−「東北の高校生の富士登山」に参加しようと思ったきっかけは?
鈴木 高校3年生の夏に、学校の掲示板のポスターで、高校の先輩でもあり憧れでもあった田部井淳子さんと一緒に富士登山できることを知って興味を持ったのが始まりでした。何に関してもネガティブに捉えてしまいがちな自分を変えたいという気持ちもあったので、いいきっかけになるといいなあとも思っていました。それで仲のいい同級生、男女合わせて10人くらいで参加しました。
佐藤 僕は高校1年の時に山岳部の顧問の先生に「こんなのがあるよ、行ってみたら?」と勧められて同じ山岳部の友達と一緒に2人で参加しました。結局1年目はまっすぐ立っていられないような風と痛いくらいの雨で、泊まった六合目の山小屋からほんの少し登っただけで下山したんですけどね。その時に田部井淳子さんが「こんな天気を体験できるなんて貴重だよ」とおっしゃっていて、僕も本当にいい経験ができたと思っています。一歩踏み出すことで思いもかけない世界が広がっているんだと実感して、次の年はクラスのみんなにも声をかけて4、5人で参加しました。
−初めて間近で富士山を見た時にはどう思いました?
鈴木 「え、高すぎじゃない? これ、登れるかな・・?」みたいな感じでした(笑)。
佐藤 1年目にバスで五合目に着いた時は雨で全然姿は見えませんでしたけど、下山してホテルに泊まった翌日は嘘みたいに晴れていて、「あ、テレビで見た富士山だ〜」って。本当にきれいでしたね。
−一番印象的だった景色は?
佐藤 雲海かな。1年目に五合目に着いたらすでに雲の上で、まずそれにびっくりしました。2年目も朝、山小屋を出たら雲海が広がっていた。すごくきれいでしたね。
鈴木 雲海は本当に神秘的でした。見たのは初めてだったので、とても感動しました。他にも、登っている時に遠くに見える景色とか岩だらけの富士山の様子とか、どれも見たことのないものばかりで新鮮でしたね。
佐藤 あと、森林限界を超えたらピタッと植物がなくなって岩だらけの世界が広がっていたり、絶対に溶けないと言われている万年雪があったりもして、どれも富士山じゃないと見られないものだなあ、と感動しました。
−大変だったのはどんなことですか。
鈴木 山頂はそこに見えているのに登っても登ってもたどり着かないところです。それで何度もめげそうになりました。そのたびに(田部井)進也さんに「あとどれだけ歩いたら頂上に着くんですか」と聞くんですけど、進也さんは必ず「もうちょっとだよ」みたいな。そんなやりとりを繰り返しながら、結局3時間くらい歩きました(苦笑)。でも、進也さんのその一言で、辛さがパワーに変わったのも事実です。進也さんの何でもポジティブに変えてくれるところが、大きな力になりました。
佐藤 進也さんは本当にすごいんですよ。他の人の分の荷物を持って登山道を行ったり来たりしながら全ての班を見ているのに、全然弱音を吐かないですからね。僕がとても残念だったのは、男子と女子は班が分かれていて、出発時間も別だったので、女子を励ますことができなかったことですね(きっぱり)。
−言い切りましたね(笑)。
鈴木 すごい(笑)。
佐藤 僕が通ってた高校はイギリスの女子校が姉妹校なんですよ。高校2年の7月に2週間、その姉妹校で現地の学生と交流した僕は、ある意味、イギリス仕込みのジェントルマンですからね(笑)。代わりに、と言っては何ですが、僕は体力的に余裕があったので、同じ班のみんなを助けたり励ましたりしていました。
−「東北の高校生の富士登山」はほぼ登山初体験の高校生を登山経験豊富な大人が支えます。その関係はあくまで“仲間”だそうですね。大人の人たちともいろんな交流がありましたか。
佐藤 ええ。進也さんを始め、大人の人たちもみんな楽しい方ばかりでした。
鈴木 職種も年代も違う大人の方たちがたくさんいて、いろんなお話が聞けたのはとても楽しかったです。
佐藤 山での楽しみって、ご飯と会話くらいだと僕は思っているんですよ。大人の方に限らず、同じ班の人と会話をするのもすごく楽しかったし、別の班を追い越したり追い越されたりする時に、お互いに「頑張ろう」、「頂上で会おう」と声を掛け合ったり励まし合えたのもよかったです。
鈴木 確かに会話や励ましの言葉は力になりましたね。登山道ですれ違う人たちも、挨拶したり、励ましてくださったりする温かい人たちばかりで、登山っていいなあと思いました。
−お二人は田部井淳子さんとも一緒に登られたんですよね。淳子さんのことで印象に残っているのは?
