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富士山インタビュー

富士山北麓に宿る「新しく懐かしい」記憶──nôtori兄弟オーナーが語る、故郷の食と富士山

山梨県富士吉田市出身の兄弟が、富士山の北麓・忍野村に、
レストラン「nôtori」を
2024年8月にオープンしました。
サービスを担うのは兄の堀内茂一郎さん。料理を担うのは弟の堀内浩平さん。
nôtoriは、兄弟二人で完結させる季節のコース料理のお店で、宿泊も可能です。
長年、国内外で腕を磨いてきた二人が、どうして故郷に根を下ろしたのでしょうか。
料理に込めた思いと、育った土地としての富士山について、お二人にお聞きしました。
写真:飯田昂寛/取材&文:永井理恵子
2026年4月6日

料理人とソムリエ、別々の道を歩んで

―まず、お二人のご経歴を教えてください。

 浩平 調理師学校を卒業してから、都内のレストランで約10年働きました。その後フランスに渡って北部にある二つ星レストラン「ラ・グルヌイエール」で修業し、帰国後は東京でシェフを経験。独立を決めてからnôtoriのオープンまで、フリーランスのシェフとして働きました。1年くらいの予定でしたがnôtoriのオープンが延びてしまい、結果的に3年ほど、イベントでの料理提供や商品開発など、レストランのシェフ以外の働き方を経験しました。

 茂一郎 僕は大学を出て就職したあと、脱サラして料理の専門学校に入学。卒業後、料理人として自由が丘のレストランで働き出したのですが、シェフに「サービスをやらないとお客様の顔は見えない。いい料理も作れない」と言われて、サービスに転向したんです。そこで接客の面白さに気づき、ワインと出会って。その後は、北海道でウィンザーホテルのレストランに3年勤めてソムリエになり、ニュージーランドに渡って約10年。帰国後はマンダリンオリエンタル 東京での勤務のほか、複数のホテルやオーベルジュの開業にも携わりました。

―二人でレストランを開業しようと決めたきっかけは?

 茂一郎 僕が9歳上なので、弟が物心ついた頃にはもう実家を出ていました。顔を合わせるのは冠婚葬祭くらいでしたので、数年に一度という感じ。だから、兄弟というより、年の離れた友人に近い感覚なんです。

 浩平 僕がフランスに行く前、ニュージーランドに暮らしていた兄が現地で挙げた結婚式に出席して、久しぶりにゆっくり話したんです。「フランスから戻ったら、いつか山梨で店をやりたい」と言ったら、兄も「同じことを考えていた」と。僕たち兄弟は年齢差がありますし、役割が分かれていますから、張り合う必要がありません。料理や店づくりへの思いや方向性が同じなので、多くを言わなくても通じ合えることが多いです。

 茂一郎 弟の料理を初めてちゃんと食べたのは、東京のレストランでした。その時、「すごく美味しいじゃん」と素直に思ったんです。僕の結婚式でお肉を焼いてくれていた姿も、すごく良くて。それ以来、もしレストランを経営するなら弟と一緒がいいと思っていました。歳が離れているからこそ、うまくやれているのかもしれません。

―店名にはどんな思いが込められていますか?

 浩平 開業の2年ほど前からよく、どんな店名がいいか話していました。名を冠するのも外国語も候補にしておらず、いい日本語も浮かばずにいたんですが、ある時「農鳥っていいんじゃない?」とどちらともなく閃いて、スッと腑に落ちました。

 茂一郎 農鳥とは、富士山の残雪が鳥の形に見える現象で、種まきの時期を知らせる言葉です。富士山の北麓でしか知られていない言葉です。nôtoriとアルファベット表記にすると外国の言葉のようにも見え、お客様は当店に来て初めてその意味を知るという仕掛けになっています。帰り際に山梨側から望む雄大な富士山を眺めた時に「農鳥が見えるのは山梨側から」と思い出してもらえたら、富士山の記憶がより鮮明になると思っています。

―料理のコンセプトや食材へのこだわりを教えてください。

 浩平 コンセプトは「新しく懐かしい体験」です。食材は山梨県内のものをほぼ9割使っており、特に富士山北麓のものが多いです。春は山菜や筍、夏はフルーツや野菜、秋は天然きのこ、冬はジビエと保存食。食材が変わるごとに料理も少しずつ入れ替わっていって、完全に一新されるまで大体3ヶ月ほどかかります。僕たちは、地域の文化を料理に取り入れることも大切にしています。かつて富士山に登る人々は、御師(おし)と呼ばれる参拝者の宿泊や道案内を担う人々の家に立ち寄り、体を清めてから山に向かいました。その登山前のもてなし料理の中に、鯉料理があります。御師の家では、庭の池で育てた鯉を参拝者にふるまっていたんですね。nôtoriではそういった文化を受け継ぐ形で、鯉料理をコースの中に組み込んでいます。

