師の田中みずきさんは、高校時代に田代さんに地理を教わったそうで、その時に富士山の写真や話にたくさん触れたことが、最初に富士山を意識するきっかけになった、と話されていました。
それは教師冥利に尽きますね。当時は、まだそんなに富士山の話はしていなかったと思いますが、ある時期からは意識して、1年の最後の授業は富士山の話で締めくくってました。「富士山は日本一の山だけれど、みんなにこれだけ親しまれている。どんなに偉くなっても、一般庶民の立場で考えることを忘れないでください」とか「親しみやすい富士山も冬はプロの登山家すらも寄せ付けない厳しさがある。みなさんも、このことでは誰にも負けないという専門性を持って欲しい」とか「日本一の高さを保っていられるのは膨大な裾野があるから。受験科目じゃない地理も含めて幅広く勉強してください。チリも積もれば山となる」とか(笑)。ある時、もともと無口なタイプの生徒が、担任でもない私のところに「今日、富士山が見えた」と報告に来てくれて、「ああ、よかったね、ありがとう」とそんな深い意味もなく言ったらば、あとでお母さんに「すごく息子が喜んでいました。今、難しい時期なのに、ありがとうございました」と感謝されたことがありましたね。いろんなことがありましたけど、それはすごく印象に残ってます。その時に、自分にとって富士山は、生徒とのコミュニケーションツールでもあるんだな、という思いを強くしました。
−現在は(一財)日本地図センターにお勤めです。やはり地理に関係したお仕事ですね。
去年、42年間の高校教員生活を終えてしばらくは、悠々自適でした。時間的な制約から解放されて、今日は御殿場、明日は館山とダイヤモンド富士の写真を撮り歩いていたんです。そうしたらこちらから声がかかりまして・・。私は昔から地図が大好きだったんですよ。世界を小さな1枚に凝縮して手のひらサイズに収めることができるし、古地図を見れば昔の様子を知ることもできるという意味では、ある種のタイムマシンですからね。その紙の地図の需要が今、どんどん減っている。それをなんとかしなければ、という思いもあって引き受けました。空いた時間にいっぱい地図が見られるかと期待してましたけど、そう甘くはなかったですね(苦笑)。最近はもっぱら、横浜の自宅と通勤途上から富士山を眺める程度。天気の良い日はちょっと悔しい気がしますが、とても充実しています。
−多くの人が富士山に魅了される理由を何だと思われますか。
レストランにとって富士山が見えるというのはひとつのステータスで、ゴルフ場も富士山が見えると価値が高いらしいですね。理由はいろいろあると思います。まずは誰が見ても富士山とわかる、末広がりのあの形。あと日本一の高さです。人によっては高山病にかかることもありますが、ちょっと努力すれば、最高地点に行ったという達成感を得られるという意味でも、非常にいい存在なんだろうと思います。また季節によって、時間帯によっても姿を変えますしね。他に例がないということで言えば・・。2007年に出した「知って楽しい山岳展望」(新日本出版社)の時に調べたら、世界196の国の中で、首都から最高峰がこれだけはっきり見える国は日本だけなんです。理論上は11カ国くらいありますが、本当に見えるかどうか。日本の首都・東京からは年間100日くらい見えますからね。単体としてきれいなだけでなく、例えば高層ビルやタワー、鉄道のような人工物と組み合わせて見られる最高峰も、他にないと思います。
−遠くから見る富士山だけでなく、ダイヤモンド富士にもずいぶんはまっていらっしゃると聞きました。
昨日も地図センターの近くにある目黒天空庭園からダイヤモンド富士を見ました。勤務時間内でしたが、一応私は管理職の立場なので(笑)、行ける人は行こうと誘って職員十数名と眺めました。きれいでしたね。"カシミール3D"を使うと、"富士山可視マップ"内の特定の場所からダイヤモンド富士を眺められる正確な日時を求めることができるんですよ。いろんな場所からいろんなダイヤモンド富士を撮るのが、最近の楽しみです。
−田代さんご自身が考える富士山の一番の魅力を教えてください。
見ると元気が出る。それが一番でしょうね。従って私は富士山のことを「見力(みりょく)の山」と言っています。しかもいつも同じに見えるわけじゃないんですよ。さっきもお話ししたように富士山は季節によって、日によって、時間帯によって姿を変える。また自分の気持ちによっても、見え方が違ってくる。それが魅力だと思います。
−遠望からの富士山の魅力を知って、人生は変わられたのではないですか。
「私の生きていく柱は、地図と富士山だ」とよく言っているんですよ。富士山だけで人生が大きく変わったとは思わないけれど、人間関係が広がったことは確かです。どちらも職業にしなかった分、気楽にいろんなことできているのかもしれないですね。
1950年 広島県尾道生まれ 大学卒業後の72年から神奈川県内の県立高校で、97年から筑波大附属高校で地理を教える。98年からはいくつかの大学の非常勤講師を、2007年からはNHK高校講座地理講師を務める。14年に高校教員生活を終えるが、現在も明治大学と聖心女子大学で教えている。『展望の山旅』(実業之日本社)、『「富士見」の謎』(祥伝社)、『知って楽しい地図の話』、『今日はなんの日、富士山の日』、『世界の富士山』(以上、新日本出版社)など、地図や山岳展望、富士山に関する著書多数。