―登山規制の議論は、いつどのように始まったのでしょうか?
登山規制の議論が始まったのは令和4年度頃からです。それまでは指導や啓発が中心でしたが、令和5年度に転機を迎えました。世界遺産登録10周年とコロナ禍よる制限の緩和が重なり、多くの方が富士登山に訪れた結果、過度な混雑や弾丸登山、登山道での仮眠など安全を脅かす行為やマナーの悪化によって、登山者の事故リスクが深刻化していました。
―具体的にはどのような出来事が危機感を高めたのでしょうか?
特に深刻だったのは、外国人登山者が数百人から千人規模で弾丸登山をする事例が見られたことです。地元市町村等からも登山規制に関する要望書が提出され、登山の規制に関して具体的に議論を開始することになりました。転倒・高山病・低体温症といった事故リスクが現実のものとなっていたんです。
―条例制定は大変だったのではないでしょうか?
まず、条例の制定以外にも自然公園法や道路法などの現行法令の活用やガイドラインなどによる対応も含め、あらゆる可能性を検討しました。過度な混雑や弾丸登山を抑制するためには、登山者を時間や人数により何らかの形で制限・コントロールすることが必要になります。一方で、規制を行うことは登山の自由を妨げることにもなりますが、登山者の生命を守るという公共の福祉の実現のために必要な措置であって不当に権利を制限するものではないと判断し、条例により規制を行うこととしました。
―制度設計で特に難しかった点はどこでしょうか?
最も難しかったのは、吉田ルートの全区間が道路法上の道路であったことです。道路は自由通行が原則であるため、道路のままでは規制を行うことができません。そこで、県道の一部を道路法上の適用から除外し、その区間を条例によって県有施設として管理することで、ゲートの設置や登山規制の実施を可能としました。この技術的な解決策を見つけるのに相当苦労しました。ただ、富士登山の安全確保が県としての重要課題であるということは全庁的に認識されていたため、道路担当部局や自然公園法担当部局等から様々な面で協力を得られました。本当にありがたかったですね。
―わずか3ヶ月で制度を作り上げたとお聞きしました。
議会日程や山小屋予約の開始時期を見据えると、閉山後から約3ヶ月で概ね仕組み作りを完了する必要があり、条例案の作成・県庁全体を巻き込んだ協議・関係機関との調整など、課を挙げて全力で取り組みました。令和5年9月に着手し、12月に骨子を固め、令和6年2月議会で条例可決にこぎ着けました。
―このタイミングでこの部署に配属されて、一番大変な時期を駆け抜けられたわけですが、振り返っていかがですか?
県庁の仕事は、何かを成し遂げても、県民の皆様から直接感謝の言葉を聞く機会はそう多くありません。県民の暮らしを支える縁の下の力持ちとして、目立たないところで日々の業務を積み重ねていくのが行政の役割だからです。けれども、今回は富士山ガイドや地元の方、登山者の皆様から「負担は増えたけど、登りやすくなった。安全になって良かった」というご感想をいただきました。好意的な評価が数字にもはっきり表れています。県庁職員としてこういう経験ができるのは本当に稀で、すごく貴重な経験をさせてもらいました。ただ、私は制度の骨組みを作っただけです。現場の運用は別の職員が担当し、山小屋の方々、富士山ガイドの方々など、本当に多くの方々の協力があってこそ実現できたものです。きっかけを作った者として、これだけいい形になったのは本当に嬉しいですね。

―地元関係者との合意形成はいかがでしたか?
地元市町村や山小屋組合から登山規制の実施について要望書をいただいていたこともあり、条例制定による登山規制の実施については当初からご理解・ご協力を得られたと思います。ただし、施設使用料(通行料)の徴収金額設定や通行規制時間の設定については、宿泊客や観光客の減少につながりかねないことから詳細な説明を求められており、会議を何度も開催し丁寧にご説明しました。
―実際の運用で最も苦労されたのはどの部分ですか?
時間規制や人数規制をし、通行料を徴収することは国内でも初めての取り組みだったため、登山規制を知らない登山者による、ゲート前での混乱が心配されました。そこで、登山者、特に海外からの登山者に対する事前の周知を徹底しました。報道機関を通じた情報発信はもちろん、SNSや旅行サイトを活用した周知活動、富士山へ向かう公共交通機関内への広告の設置、旅行会社や大使館を通じた外国人登山者への呼びかけなど、ありとあらゆるチャンネルを活用して、登山規制の周知を行いました。
―弾丸登山が95%減少という成果が話題になりましたが、実際の効果は?