 茂一郎 弟が東京でシェフをしていた頃は、富士山のふもとを表現しようとして落ち葉や松ぼっくりをディスプレイしていたそうなんですが、ここに来てからはそういう演出がほとんど必要なくなったと言います。

 浩平 窓の外には落葉樹の森が広がっていて、木々の合間にうっすらと富士山の稜線が見え、季節の移ろいと共に表情が変わる。料理の中にある自然のイメージと窓の外の風景が一致して、この場所にいれば過剰な装飾は必要ないんです。

―器にもこだわりがあると伺いました。

 浩平 器の8割くらいが山梨に暮らす作家さんの手によるものです。この場所を整備する際に伐採したクルミの木で作ってもらった器や、樹海で枯れたナラの木を使った器もあります。この土地の素材が、料理を盛る器にもなっている。料理と器と場所が、全部つながっているイメージです。

 茂一郎 周辺で採れる植物を使った、手作りのドリンクも用意しています。料理の世界観を弟が丁寧に作り上げているので、ドリンクはそこに寄り添う存在でいい。邪魔せず、でも料理の輪郭を少し引き立てられれば、という感覚で取り組んでいます。

地元シェフたちと紡ぐ、富士山北麓の未来

―地域の料理人とのつながりも広がってきているそうですね。

 浩平 この地域の食や文化を深掘りしていくには、僕ら二人の力だけでは限界があります。それで2025年、地元出身のシェフ・パティシエ・ソムリエたちと「HOKU-ROCKs(ホクロックス)」というチームを立ち上げました。2026年2月23日(富士山の日)には「Fuji-HokurokuChef's Table」というイベントを開催し、僕らを含め10店舗のシェフが集まって料理を提供しました。みんな、富士山北麓から一度離れて経験を積み、戻ってきて開業したという、僕らと同じような境遇の人たちです。

 茂一郎 富士山北麓には、僕らがまだ知らない食材が眠っているはずなんです。例えば、周辺には5つもの湖があり、昔は漁協がそこから獲れる食材を扱っていたんですが、高齢化でどんどん担い手がいなくなっている。山中湖にはウナギがたくさんいるのに、獲る人がいないという話も聞きます。富士山北麓の食材や文化をもっと活かしたいと思っても、個人の店だと力が弱いですし、単独では動けないことも多いですが、地元シェフが集まった団体として声を上げることで、そういった食材を活かす仕組みを少しずつ作っていけたらと思っています。若い人が生業にしたいと思ってくれるようになれば、さらにいい。まだ始まったばかりですが、富士山の表面的な魅力だけでなく、その足元に眠っている食や文化を掘り起こしていきたいと思っています。

―食と文化への思いは、日々の料理にも直結しているんですね。

 浩平 富士山があるからこそ富士五湖があって、樹海があって、この土地の恵みが育まれます。nôtoriは富士山北麓をフィーチャーしたレストランですから、この地域の食材や文化を料理に込めることが、結果的に富士山の魅力を伝えることにつながっていく。そういうイメージを抱きながら、日々向き合っています。

 茂一郎 ただ、その文化が少しずつ失われているのが心配で。御師の家もその一つで、歴史ある建物が次々に姿を消して、跡地にコンビニができたりする。文化は一度なくなると取り戻すのが本当に難しいですよね。だからこそ今、料理を通じて、この地域の文化や歴史を伝えていかないといけないと思っています。僕らもまだ学んでいる最中ですが、料理や活動を通じて、少しでもこの地域に関心を持つ人が増えたら嬉しいですね。

ここにしかない食と記憶を、富士山の北麓から

―お二人にとって、富士山はどんな存在ですか?

 浩平 子どもの頃は、ただ「当たり前にある山」でした。学校に行く時も遊んでいる時も、いつもそこにある。でも、この土地の外に出て長い時間を経て帰ってくると、こんなに大きくて綺麗な山だったんだと改めて感じました。富士山の文化や歴史も、大人になってから知ったことのほうが多く、学びながら伝えていければと考えています。

 茂一郎 僕らの祖父は、富士吉田市の初代市長を務めていました。僕にとって祖父は、子どもの頃からとても大きな存在で。お墓参りをすると、墓所の奥に大きな富士山が見えて、なんだかじいちゃんみたいだなと思いながら眺めているんですよ。

 浩平 生まれた時にはもう祖父は亡くなっていたので、僕にはその感覚はないんですが(笑)。兄のほうが、この土地への使命感みたいなものは強いように感じます。僕は、自分が楽しく料理できていること、これが一番です。ただ、その料理の根っこにあるのは間違いなく富士山であり、この土地ですから、富士山は自分の核のようなものだと思っています。

―富士山のふもとにあるこの場所で、お客様にどんな時間を過ごしてもらいたいですか?