佐藤 今でも僕の心に残っているのは、1年目も2年目もおっしゃっていた、「人によって歩幅や歩くスピードは違うかもしれないけれど、登山は一歩一歩踏み出していけば必ず頂上に着く。これからの人生も、一歩一歩踏み出していきなさい」という言葉ですね。
鈴木 私も「一歩ずつ進めば必ず頂上にたどり着く」という言葉です。私たちの班は高山病で具合が悪くなってしまう人が多くて進むのにけっこう時間がかかったんですけど、私たちの後ろを歩いていた淳子さんが何度もそう声をかけて励ましてくれました。自分たちでも「一歩ずつ頑張ろう」を合言葉に登ったことを覚えています。淳子さんは高校の先輩でもあったので、下山した後にみんなで肩を組んで校歌を歌ったのもすごく印象に残っていますね。
−みなさんの楽しそうな表情が容易に想像できますね。
鈴木 当時の淳子さんは癌の闘病中だったにもかかわらず、登りながら誰よりも高校生に声をかけていらっしゃいました。それがどれだけ大変なことだったか、今、自分が看護師として働いてみてよくわかるし、今、改めてあの時の淳子さんのすごさを感じています。
−佐藤さんの2度目の富士登山は、淳子さんの最後の登山にもなりました。
佐藤 入院中にもかかわらず駆けつけてくださっていたことは、あとからドキュメンタリー番組で知りました。当日、淳子さんは僕らより先に元祖七合目まで登っていて、そこで僕らを見送ってゆっくり下山された・・。僕らが下山した時に、一人ひとりと握手して声をかけてくださった姿は、今でもしっかり心に残っています。僕は当時から後悔しないように何にでもチャレンジするタイプでしたけど、あの時、もうちょっと淳子さんとお話しできていたらな、と思いますね。
−富士登山を通してどんなものが得られたか、教えてください。
鈴木 今までにない達成感を味わえたし、本当に貴重な経験ばかりでした。たくさんのことを学びましたけど、一番大きかったのは、挑戦することと諦めないことの大切さです。一歩ずつ、ひとつずつ乗り越えていけば必ず目標や夢は実現できるんだと思うようになりました。看護学校卒業後、すぐに看護師になる道もあったのに大学に進んで養護教諭の免許を取ったのは、保健室の先生になりたいという夢に挑戦しようと思ったから。その挑戦ができたのも、富士登山の経験があったからだと思います。保健室の先生になるにはもっと看護師としての知識や経験を増やしたほうがいいと考えて、今年の4月から病院で看護師として働いています。できないことばかりでめげそうになる時もしょっちゅうですけど、“私には富士山に登れた強いメンタルがあるから大丈夫”とポジティブに捉えています。精神的にもすごく強くなれたと思います。
佐藤 1年目、今回は登頂を目指さないという話を淳子さんが僕らを集めてされた時に、“磐梯山じゃなくて日本一の富士山にこだわる理由”みたいなことも話されたんですよ。淳子さん自身が、女性だけのチームで、女性初のエベレスト登頂にこだわった時の話もされた。影響を受けて僕も“妥協をせずに一番を目指したい”、“誰もやってないことをやりたい”と強く思うようになりました。それは僕にとってとても大きなことでしたね。
−富士登山の魅力はどんなところにありそうですか。
佐藤 人生や考え方が変わるところですね。とくに「東北の高校生の富士登山」というプロジェクトに参加して登ったことが大きかったと思います。苦しく、厳しいこともある中で、たくさんの大人の方から温かい励ましの言葉をいただいて、少しずついろんなことが変わっていった気がするので。
鈴木 確かに。あとやっぱり日本一の山に登ったという達成感も、自分の考えを変える大きなきっかけになると思います。
−また富士山に登りたいですか。
鈴木 登りたいです。看護師としての経験を積んだら、「東北の高校生の富士登山」に看護師として同行して生徒さんを支えたいですね。
佐藤 僕は今、あまり山に登っていないんですが、そのうち富士登山をしたことのない友達を連れて、みんなをサポートしながら登りたいですね。その時には僕も、ここぞ、というタイミングで、温かい言葉をかけたいです(笑)。
−最後に、お二人の将来の夢を教えてください。
鈴木 ゆくゆくは保健室の先生になりたいです。今、教室には入れないけれど保健室には行ける、という生徒さんも多いみたいなので、生徒さんたちの心と体に寄り添えるような関わりができたらな、と思っています。
佐藤 僕は誰もやってないような新しいことをしたいですね。あと、起業もしたいかな(笑)。ただし僕はあくまで技術的なサポートで、経営はスペシャリストに任せます。考えているのは、新しいエネルギーの研究や開発です。福島出身でもあるし、そのことは高校の頃からずっと考えていました。そのための勉強を、これからもっとしていきたいですね。あとは、温かい家族と一緒に楽しみながら笑顔で過ごしたいです。
すずきちひろ 1996年 福島県生まれ。東日本大震災当時は中学2年生。福島県立田村高校卒業後、看護専門学校で3年間学び、看護師免許を取得。その後、山形大学養護教諭特別別科で学び、養護教諭免許を取得。2019年4月から福島市内の病院で看護師として働いている。明るく柔らかい雰囲気の持ち主。趣味は、富士登山をきっかけに興味を持ったキャンプやドライブなどのアウトドア。座右の銘は「やるからには全力で」。
さとうゆうのすけ 1999年 宮城県生まれ 東日本大震災当時は小学5年生。福島県立福島南高校卒業。現在は東北大学工学部化学・バイオ工学科2年在籍。東北大学生協学生委員会や高校生支援団体bridgeに所属し、「絶大なリーダーシップも発揮」しているそう。ユーモアに富み、趣味は「恋バナ」と笑う。座右の銘は? の質問には首をひねりつつ、“この日限定”ということで「一期一会」を挙げた。
東北の高校生の富士登山HP
http://junko-tabei.jp/fuji/
東北の高校生の富士登山 クラウドファンディングのサイト
https://a-port.asahi.com/projects/fujitozan_tabei/