時間規制の実施により、弾丸登山者数が令和5年度1万4469人から令和6年度708人に減少し、95.1%減となりました。また、令和7年度は時間規制の開始時刻を早めたこともあって542人とさらに減少しています。542人の中には五合目の宿泊施設でしっかり休憩を取ってから登山を開始した登山者も含まれており、弾丸登山についてはほぼ根絶できたと考えています。通行禁止時間帯の設定が、弾丸登山の抑制に最も効果的だったと思います。
―通行料の徴収についてはいかがでしたか?
通行料の徴収は、登山規制や登山道の維持管理に必要な経費を賄うために設定したもので、これまで県民の税金で賄っていたものを、受益者負担の観点から登山者の方々にご負担いただくという本来の形にすることができました。副次的な効果として、せっかくお金を払って富士登山するのであれば事前に情報を調べてしっかりとした登山計画を立てよう、と考える登山者が増加したように思います。
―初年度の課題はありましたか?
令和6年度の課題として、雨具や防寒着などの十分な装備もなく登山しようとする軽装登山者や、ゲートが閉まる午後4時直前に通過し弾丸登山に近い登り方をする駆け込み登山が一定数確認され、新たな問題となっていました。これを踏まえ、令和7年度には条例を改正し、上下セパレートの雨具・防寒着・登山に適した靴を最低限必要な装備として義務化しました。同時に、富士山レンジャーや職員がこれらの装備を持たない登山者の入山を制止できる権限を明文化し、実効性のある軽装登山対策を実現しました。また、ゲートを閉める時間を午後2時に前倒しし、さらなる弾丸登山の抑制を図りました。
―静岡県との連携はいかがでしたか?
静岡県が登山規制を実施する際には、山梨・静岡両県で足並みを揃えることが求められていたことから、設計段階からすり合わせを行いながら制度の構築を進めました。ただ、両県では地形条件が大きく異なります。五合目から山頂に向かう登山道は、山梨県側は1本ですが、静岡県側は3本あるうえ道幅が広い箇所もあります。そのため、静岡県においても山梨県と同じ方法での規制が物理的に可能なのか、経費面で実現可能なのかという検討が行われたと聞いています。条件が違うために様々な調整は必要でしたが、「富士山は一つ」という共通認識のもと、連携体制を築いています。今後も、登山者が混乱しないよう規制内容など可能な限り足並みを揃えていくことが重要だと考えます。
― 山梨県が実施した登山者調査の結果についてお聞かせください。
県が登山者に行った調査では、こうした規制や指導について95%の方が肯定的に捉えており、私たちの先進的な取り組みは大きな成果を上げ、高い評価をもって広く受け入れられたと感じています。「登山道が平和になってとても良かったよ」と山小屋やガイドの方々に喜んでいただいたことが心に残っています。
― 浦郷さんご自身にとって、富士山とはどのような存在でしょうか?
私は出身が九州ですので、東海道新幹線に乗る時しか見たことないぐらい、本当に縁遠い存在でした。山梨県に来ても、最初は富士山に登ろうという気持ちは一切持たなかったです。でも、やっぱりここに来た以上は登らなきゃいけないと思って。富士山は「見るもの」から、だんだん「登るもの」に変化していったんです。そして今は「守り、未来に引き継ぐもの」となりました。
― この取り組みを通じて、富士山への見方は変わりましたか?
いろんな方々との触れ合いの中で、それぞれの方にとって富士山の捉え方が全然違っているんだと気づきました。毎日拝むだけで心が穏やかになるという方、毎年開山日に登るのを生きがいにしている方、山小屋で生計を立てている方、定年後にようやく登れたと喜んでいる方。本当にいろんな想いがあるんですね。そういういろんな方々にとって大切な富士山を、どう守って未来に引き継いでいくか。私の立場からできることは限られていますが、それぞれの立場で何ができるかを考えていくことが大事だと感じています。
― 最後に、今後、富士山をどのようにしていきたいとお考えですか?
今後も登山者や関係者の皆様のご意見を丁寧に伺いながら、富士登山の安全性と体験価値をさらに高めるため、改善を続けてまいります。行政として稀有な、感謝される施策を経験させていただき、制度骨格は起点に過ぎず、現場運用は多主体の協働の成果だということを実感しています。公共の福祉を実現するための迅速な制度設計と説明責任の重要性を再確認し、これからも富士山の保全に取り組んでいきたいと思います。


うらごうたかし 山梨県観光文化・スポーツ部富士山観光振興グループ富士山保全企画担当主査。佐賀県出身。山梨県庁に入庁後、リニア中央新幹線の用地取得・用地交渉の仕事や考古博物館勤務などを経験。令和3年から富士山関係業務に携わり、当初は富士山の保全・継承に関する業務や静岡県との富士山世界文化遺産協議会の取りまとめを担当。異動2年目の令和4年頃から登山規制の議論が始まり、令和6年度の富士山登山規制条例の制定・実施において中心的な役割を果たした。