 浩平 記憶に残る時間を過ごしていただきたいですね。美味しかった、楽しかった、それだけで十分だと思っています。コースには「芽吹き」というスペシャリテがあります。山梨のジビエと野草を、この土地の土で焼いた器に盛った料理で、春の芽吹きと、新しいものが生まれるイメージを表現しています。そしてコースの最後に出す「やさいめし」は、母がよく作ってくれた料理がベース。新しいのに、どこか懐かしい。そういう感覚を、コースという一連の流れの中で感じていただけたら嬉しいですね。それがこの場所ならではの料理だと思っています。

 茂一郎 来る道中に富士山を眺めて、食事をしながら「農鳥」という言葉を知って、帰り際に富士山を見上げ、農鳥が見られる春の時期なら鳥の形の残雪を探し、そうでない季節なら「どのあたりに見えるんだろう」と想像しながら帰ってもらえたら嬉しいですね。富士山をただ見に来るだけじゃない、食や文化を見つけに来るというもう一つの動機を、この場所から作っていけたらと思っています。

堀内茂一郎・浩平
ほりうちもいちろう・こうへい

堀内茂一郎
nôtoriオーナーソムリエ。山梨県富士吉田市出身。大学卒業後に脱サラして料理の専門学校に入学。自由が丘のレストランでサービスの面白さとワインの奥深さに惹かれ、北海道洞爺湖「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン」でソムリエとして勤務。その後、ニュージーランドに渡り現地レストランで働く約10年の間に、サービス・ワインに関する数々の賞を受賞。帰国後、都内ホテルやオーベルジュでマネージングに携わり、現在に至る。
堀内浩平
nôtoriオーナーシェフ。山梨県富士吉田市出身。調理師学校卒業後、都内のレストランで約10年修業。30代で渡仏し、北部にある二つ星レストラン「ラ・グルヌイエール」で腕を磨く。帰国後、都内のレストランでシェフとして勤務していた間に、国内最大級の料理コンペティションRED U-35 2021にてグランプリ(RED EGG)を受賞。その後、故郷の富士山北麓に戻り、フリーランスでの活動を経て、現在に至る。

インタビューアーカイブ
山田淳富士登山のスペシャリスト
田中みずき女性絵師
青嶋寿和マウントフジ トレイルステーション実行委員長
森原明廣山梨県立博物館学芸課長
渡邊通人富士山自然保護センター自然共生研究室室長
田近義博富士山ツーリズム御殿場実行委員会事務局長
中島紫穂富士山レンジャー
植田めぐみフリーカメラマン
外川真介上の坊project代表・天下茶屋三代目
山本裕輔印伝職人・印伝の山本三代目
金澤中シンガー・ソングライター
池ヶ谷知宏goodbymarket代表・デザイナー
田代博一般財団法人日本地図センター常務理事・地図研究所長
宮下敦成蹊気象観測所所長
加々美久美子御師旧外川家住宅館内ガイド&カフェ「北口夢屋」オーナー
土器屋由紀子認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事・江戸川大学名誉教授 農学博士
福田六花医学博士・ミュージシャン・ランナー
舟津宏昭富士山アウトドアミュージアム代表
小松豊特定非営利活動法人 土に還る木 森づくりの会代表理事
菅原久夫富士山自然誌研究会会長・富士山の自然と花を観る会主宰
新谷雅徳一般社団法人エコロジック代表理事
堀内眞富士山世界遺産センター学芸員
杉山泰裕静岡県文化・観光部理事(富士山担当)
前田宜包富士山八合目富士吉田救護所ボランティア医師・市立甲府病院医師
高林恵梨子静岡県人事委員会事務局職員課任用班
今野登志夫陶芸家
遠藤まゆみNPO法人三保の松原・羽衣村事務局長、羽衣ホテル4代目女将
佐野彰秀バンブーアート作家
オマタタツロウ音楽家・画家
高橋百合子富士吉田市教育委員会 歴史文化課 課長補佐
内藤恒雄手漉和紙職人・駿河半紙技術研究会会長
太田安彦一般社団法人 ヨシダトレイルクラブ代表理事・富士吉田市公認富士登山ガイド
影山秀雄機織り職人 手機織処 影山工房主宰
江森甲二裾野市もののふの里銘酒会会長
中尾彩美富士山ビュー特急アテンダント
渡辺義基渡辺ハム工房
古屋英将株式会社ミロク代表取締役社長
井出宇俊井出醸造店・井出酒類販売株式会社営業部
望月基秀製茶問屋 株式会社静岡茶園 常務取締役
関根暢夫・ふじゑさん夫妻ふじさんミュージアム 手話ガイド
御園生一彦米久株式会社代表取締役社長
rumbe dobby手織り作家
小山真人静岡大学 教授 理学博士
勝俣克教富士屋ホテル 河口湖アネックス 富士ビューホテル支配人
漆畑信昭柿田川みどりのトラスト、柿田川自然保護の会各会長
日野原健司太田記念美術館 主席学芸員
渡井一信富士宮市郷土資料館館長
大高康正静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授
渡辺貴彦仮名書家
望月将悟静岡市消防局山岳救助隊員・トレイルランナー
成瀬亮富士山写真家
田部井進也一般社団法人田部井淳子基金代表理事、
クライミングジム&ヨガスタジオ「PLAY」経営
齋藤繁群馬大学大学院医学系研究科教授、医師、日本山岳会理事
吉本充宏山梨県富士山科学研究所 火山防災研究部 主任研究員
柿下木冠書家・公益財団法人独立書人団常務理事
菅田潤子富士山文化舎理事『富士山事記』企画編集担当
安藤智恵子国際地域開発コーディネーター
田中章義歌人
千葉達雄ウルトラトレイル・マウントフジ実行委員会事務局長、
NPO法人富士トレイルランナーズ倶楽部事務局長
松島仁静岡県富士山世界遺産センター 学芸課 教授(美術史)
大鴈丸一志・奈津子夫妻御師のいえ 大鴈丸 fugaku×hitsukiオーナー
有坂蓉子美術家・富士塚研究家
小川壮太プロトレイルランナー、甲州アルプスオートルートチャレンジ実行委員会実行委員長
飯田龍治アマチュアカメラマン
篠原武ふじさんミュージアム学芸員
吉田直嗣陶芸家
春山慶彦株式会社ヤマップ代表
中野光将清瀬市郷土博物館学芸員
久保田賢次山岳科学研究者
鈴木千紘・佐藤優之介看護師・2014年参加, 大学生・2015と2016年参加
松岡秀夫・美喜子さん夫妻「田んぼのなかのドミノハウス」住人
三浦亜希富士河口湖観光総合案内所勤務
石澤弘範富士山ガイド・海抜一万尺 東洋館スタッフ
大庭康嗣富士山裾野自転車倶楽部部長
杉本悠樹富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財係 主査・学芸員
松井由美子英語通訳案内士・国内旅程管理主任者
涌嶋優スカイランナー、富士空界-Fuji SKY-部長、日本スカイランニング協会 ユース委員会 委員長・静岡県マネージャー
岩崎仁合同会社ルーツ&フルーツ「富士山ネイチャーツアーズ」代表
門脇茉海公益財団法人日本交通公社研究員
渡邉明博低山フォトグラファー・山岳写真ASA会長
藤村翔富士市市民部文化振興課 富士市埋蔵文化財調査室 学芸員
勝俣竜哉御殿場市教育委員会社会教育課文化スタッフ統括
前田友和山梨自由研究家
杉山浩平東京大学大学院総合文化研究科 特任研究員 博士(歴史学)
天野和明山岳ガイド、富士山吉田口ガイド、甲州市観光大使、石井スポーツ登山学校校長
井上卓哉富士市市民部文化振興課文化財担当主幹
齋藤天道富士箱根伊豆国立公園管理事務所 富士五湖管理官事務所 国立公園管理官
齋藤暖生東京大学附属演習林 富士癒しの森研究所所長
池川利雄ノースフットトレックガイズ代表、富士山登山ガイド
松本圭二・高村利太朗山中湖おもてなしの会副会長, 山中湖おもてなしの会会員
関口陽子富士山フォトグラファー
猪熊隆之山岳気象予報士・中央大学山岳部監督
髙杉直嗣2021年御殿場口登山道維持工事現場代理人
羽田徳永富士山吉田口登山道馬返し大文司屋六代目
内藤武正富士宮市役所企画部富士山世界遺産課主幹兼企画係長
河野清夏フジヤマミュージアム学芸員
中村修七合目日の出館7代目・富士山吉田口旅館組合長・写真家
野沢藤司河口湖ステラシアター、河口湖円形ホール館長
三浦早苗ダイビング&トレッキングぴっころ代表
田部井政伸一般社団法人田部井淳子基金代表理事
橋都彰夫半蔵坊館長・わらじ館館長
上小澤翔吾富士登山競走実行委員会事務局
杉村知穂富士宮市教育委員会教育部文化課
河野格登山ガイド
鈴木啓悟富士山写真家
松山美恵山梨県富士山科学研究所自然環境科助手
黒羽徹リストランテ桜鏡総料理長
渡辺守写真家/富士登山ガイド/蕎麦職人/自然監視員/岡山理科大学非常勤講師
蒲生由希富士山好きがつくる富士山グッズFuG  代表
浦郷敬山梨県観光文化・スポーツ部富士山観光振興グループ富士山保全企画担当主査
堀内茂一郎・浩平nôtori オーナーソムリエ・オーナーシェフ

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